ガムと目的と手段について
- カテゴリ:日記
- 2011/07/27 01:11:12
……睡眠時間約14時間、起床18時半。順調。
生理中はほっとけばたくさん眠るから、生活時間ずらすの楽だー。
女好きで頭の足りない勇者と旅をする、魔法使いになった夢を見た。
例によって、口の中でガムが無限に増殖する呪いにかかっていた。
舌に絡まり喉を塞ぐ、執着。
吐き出しても吐き出しても、己の中に湧く、執着。
執着。執着。執着。いきがくるしい。
買い物行こうと思ってたのに、雨が降ってるので断念。
足りないものはコンビニで買ってきた。
以下、自分の自分による自分のための、
自分の頭を整理しようとする長い独り言だよ!
私は、本当にやりたいことにしか、本気になれない。
ので、この先自分がいかに生きるべきかについて考えるとき、
まず主題とすべきは、「私は何をやりたいのか」
「私はどんな感覚を幸せと感じるのか」だろうと思う。
取り敢えず、実現可能なレベルにリサイズするのは後に回して。
私は何をやりたいのか。
「唯一自分のものであり自分自身である、物語を育てたい」
(外に向けて発表したいのかどうかは、よく分かっていない)
私はどんな感覚を幸せだと感じるのか。
「自分がこの世の誰とも違う、唯一無二の存在と感じられるとき」
(かつてハルヒが感じた焦燥に近いものが背景にあると思う)
……確実に、自己無価値感と自信の無さからきているな。
私の考える物語に、価値とオリジナリティはあるのだろうか。
それから、
「新しい知識が私の中に侵入し、私の脳のキャパシティを拡張する感覚」
「知識たちの関係性が繋がって、私の中で物語が大きくなる感覚」
要は、自分なりに建設的に、頭を使ってる実感がある時、かな。
この快感は本当に凄まじい。ほとんど官能的なまでだ。
(あーだから頭使う本とか読んでると、突然えろい妄想が浮かんだりするのかも)
できることなら、この「脳を使う」感覚を追い求めて生きてみたいものだ。
私にとって、物語は生きていく手段であり、目的でもある。
でも、あくまでそれは自分の内面のことであって、
もうちょっと現実を見ると、私にはまた別の生きていく手段、
要は生計の道が必要なのは疑いようもない。
できればその生計の道もまた、手段であると同時に目的になってくれたら、
こんなに嬉しいことはない。と言うか、そうでないと生きる気も失せる。
私は、本当にやりたいことにしか、本気になれない。
本当は、本気で生きたい。
ニヒリズムに生き、他人を批評し冷笑するだけの存在で居たくない。
誰が何と言おうと、全力で魂を燃やし尽くしたい。
自分がオリジナルの存在であると言う実感、頭を使う喜び、
物語を育てられる経験値を得ること、
それらを感じられることを、一生の仕事にできたら。
はい、ここまで理想論。
1000文字超えたので一旦終わっとく。