Nicotto Town



いよいよ夏祭り♪


夏祭りモードにもどしました。

いよいよ夏祭りです。

田舎ではお盆の為に帰省してくる人が多いので、

それに合わせて夏祭りが多いのです。

子供の頃、数日かけて、母の湯治について行った時の事、

二つの夏祭りに遭遇しました。

母は突然体に発疹とひどく赤くはれるぼたぼたの膨れ上がった状態が

体にできました。

寝返り打つのも痛む状態になりました。

今で言う「帯状疱疹」の症状ですが、当時は蕁麻疹と呼んでました。

薬もべたべたに塗りましたが治らず、シーツは糊がけをせず、
ガーゼの寝巻を何度も取り替えました。

近所のおばあさんの助言により、安くてよく効く湯治場を紹介してもらって、

1週間、1週間いました。

数年かかりましたが、
子供ながらにその体を見るのはどんなに苦しいだろうと想像がつきました。

雅子さまがそのご病気だと知って、母の長い苦しみをまじかに見てましたから

お気の毒に思っております。

祖母は厳しい姑でありましたが、それでも、家が暇になる月は何年間も1週間位ずつ

湯治に通わせてました。

祖母は子供が自分の事は自分でできる年齢で良かったとよく言ってました。

留守番ができたからです。

これが乳飲み子だったら、

昔はいつも母親が抱いてなければならず大変だったとおもいます。

服の襟もつらいので、柔らかい布を縫いつけてました。

酷い時はスカートもブラウスに縫い付けて、
ウエストの部分が肌に当たらない様にしてました。

数年間でしたので、私はしっかりと母の苦しみを目の辺りにしています。

心無いカキコミを見る度に、関係ない人の此処無い言葉を浴びせて家族を

苦しめさせた人の事を思い出します。

祖母の姑の嫁いびりのせいにしたり、
母が怠けたいからとその体のあのひどい状態を知らないのに言う人に
どれほど更に家族が苦しめられたか。

子供だって、母に抱かれる事も我慢して、そっと手に触れるだけでいたのに。

小さな妹だって、母の体の状況を見て、ちゃんと我慢をしたのに。

祖母は自分のお金を出して、湯治場に何度も行かせたのに。

関係のない人ほど、ひどい無責任な言葉を浴びせるのが子供にはわかりました。

これ見よがしに無責任に入り込んでくる怪しげな人もいました。

おかしな宗教も入り込もうとしました。

追い払うと嫌がらせの吹聴して行きました。

長い年月だったので、子供から事情の分かる年齢になってました。

結果的に誰が良い人だったのか、悪人だったのかが、解るものです。

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2011/08/10 04:43
ジョシィー様

当時は蕁麻疹とよばれてました。
驚いたことに大人の話を傍で聞いていた記憶によると
割と同じ症状で苦しんでいる似たような女性がいました。

「実は俺の女房も・・・」とそっと打ち明けて帰る男の人もいましたから、
その家も大変な思いをしていたのだと思います。

私が小学1年の時ですから、それはとある理由で解ります。
(小学校入学前は汽車賃がただで宿賃もただでした。)
で、小学校入学前とごまかしてついて行っていたので子供ながらに記憶にあります。

妹が一番母親に甘えたい年齢なのに、手しか握れなかったのはつらかったと思います。
最初に私だけがついて行けたのは、汽車から降りてかなり歩かなければならなかったからです。
母におぶさる事が出来ない以上は私が連れて行って貰えるぎりぎりの年齢でした。

次の年になると別の所を紹介されました。

其処は汽車から降りてまだ近かったので、妹がついて行く様になりました。

子供を連れて行くのは残された人の負担を少しでも軽くしようとする母の考えでした。

また、皮膚炎に聞くと言う湯治場を紹介してくれたそれぞれの家も蕁麻疹で苦しんでいるおばさんが居ました。

何が原因なのかは解りません。

当時はまだ禁止されてない印刷インクも出回りましたし、戦後ナイロン製品も出回りました。

母はブラウスの首の辺りとブラウスの袖口とウエストが真っ赤にぼてぼてになってました。

それ以外にも濃い色の外国製の下着をつけたら、
しばらくしてパンツの後を残して残りが真っ赤になりました。

今推測すると、妹も3歳で手が離れて、おしゃれをし始めて外国製品が入ってきて、
ゆとりが出てきて、おしゃれをした中にそれまで日本人の綿とか麻の製品を着ていた体に
海外の化学製品でできた布や化学着色剤が合わなかったのかもしれません。

そんな事、気が付きもせず多くの日本女性が突然苦しんだのかもしれません。

唯、移る病気じゃないと血液検査で解明はされましたので、
蕁麻疹と言う診断がされた事はまだ幸いしました。

そんな時代でした。

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2011/08/10 02:06
辛い思いをされたのですね;;
でも、その中からしっかり学ばれたのですね・・・賢いお子さんだったのでしょう^^;

まだ、医学的な知識が一般に知れ渡らない頃は、帯状疱疹はそんな扱いをされたのですね・・・
お母様の何年にも渡る闘病は、お子さんとしてもお辛かったと思います。

厳しいお姑さんはお心はお優しかったのではないでしょうか、お嫁さんに期待もするから厳しくされても、ご病気に対しては、湯治に出して下さる程、気にかけて下さったと言う事なのですね。

ブログを拝見しただけで、端からこんな事を申し上げるのも、なんですが・・・^^;
のたもた さんのお気持ちは、分かる様な気が致します。
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2011/08/08 16:12
ロイ様

その通りだと思います。
話を聞いてくれる人が一番必要なんだと思います。


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2011/08/08 13:20
そのとうりです。 無責任な評論家が多すぎて、困ったものです。 よく知らないのに、批判をし、いらない助言をする。 でも、それを逆にされると怒り出すという、たちの悪いもの。 もう、虐めのようなものですね。

それより、ぐちを聞いてくれる人、賛同してくれる人、(そして親身に手助けしてくれる人)が身近にいると幸せなんだろ~な。

あれ~、私、無責任な評論家みたい(>.<)



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