「契約の龍」(11)
- カテゴリ:自作小説
- 2009/05/11 07:08:41
事務棟の後ろは、森になっている。というか、学校自体が森によって外界と隔てられている。森の周囲は小一時間も歩けば一周できてしまうが、森を突っ切って反対側へ抜けることはできない。魔法で歪められているからだ。「誰が」その魔法をかけたのか、については定かではないが、一説によれば、古代の大賢者が、歪められた空間ごと、どこかから召喚した、と謂れている。
その森の中を、サザーランド女史は迷いのない足取りで歩いていく。やがて、開けた陽だまりの中の泉のほとりで足をとめた。
「これくらい離れれば他の人の目は気にならないでしょうか?クリスティーナ姫」
姫、と呼びかけられてクリスが気色ばむ。
「学生名簿を作成なさったのはあなたでは?私の家名はゲオルギアにはなってなかったはずだが」
「アウレリス家は、ゲオルギア家よりもずっと古いお家柄ですわ。ご存じない?」
…そうだったのか?クリスの方を窺うと、肩をすくめて首を振って返す。
「残念なことに、知らないし、興味もない。そういえば、本家の屋敷は、確かに大きくて古いが、うちは直系、というわけでもないし」
何か主張するところが若干ずれてる気がするが。
「それよりも、お聞きしたいことがあるんですが」
「あ、やっぱり姫の方でしたの?用があるのって。幻獣のことについて何か訊きたいことがあるとか。何を訊きたいんですの?」
「幻獣の食事について。何を糧とするのか、どれくらいの頻度で食事するのか」
「あえてわたくしに、ということは、人の身に封じられた幻獣が、ということなんでしょうね。ソフィアは有能な幻獣使いでしたから」
「……はい。野生の幻獣が狩りをすること、人に使役される幻獣が人から糧を得ること、は知っています」
「すべての幻獣が狩りをするわけではありませんけどね。まあ、おおむね正解、です。で、お尋ねの「人の身に幻獣が封じられた場合」ですが、実体がなくなるのですから、糧を必要とすることはほとんどなくなるはずです。これは、器物に封じた場合でも同じですが」
「ほとんど?ということは、例外もあるんですね?」
「ええ。……一つはその幻獣の能力の限界を超えた仕事をしたとき」
サザーランド女史が手を上げると、指先から緑色の蔓がするすると伸びて、陽射しの中に葉っぱを広げた。
「この時期はこうやってお食事させないと能率が落ちてしまって。予め大変そうだってわかったいるときは、こうやってお手当てできるんですけどね。……それから、めったにないことですけど、幻獣が封印を逃れたがっているとき、ね。…それから、その幻獣自身の寿命が尽きかけている時」
「…寿命?」
「そういう言い方が適切ならば、ね。幻獣は封じられることによって、実体を失う。そして実体を失うことによって、少しずつ、その本性、というか、その幻獣を幻獣たらしめているもの、…人で言うならば、魂、とか、自我、のようなもの、がすり減ってゆくの。そうなるとね、「証」が少しずつ薄くなって…やがて消えてしまうわ」
「…もしかしたら、寿命が尽きかけてくると、存在が感じられなくなる…?」
クリスがこわごわそう訊ねる。
「そうね。目を瞑っても、自分の手足や鼓動を打つ心臓なんかが感じられるように、わたくしたちは幻獣の存在を感じることができる。でも、老いてきた幻獣は、注意しているはずのところを探らないと見つけられないし、「寿命」が尽きてしまったら……もうどこにも感じられない」
…なるほど。王宮の魔法使いたちが慌てるわけだ。王家を守護している「契約の龍」の寿命が尽きてしまう、となれば。
「もしかしたら、消滅、を体験したことが、おありになる?」
「ええ。ずいぶんと昔のことですが。わたくしが未熟だったせいで、まだ成長し切っていない子を封じてしまったの。焦っていたんでしょうね。魔法を使うたびにだんだん弱くなっていって…ついに………」
……消滅、か。
「それで、戒めとして、ここにその子の「証」を刻んでいるんですの」
そう言って、額を指差す。
天をさして伸びる、三枚の若葉。ドライアド、だ。
…あれ?
「あの…ちょっといいでしょうか」
会話が途切れたので、ちょっと割り込ませてもらう。
「えーと……その手からのびている蔓、って……」
「ええ。ドライアドですわ。見つけてから、随分と待ちましたの。その間に、セイレーンとエアリアルを取り込んで……もう、あんな思いはしたくありませんから」
どうしてドライアドに拘るんだろう?
ふと見ると、クリスが俯いて何か考え込んでいる。シャツの胸のところを掴んで。