粽
- カテゴリ:日記
- 2009/05/06 17:12:56
端午の節句には粽・柏餅・菖蒲・鯉幟と縁起物が多い。
ざっと、400coinには為りそうだw
中国の戦国時代、楚国に屈原という政治家・詩人がいた。
彼は再三、統治者である壊王に対し、
秦国を信用してはならないと忠告したにも拘らず
秦の宰相.張儀に騙され、怒って出兵するも大敗する。
其の後、秦は懐王に婚姻を持掛け、
勿論、屈原は信用するなと諌めるが、
屈原が嫌った政敵である親秦派の子蘭に勧められて
懐王は(のこのこと)秦に赴き、幽閉されるw
懐王を むざむざ捕えられた楚は新たに頃襄王を立て、
側近に何故か懐王が幽閉された立役者、子蘭を据え
屈原は江南に左遷される。其の後、楚は秦に首都を陥落され、
『絶望した!』と謂ったかどうかは知らないがw
屈原は紀元前278年5月5日
石を抱いて汨羅江(べきらこう)に入水自殺したという。
・・・ふう。其処で やっとこさ粽が登場するw
屈原の姉が、彼の無念を鎮める為、
亦 魚が屈原の亡骸を食らって傷つけない様に
魚の餌として米飯を笹の葉に包んで
汨羅江に投げ込んだのが、粽の起源とされる。
然し、或るsiteを視ると
‘漢の時代に、里の者が川の畔で屈原の幽霊に出会います。
幽霊曰く、『里の者が毎年供物を捧げてくれるのは有り難いが、
残念なことに、私の手許に届く前に蛟龍(こうりゅう)という悪龍に盗まれて仕舞う。
だから、今度からは蛟龍が苦手にしている楝樹(れんじゅ)の葉で米を包み、
五色の糸で縛ってほしい。』と謂いました。
其れ以来、楝樹の葉で米を包み五色の糸で縛って川へ流したので、
無事に屈原の元へ供物が届いたのでした’ とある。
ん~、民衆が屈原の死体を疵付けぬ為に投げた魚の餌を
彼は食べたかったのね(-。-)y-゜゜゜
ってか、動けるんなら魚を食えよ!ヽ(-_-;) みたいなw
然し何か変だ。粽は‘茅巻き’とも書くのに、
茅(=ちがや・葉の一種)じゃなくて、笹や楝樹の葉(-_-?)
う~ん、謎。 ま、如何でもいいけどさ (-。-)y-゜゜゜
※畔(=ほとり)
仕方なかったかもしれませんが、
左遷迄されたなら好きにすりゃよかったのにねぇ (-。-)y-゜゜゜
実は、辞書には姉とあるのですが、wikipedia 他では民衆とか里の者に
為ってるんで其処ん所は ちょっと分りません^^;
読んだときは、いっても聞かない奴は見捨てちゃえばよかったのに~。
と思った記憶があるよ^^;。
姉弟愛は偉大だね。
・・・・ちょっと違う^^;?