■近代文藝之研究|時評|今の文壇と…(5)
- カテゴリ:その他
- 2011/10/04 23:45:35
■近代文藝之研究|時評|今の文壇と新自然主義 (5)
また文章上の情緒主義も同斷である。音調布置の爲めのみに綺葩を剪栽するといふのでなく、情味の濃厚に應ぜんため、專ら助けを傳來の情に富める語句に借らんとする。また動々もすれば誇大の語句を多く用ふる。皆事象を損じても豫定の情緒力を保たんとするからである。即ち文章上の情緒主義であらう。而して斯くの如き情緒主義も亦た一流の藝術である。是非はこゝで論ずる限りでない。
扨この技巧主義情緒主義に對して、自然主義を立てるときは、前者が事象前後の技巧、乃至情緒を照準とするに反して、後者は專ら事象其の者を照準とする。而して事象そのものを照準とするといふ中からは、更に三段の概念が展開せられる。第一は事象を出來るだけ現實の經驗に近づけて現實に在り得ることゝいふ性質を強めんとする。寫實的自然主義ともなづくべきであらう。第二は事象中の理趣を顯揚して、主張、哲理を之れに見んとする。哲理的自然主義とも名づけやう。第三はすなはち事象に物我の合體を見る、自然は茲に至つて其の全圓を事象の中に展開するのである。其の事象は冷かなる現實客觀の事象に非ずして、靈の眼、開け、生命の機、覺めたる刹那の事象である。動き來たつた瞬間の自然である。
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*註1:また文章上の
原本では文頭は前ページの文末より改行なしでつづいている。
*註2:文章
「文」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/bun_aya.jpg
*註3:情緒・情味・傳來の情
「情」の正字体。「月」は「円」。
*註4:音調
「音」の正字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/ne_oto.jpg
「調」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/cyou_shiraberu.jpg
*註5:剪栽
原本では「剪裁」とあるが誤植と思われるので改めた。
*註6:技巧
「技」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/waza_gi.jpg
*註7:前者・前後・後者
「前」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/zen_mae.jpg
「者」の正字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/mono.jpg
*註8:更に
「更」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/sara.jpg
*註9:概念
「概」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/gai_oomune.jpg
*註10:近づけて
「近」の旧字体。「シンニョウ」は「二点シンニョウ」。
*註11:強めん
「強」の俗字。旁が「口」+「虫」。
*註12:茲に
「茲」の俗字体(か?)。Unicode にも文字種がないようなので作字してみた。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/koko.jpg
*註13:全圓
「全」の正字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/zen.jpg
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■抱月『近代文藝之研究』を註記なしに通しで読みたいかたは、こちらをどうぞ。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/kbk_tobira.html
■このテキストの原本は国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」収録の「近代文芸之研究 / 島村抱月(滝太郎)著 早稲田大学出版部, 明42.6」の画像データに依っています。
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/871630/1
でしょうがあいにく3年前に他界いたしまして、少々ノータリンの娘が読み増しても、非常に難しく感じるの
です……○×△□☆……生きてましたら今83歳とか84歳くらいなのですが・・・・
技巧主義、音楽で言いましたら以下ウィキペディアのコピーです
ヴィルトゥオーソとは、完璧な演奏技巧によって困難をやすやすと克服することのできる、卓越した演奏能力の持ち主に対する称賛の言葉である。このため、たとえばアルフレッド・コルトーやヴィルヘルム・ケンプのように、ひとえに音楽性の深みや卓越した解釈をたのみとする演奏家のことは、単に「名演奏家」や「巨匠」と呼んでも、通常は「ヴィルトゥオーソ」とは呼ばない。
ヴィルトゥオーソと呼ばれるための最低条件は、機械的な演奏技巧が完成されていることである。しかし19世紀においては、その発想が極端になり、腕自慢の演奏家がしばしば演奏会でアクロバティックな超絶技巧を誇示して、観客を喜ばせる傾向を持っていた。このため「ヴィルトゥオーソ」という言葉は、使われる文脈によっては、「技巧が先行して音楽的内容に乏しい」「表現が冷たく情感に欠ける」という意味を言外に含んでしまうこともあ
技巧に走り過ぎて音楽的表現が乏しいとここを突き詰めて考えるのは非常に個人の趣味と嗜好による
物も大きいかと思います。 文学論敷いては芸術論ってむずかしいのですね
凡人が語っちゃいけない気がします すみませんでした (‿_‿✿)ペコ
また1つ知識を得た<ドラクエⅢ的
幽霊の「霊」の旧字体です。
画数多くて、表示ポイント数を大きくしないと、文字が潰れて見えませんね。ヾ(⌒∇⌒)ノ