Nicotto Town


きいてニコタリーナ


偽りで模って 埋もれた心のなか

……ちょっと気分が持ち直してきて、やっとエクシリアを再開した。

ガイアス王に謁見してウィンガルとプレザ倒してカン・バルク脱出までやった。

うん。生き方に全くブレがないミラ様はやっぱり素敵だ。

あと、エリーゼとレイアの株がちょっとだけ上がったかな。

エリーゼの、今までまともに人と付き合ったことなくて、

人を傷つけるってことが分からなかったのも頷けるし、

むしろ、相手を傷つけたと分かったら、心を傷めて素直に謝れるのはいい子だと思う。

レイアが明るく振舞いながらも劣等感を押し隠してたのは健気だと思った。

レイアが可哀想な子っていう意味がちょっと分かったかも。

劣等感を押し隠して気を使い、気になってる幼馴染は年上のお姉さまにメロメロだし。

それよりジュード君ですよ。アルヴィンに怒りを覚えるのは分かるけど、

勝手に信じて勝手に失望してもう知らない!ってのは同情できない。

何を根拠に奴を信じたんだか知らないが、一度信じた己に責任を持てと言いたい。

裏切られて怒るくらいなら、初めから信じないことだ。

人を信じるなら、裏切られる覚悟でやれ。親切なら、殺される覚悟でやれ。

怒りを向けるべきは、人を見る目を持たない自分自身だ。



……しかし、これはまた極論であり、ある種危険な考えでもあることは否定しない。

何故なら、「災難に遭った自分の行いを顧みて責任を持て」という考え方は、

「被害者には、被害にあって然るべき落ち度があったのだ。行いが悪かったからだ」

という、安易な保身に走った考え方にも繋がりかねないからだ。

他人を害して憚ることのない人間が増え、「罪悪感」という感情さえ消えゆく時代。

まっとうに、善良に生きていたって、他人に、現実に、裏切られる例などたくさんある。

理由なく襲う災害もある。理由なく他人を傷つける人間もたくさんいる。

いつ自分が襲われるか分からない。だから被害者のアラを探して、安心したい。

被害者にはこうこうこういう落ち度があったから、だから災難に遭ったのだ、と。

ここで、今回の地震と津波の後に「天罰だ」とかぬかしたどこかの阿呆を思い出し、

私は彼に、人間的なスケールの小さい安易な保身を見る。



これだけは言いたいのだが、私が今日のジュードを見て抱いた感想は、

被害者にも非があるのだから泣き寝入りしろ、という意図にあるのではない。

罪を犯した人間には適切な罰を、被害者には適切な保護を。

ただ、素性も本心も教えない流れ傭兵を安易に信じておいて、

裏切られたらたちまち憤慨するあり方は、虚しい一人相撲のようだな、と思っただけ。

エリーゼはいろんな意味でまだまだ幼いから、その怒りもまだ分かる。

しかしジュード君は、仮にも頭脳明晰、しかも今時の子、という設定でしょう。

そうか、私はアルヴィンに関する彼の態度を、らしくなく頭悪いな、と思ったのだった。

この違和感はだから、たぶんシナリオを書いた製作スタッフへのものなんだろう。

彼らは時代の流れに沿おうとして、困難を顧みない熱血主人公ではなく

「今時な感じの主人公」を設定したつもりなのだろうが、

彼らの頭が古いのか、時々「今時の子」らしさを捉えきれてない感じがするんだよね。

感情の持ち方、表現の仕方が特に今時らしくないと感じる。

どうせ憤慨させるなら、「自分を傷つけるものはなんであろうと許さない!」的な

極めて自己中心的な方向にナイーヴな怒りにすべきだったんじゃないかと思う。

もしくは、「どうして自分がこんな目に遭うのか分からない……」的に

ひたすらしゅんとさせるのがまだジュードらしいような気がする。



私の「今時」観がずれてるんだろうか。

以上、未だ大人になりきれない大きな子供の戯言でした。




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