一頭の競走馬からもらったもの 最終話
- カテゴリ:小説/詩
- 2009/05/06 09:16:13
そして”私たちのレース”平成7年の春の天皇賞の幕が上がります。
前編で書いたように、ライスはこのレースをチャンプとの激しいデットヒートの末に、勝利するのです。
ライスにとってこのレースは、どんな意味合いがあったのでしょうか?。
スターホース不在のこのレースで、ライスは初めて市民権を得たのです。
ブルボンを破壊し、マックの夢を打ち砕いた”関東の黒い刺客”は、初めて競馬ファンに受け入れられたのです。
その結果は、ファン投票で出走馬が決められる次のレース、宝塚記念の投票結果に表われます。
ライスはファン投票1位で、宝塚記念出走を決めます。
いや、決めてしまうのです。
運命のレースの出走を・・・。
天皇賞でチャンプとの死闘を繰り広げ、勝利したライスは宝塚記念のための調教を受けます。
競走馬のピークを越えてしまったライスにとって、この調教は苦しいものだったはずです。
それでもライスは、調教を拒んだりはしない性格だったのです。
恐らく肉体的にも、精神的にも限界をはるかに超えていたのではないかと思います。
それでもライスは”運命のレース”宝塚記念に出走してしまうのです。
平成7年6月4日、第36回宝塚記念(GⅠ2200m)。
事故は11万の大観衆の目の前、最後の第三コーナーから第四コーナーの中間地点で起こりました。
後方5番手あたりを追走していたライスは、突然もんどり打つように転倒したのです。
ライスは苦痛にもだえながら立とうとしますが、再びその場に崩れ落ちました。
左前第一指関節脱臼・・・。
ライスの左前足の骨は、肉と皮を突き破り外に露出していたそうです。
もう2度と立ち上がることの出来ないという診断結果でした。
予後不良・・・。
ライスは11万の観衆の目の前で、安楽死処分がくだされました。
その後、私は一度も馬券を購入していません。
全てのギャンブルを止めました。
ライスが私にくれた物はなんだったのでしょうか。
結婚のきっかけをくれた馬。
ギャンブルを止めさせてくれた馬。
それよりも、私はライスシャワーという馬が好きでした。
好きで、好きで、好きで・・・・・。
大好きな彼の走る姿を、もう2度と見る事は出来ない悲しさ。
彼の子供が走るのを楽しみにしていた、そんな希望を打ち砕かれた悔しさ。
そんな、どうしようもない悲しさを乗り越える勇気を、ライスは私に残してくれたのかもしれません。
家畜にお墓はありません
人間のためにこの世に生まれ
人間のために生き
人間のためにしんでいく
死ねば肉になります
だから家畜には
お墓はありません
ライス・・・
あなたの立場は家畜だけど、あなたにはお墓が与えられたよ。
あなたはどんなに嫌でも、調教や出走を拒んだりしなかったね。
だから、こんなに早く逝ってしまったんだね。
もう、キツイ調教もレースもする事はないよ。
今は天国のターフを思いっきり走っているのかい?
皆、あなたの事をいろいろ言ったりしたけど、
最後は皆、あなたの事を応援してくれたんだよ。
良かったね、本当に良かったね、ライス。
私はあれから結婚したよ。子供も生まれたよ。
あなたのいないこっちの世界で、今も頑張って生きているよ。
時々あなたの走る姿を、思い出しながら・・・。
一頭の競走馬から貰もらったもの・・・完
競馬という競技は、馬の本能を利用したものです。
草食動物である馬は、肉食動物から身を守るために強靭な脚力を得ました。
肉食動物から逃れるため、あるいはその脚力を使い相手を攻撃するために得られたのでしょう。
自然界の馬は、その脚力が劣る者は肉食動物に捕らえられ、命を失います。
小賢しい人間は、この自然界のルールを自分たちの娯楽に置き換えてしまったんですね。
競馬も、走るのが遅い馬は「処分」されます。
それは一般的な家畜と同じ様にです。
そんな弱い馬たちに、当然墓は存在するはずもなく、名前すら残りません。
人間の目からすると、ライスは幸せな馬だったという事になりますね。
しかしながら、ライス自身にとって幸せな生涯だったのでしょうか?
その答えは、ライス自身かあるいは他の競走馬の意見を聞かなければ出す事は出来ないかも知れませんね。
よく、馬の世話をしている調教助手さんのお話で
「この馬は勝つと嬉しそうな仕草をする」
というのを聞きます。
普段から馬の世話をしている人のお話ですから、それはきっと当たっているのでしょう。
ただし、ライスの強かった頃は勝っても声援は贈られませんでした。
どちらかと言えば、罵声に近かったように思います。
しかし、最後の天皇賞では唯一、ファンからの温かい声援が贈られました。
競馬の実況では名物アナウンサーとされる、杉本清さんの実況を思い出します。
「やったたったライスシャワー!きっと天国のミホノブルボンも喜んでいる事でしょう!」
私はライスシャワーという馬の生涯は、幸せに満ちたものだったと信じています。
この頃私にとってライスと言う存在は、ただ好きだと言う存在を超えていたかもしれません。
なんて言ったらいいんだろうなぁ?
まるで身内のように思っていたかもしれませんね。
兄弟・・・それも弟ではなく兄のような感じだったかもしれません。
本当に彼には素晴らしいものを貰ったと思っています。
写真集、お借りしてご覧になってはいかがかと思います。
馬って本当に優しい目をしていますよ。
そして走る姿の美しい事・・・。
父がひと財産をすってしまっているのを見て育ったから。
競輪や競艇は人と機具が一体になって競います。そこに大金がかかるから
ドラマもあり、悲喜こもごも、それでも走者は自ら望み、利益を得ます。
いわば選択の結果なんですね。良くも悪くも。
競馬は馬が主役。走る本能を利用して人が創った賭け事です。
だから予期せぬことが起こりやすく、ドラマも生まれやすい気がします。
馬たちは何を望んでいるのでしょうか。
アラブでは野生のラクダはいないと聞いたことがあります。
人が家畜化して、生活に組み込んでしまったんですね。
競走馬もそうです。
一頭の馬を所有し、飼育していくのにはかなりの大金が必要です。
かなり贅沢な家畜ということなります。
人間サイドから見れば。
ライスは何を望んでいたのでしょうか。
走ること、勝つこと、人間の感情を察知する繊細な馬は、
期待に応えようしたのでしょうか。
有名になったぶん、ライスは人々の夢や期待や希望を背負い
走る宿命、競走馬としては華やかでドラマティックな生涯を駆け抜けました。
ライスは招き猫さんをはじめ、たくさんの人に
勇気と希望を与えてくれた、素晴らしい競走馬だと思います。
人であるわたしたちの想いと
馬であるライスの想いは同じだったのでしょうか。
ただの馬として、走れる自由。
野生の馬が生きれる大地はこの地球上ではほんの僅かです。
わたしたちには素晴らしい馬でも
ライスは何を求めて走っていたのでしょうか。
そんなことを考えます。
たぶん、きれいごとなのでしょうが。。。
さっき読んでたのですけど、涙が溢れちゃって(^^;
落ち着いたので、また読みに来ました。
招き猫さんにとって、
素晴らしい思い出ですね。
親戚のお姉さんが競走馬が(名前忘れました)好きで
写真集を持っています。
根っからの競走馬であり、全てを飯塚調教師に委ねた結果、限界を超えてしまったのでしょうかね?
私は飯塚調教師を責めるつもりは微塵もありませんし、これは単なる事故としか言いようがありません。
しかしなぜ、彼がこんな事故の当事者に選ばれてしまったのか、それだけが無念でなりません。
誰かが言っていました。
競馬は命と命がぶつかり合うスポーツだと。
現代の競馬は、最後の直線まで位置取りだけで過ごし、直線でよーいドンとなりゴール後は余力を残すレース展開ばかりです。
だからこういった事故も少なくなった代わりに、つまらない競馬になってしまったと思います。
彼が天国で現代の競馬を見て、いったい何を思うのかな?と考えてしまいます。
彼と彼が戦ったライバル馬たちは、輝いていた競馬の証になっていると私は思います。
最期に家畜を超えたという証しを与えられたとしても
それは長い苦闘の時間に対しては、あまりにも虚しい・・・
じっと見つめる目があった事の方が
良きはなむけとなったことでしょう。
こんな結末でした。。。
悲しいけれど、これが事実と言う事で。
競走馬は立てなくなった時点で、安楽死というのが常識になってしまいました。
立てなくなった馬は、生きている方が苦痛だからです。
一番悲しい想いをされたのは、きっと的場騎手だったと思います。
安楽死処分をされた後でも、それを信じられずに
自分の相棒の死を、自分の目で確認しに行こうとしたとか。
飯塚調教師に止められ我に返った的場騎手は、周囲の目を気にする事も無く男泣きしたそうです。
ええ、私もたくさんのものを彼から貰いましたよ!
彼がいなかったら、結婚出来たかどうかもわかりません。
息子だって生まれていなかったかも知れませんから。
これを読んでいただいて、saloさんの心にも何かが残ってくれたら
私も、そして天国のライスも幸せです。。。
こんな幕切れに…
なんとなく、記憶にあるような…レース途中で骨折したって・・・
ライスから、いろんなものをもらえたんですね~
招き猫さんにとって、運命のお馬さんだったんだ。
感慨深いですね。
いいお話、読ませてもらえました。
ありがと@
全部読んでくださって、本当にどうもありがとう!
ね?いいお話でしょう?
きっとここへ来て下さらなければ、♪バナナっ娘さんは競走馬の事など知らなかったと思うし
♪バナナっ娘さんに知ってもらえただけでも、これを書いた理由になるって思いました。
本当はね、競走馬って走らないと言う理由だけで、他の家畜と同じ様な運命になっちゃうんだ。
だからこうしてたくさんの人に自分の走る姿を見てもらえて、たくさんに人に影響を与えられた
ライスシャワーと言う馬は、幸せだったんじゃないかって思います。
ただひとつ残念なのは、このように活躍した馬たちの場合
本当ならばもうひとつの武勇伝が語られるのです。
それは、種牡馬としての活躍です。
彼の子供が同じ様にターフで活躍できたら・・・
私はそれをとっても楽しみにしていたんですけどね。
きっと♪バナナっ娘さんが言うように、彼は天国で走り続けていると思います。
その後、同じ様に天国に旅立ったライバルたちと一緒に・・・。
はい、思い出と共に大切なものも貰いました。
彼には感謝ですね。。。
きっと彼に何かを貰った人は、私だけではないはずです。
今でも6月4日の彼の命日になると、お墓には彼が大好きだった果物が届くと言います。
きっとたくさんの人に、彼は何かを伝えたんだと、私はそう信じています。。。
泣けますにょ~。・゚・(*ノД`*)・゚・。
いやぁ、こんなに良いお話だったとは・・・・・・。
久々に感動するお話を聞か(読ま)せていただきました(≧ω≦)ゞ
左前第一指関節脱臼・・・・。
痛かったでしょうね。。。
安楽死処分は、
残酷だけど、ライスの事を思うと
一番の選択だったのかもしれないですね、、、。
ライスシャワー・・・・・。
あたしもあなたの事が好きになったよ・・❤←
お墓、、
作ってもらえてよかったね(*´・д・)
もう痛い思いはしなくていいんだよ(*´Д`*)
天国で、好きなだけ走ってね♪♪(*´∀`*)ノ
ライスシャワーから大きなもをいただきましたね。
いい出会いでしたね。
おれのギャンブルはとてもじゃないけどいい思いではありませんよ。。。
え!?
今は勿論全くやってませんよーっ!