自分と
- カテゴリ:30代以上
- 2011/06/26 15:39:35
ちょっと哲学チックだけれども、最近よく考えること。
自我と世界との関係性を語るときに
西洋哲学というのは自我を「点」のように凝縮して考える。
(心理学では自我の要素を心と身体、さらに心を感情や思考に
分解していく。)
それに対し、儒教や東洋思想では自我を社会とか「天」とか
「世界」とかに拡大して同一化を計る。「志」=
「なすべきコト」=「天からの使命」のように。
仏教では、さらに自我を世界・宇宙を超越した「空」にまで拡大し
一方で「点」の無減小の「無」がある。
そして世界の中では輪廻が廻っている。
まとめるとこんな感じかな?
無←点←自我(志)→「社会」→「天」「世界」「宇宙」→「空」
西洋 輪廻
やっぱり哲学って経験論の体系化である以上、
国や自然、文化が違うと思想も変わるのだな。と思うわけで。。。
ちなみに僕はどれが正しいとかは分かっていません。
科学の世界になると
脳科学とか進化とか複雑系、宇宙論とか
現在進行計で面白い発展をとげているのですが
上の概念にあてはまる部分もあったり無かったりです。
宇宙を超越する存在「空」なんていうのは、ビックバン以前が
わからない以上、他の宇宙があるのかどうかも分からないわけで
マッチしていますよね。
多分、確たる観測結果をベースとして理論だった科学体系に
いつかは思想のような経験論体系は飲み込まれるのだろうけれど、
結局、自分達がどうしたいのか。という決定をするときに
経験論であれ理論であれ知っておくことが役に立つと思う。
という 勉強しよう! ということを自分に言い聞かせる無難な結論。
いろいろ考えていただいてありがとうございます。
僕らの中の原子の中の、そのまた素粒子の中に宇宙があったり、無限小のビックバンが起きていたり
宇宙の外側に、それを構成物質とする宇宙があって。。。
とか
ビックバンの前の向こう側にも世界があって、そっちは時間が戻るのが進む方向だったりして。
それが連なっていたり。。
と夢想します。
大も小もどちらも無限に広がっていて、有限なものが無限を生み出すってのが不思議ですね。
と言う無難なコメントになりました。