999 青春の幻影
- カテゴリ:人生
- 2009/05/14 01:08:58
なんとなく、星野鉄郎風に着替えてみたが、
やはり、似るわけはない。
最初から別のもの、というわけでもないのだが、似て非なるものと言えるほど似てもいない。
ん~、キャラモノのアイテムが出たら面白いんだろうけど、商売として成立させネイといけないから、簡単にはいかないな。
それに、戦士の銃なんか、武器だし。。。だめじゃん。
そんなことはともかく、ふと、映画の999を振り返ってみた。
ゴダイゴが歌う主題歌に、「別れも愛の一つだと」という言葉がある。
子供の僕には、意味がよくわからなかった。
世間によくある「愛」といったら、「恋愛」ばっかりだ。
ドラマでも、歌でも、「愛」と言ったら、いちゃいちゃする愛のことだった。
だから、地球に帰る鉄郎と、遠くへ行くメーテル、この二人の愛について、よくわからなかった。
ひとまず話を変える。
鉄郎は、機械化伯爵に母を殺された。
そして、誰にも負けない力を持ちたいと思った。
自分も機械の体を手に入れることが、強くなることだと思った。
メーテルと出会い、999に乗り、旅立つ。
さまざまな人と出会い、経験する。
機械の体に疑問を持ちながら、
機械化伯爵を倒す。
そして気付く
機械化した強さと、人としての強さは別のものだと。
旅を終えるとき、鉄郎は大きく成長していた。
それで、メーテルという女性は、旅の中で鉄郎を支えたし、見守っていた。
鉄郎から見るメーテルは、やさしく、つよく、うつくしい女性だ。
でも、メーテルは、多くの若者の犠牲の上に生きているし、あまりにも多くの経験を重ねていて、自身を良くは感じない。
老いているような気持ちも、あるのかもしれない。
メーテルの心は、少年の成長を願っている。
その思いで生きつづけている。
だから、メーテルは、少年の成長を見届けたら、いなくなってしまう。
大人になるということは、子供ではいられないということでもある。
子供であることを、意識して捨てる部分もあれば、失ってしまうこともある。
そうやって、子供ではなくなる。
鉄郎は、誰の助けも借りない旅、
メーテルのいない旅をしなければならない。
二人は、愛が強いほどに、別れを決断しなければならなかったのだ。
僕が子供のころは、子供だから、鉄郎と同じ立場だし、離れてゆくメーテルを悲しく感じたけれど、今は、メーテルの気持ちも、少しはわかるようだ。
でも、僕自身は、あまり、大人になれなかったような気がする。
そして、見渡すと、体の大きな餓鬼たちがたくさんいて、
それが怖い。
ここへコメント来ましたね〜
アイテムに穴のあいた帽子とか、丸眼鏡が欲しいのです^^
れおポンさん、今日は有り難うございました
メーテルも鉄郎さんもニコにいますよ~
深く考えてしまうと、わからなくなってしまうかもと思いますが。。
ルパンって、きっと凄く大人で紳士なんだと思います。
でもやんちゃで、少年のような心も持ち合わせている。
世の男性が、このような方が多ければと思ったり(笑
でも大人で、男な部分は、みせないんですね。
ちらっと仲間にはみせてますよね。。。。
だから、あの二人はルパンと離れられない。
男のロマンをもっているから。
ふじこちゃーんに対しての愛情も、
いつもコケにされて、いたいめにあわされているけど、
ルパンがおとなで、ふじこはあまえさせてもらってるんだなあと思います。
めちゃくちゃ女性的な立場からの意見ですが。笑
鉄郎とメーテルについては、みた時代が、あまりに子供だったために
なんとも言えないのですが、、、
実は、そんなに奥ふかい話しだったのですね。。。
映画での999は、鉄郎が嫌いでみていません(笑
鉄郎は、あの不細工な鉄郎が、にあってる・・・・
なんかふるいアニメをひもといてみたくなりましたよ。れおポンさん☆
感情移入して言うと、本当に自分を肯定できるのだろうか、という疑問。
客観的な作品論で言うと、ルパンは大勢の人が参加した作品であるため、人物像がたくさんあって、特定できない。
作品論はともかくとして、僕は、なぜルパンは盗むのか、時々考えます。
特に、ただ盗むのではなく、予告しなければならないというところ。
生活費という面なら、予告なんて必要ない。
美術品であれ、予告は必要ないし、むしろ、美術品は予告などしたら換金が難しくなるので、ルパンは金目当てではないということだろう。
(いちおう、現実にありそうなこととしては、おおやけに美術品の窃盗が知れれば、逆に、ヤミ市場で、それが本物であると証明しやすくなるわけで、高値が付けやすいという面もあるけれど)
物的欲求が弱いということであれば、盗むという行為が楽しいだろう。
マンガ自体がそのように描いてあるのだから、間違いのないことなのだが、それは出来事の問題であって、ルパンの心については、あまり直接描かれることはない。
ルパンが、楽しみのために盗みを働くとして、予告をするのは難易度を上げることだとわかるし、わざわざ人前に出てから逃走するのは、物が欲しいのではないために、成果として、人の反響が欲しいのだろう。
結局、ルパンはいたずらが好きな人だ。
僕は、何度考えても、その結論になります。
なんか、結果だけ言うと、当たり前の言葉になりますねえ。
ただ、問題なのは、いたずらというのは、どちらかと言えば、人の、子供の面の楽しみの様な気がします。
もちろん、大人もいたずらが好きで良いのですが、一人の人間の中にある大人の面と子供の面の、子供だと言って良いと思います。
ルパンの子供の面は、テレビでもさんざん見られるけれど、
大人の面が、何を感じているのか、ほとんどわかりませんね。
クラリスをおいて立ち去る姿が、数少ない、大人としてのルパンが見えた瞬間だと思います。
そこに深い意味を感じるほど成熟した子供ではなかったから
毎週、なんか、想像もつかない星に停車する列車を
とても楽しみにみていたのを思い出します。
下のコメントにもかいてあるけど、
ルパンには、そういう設定が
結構多いですよね。
自分は自由に生きる泥棒であり、大人であり、なににも縛られていない。
なにかに縛られて生きにくくなってる人を解放して、かっこよく去っていく・・・・・
先日、ルパンVSコナンが、テレビでありましたが、
あれも、そうでした・・・・・
なんかそういうルパンにすごく憧れるんですよね。
わたしが、とても縛られていきてるからかもしれないけれど。
鉄郎とメーテルの関係って、そういう深いものだったんだ・・・・
れおぽんさんの言葉で気付かされました
成長をみとどけたら、もう大丈夫とみとどけたら去っていく。
親子もそうでありたいものだと思います。
ルパン三世という泥棒でありおじさんが、子供から大人へなろうとする時期に伯爵に閉じ込められてしまったクラリスを広い世界へ放す物語でしたね。
ルパンはすでにある程度自分の人生を見定めているけれど、
クラリスは、これから多くのことを見聞きし、人生を始める人。
だから、ルパンは決してクラリスを連れてゆくことはできないわけですね。
まあ、クラリスは、そのまま連れ去られて、残りの人生を全てルパンに捧げても、幸せだと感じる女性だと思うんですけどね。
でも、それだと、ルパンが少女の心を盗む話じゃなくて、ルパンのほうが心を奪われてしまうことになるので、ダメですね。
当時の宮崎駿が、ルパン三世という企画はすでに時代錯誤で、今の日本に盗むものは無いと感じていたので、少女の心を盗む物語にしたというのは、有名な裏話ですね。
銀が鉄道999が好きなので、ついコメントを…。
鉄郎とメーテルの別れは、確かに悲しいものでしたが。
どこかしら「次の出会いにつながる別れなのだ」というものも感じました。
年齢を重ねるごとに、心はメーテルに近付いています。
愛しい人を思うゆえの別れを…理解できるようになれれば。
かなり大人になれたという証拠かもしれません。
身体が大きいだけの子供は始末に終えない・・・