■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味(25)
- カテゴリ:その他
- 2009/05/19 19:23:21
■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|中 遊戯説|一 (4)
盖し我等の理性は本然の完成を欲するが故に、あらゆる制限を嫌ふ。若し形的本能を追へば形態に限られ、肉的本能を追へば生命に限られる。此の限界を撤して、全ゝ制せられる所なき自由の天地に遊ばんとするのが、人間本性の要求であつて、此れが即ち遊戯本能に外ならぬ。遊戯本能の對境は美である。されば詮ずる所人間の本性は至高の目的として美を求める。シラーが説に多少の言葉を加へて説明すれば、ざつと斯うである(シラー著『美的教育を論ずる書』)。
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*註1:盖し我等の理性は
原本では文頭は前ページの文末より改行なしでつづいている。
*註2:制限を嫌ふ
「嫌」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/ken_iya.jpg
*註3:追へば
「追」の旧字体。「シンニョウ」は「二点シンニョウ」。
*註4:此の限界を撤して
「撤」は原本の印字が不鮮明のため、「テ扁」と「教えの旁」に挟まれた間の字形が判然としないため、「撤」ではない可能性もあるが、前後関係から「撤」とした。
*註5:全ゝ
原本には「全ヽ」(繰り返し記号「一の字点」のうち通常はカタカナに使われるもの)とあるが改めた。
「全」の正字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/zen.jpg
*註6:制せられる所
「所」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/tokoro.jpg
*註7:遊ばん
「遊」の旧字体。「シンニョウ」は「二点シンニョウ」。
*註8:要求
「要」の俗字。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/you.jpg
*註9:遊戯本能
「遊」の旧字体。「シンニョウ」は「二点シンニョウ」。
「戯」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/tawamure.jpg
*註10:對境
「境」の正字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/kyou_sakai.jpg
*註11:詮ずる所
「詮」の正字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/sen.jpg
「所」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/tokoro.jpg
*註12:シラーが説・説明すれば
「説」の旧字体。「言」+「兌」。
*註13:シラー著『美的教育を論ずる書』
「著」の正字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/tyo_arawasu.jpg
「教」の正字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/kyou_oshieru.jpg
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■抱月『近代文藝之研究』を註記なしに通しで読みたいかたは、こちらをどうぞ。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/kbk_tobira.html
■このテキストの原本は国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」収録の「近代文芸之研究 / 島村抱月(滝太郎)著 早稲田大学出版部, 明42.6」の画像データに依っています。
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/871630/1
(2014/07/02/初校)
今のキリスト教社会をみて、1番悲しんでおられるのが、天界のイエス様だそうです。全く意に反した事をしていると・・・
イエス様は八百万の神の住人ですから・・・
貼り付けには、弟が身代わりになり、イエス様は神の啓示により、日本に来ているのです。契約の箱を持って・・・そして、それは何人からも護られる場所に今でもあります。
魂を掘り下げない人間はそこらに生えている木と変わらない・・・
魂を掘り下げない人間は、そこらに生えている木よりも劣っているのでは・・・
人間は、葉っぱ1枚創れないです・・・
宗教では、神様が全てのものをお創りになったと考え、科学では、物事を探求すると、行き着くところは、第1原因、神様にあたると・・・
人間は、時として傲慢になってしまう生き物なのでしょうね。
ちょっと得をした気分の眺めでした♪ ・・・吉兆ですね~♪
momoは、北海道の羊蹄山の近くで、お昼間に、太陽の周りに真ん丸な虹を見た事があります。
そしてさらに不思議な事に、まるで太陽を北極星と見立てたかの様に、太陽と虹の間から、柄杓形の北斗七星が、7つの小さな雲で出来ていたのです!
そんな些細な事に、幸せを感じていました・・・
よく調べられましたね。
僕はAppleのロゴマークがレインボーカラーだった頃からのMacユーザなんですけど、
そのMacのロゴが6色なので、不思議に思っていたところ、
その理由をMac雑誌のトリビア的記事で知りました。
というわけで、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫のうち、
「藍」が英米では一般的には認識されていないようです。
では、ニュートン説を輸入する以前の日本人は、
虹を何色として認識していたかが疑問になりますが、
どうやら、5色というのが有力なようです。
ほんの数日前のことですが、深夜の月に虹色の暈がかかっているのを見かけました。
月の周囲に円形の虹色のリングです。
ちょっと得をした気分の眺めでした♪
リアム・ギャラガーの言葉は、日本人(or東洋人)には、
ちょっと反感や疑問を覚える人も多い言葉だろうな、と思って、
あえて紹介してみました。
話に飛躍があるすぎる書きかたになってしまいますが、
稀代のロッカーも、キリストの子であるんだな、
との意味も込めての紹介です。
キリスト教圏では、自然を“擬人化”することは、
子どもとか無教養な人のすることと見做されがちです。
鳥も虫も木々も草花も、意思や感情や知性などありえない、ただのモノなのです。
そこに、八百万の神の住人とは決定的な感覚の差があります。
リアム・ギャラガーの言葉の真意は、その感覚の差を認識していないと、
つまらない瑣末な罠の部分にとらわれてしまうことになると思います。
湿度(しつど)や高さ、時間によって光の色は全く違って来ますって・・・
お国により、人の目が捉える事の出来る色(光の波長)が、多少異なるのでしょうか・・・
検索してみましたので、お暇な時に1度御覧になって下さいませね!
虹の7色はニュートンが決めた色なんですって!
Canonサイエンスラボ
http://web.canon.jp/technology/kids/mystery/m_04_09.html
木の方が立派だと思うけど・・・
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お手降りは慌てなくていいからね。。
一度目は「おはよう」「こんにちわ」「こんばんわ」
二度目は「またね」「おやすみ」
そう思ってるから、ゆっくりでいいよ。。
お友達がこう書いてくれたの・・・だから、同じ様にそうしようと思ったの・・・
momo&ハッピーも、お手振りならできるから、今度会った時からそうするわね~♪
げるぞるさん、どっかに消えちゃったの~!