チェルノブイリの祈りー未来の物語
- カテゴリ:日記
- 2011/06/08 00:13:31
ご紹介したい本があります。
『チェルノブイリの祈りー未来の物語』
スベトラーナ・アレクシエビッチ著
岩波書店
手元にあります。
入手しにくくて、アマゾンで調べたら古本で3倍の値がついていました。
ジュンク堂に訊くと京都店で一冊残っていると言われ
(ジュンク堂はいつも親切♥)郵送していただきました。
岩波書店なので、すぐに重版はしないんです。
だから手に入らないものと思っていたのですが
調べたら、6月16日に文庫本になると知りました。
今読むと、相当堪える本です。
でも素晴らしい。
チェルノブイリ原発事故に遭った被害者たちの孤独な声です。
インタビュー集です。
冒頭、消防士の妻の話
新婚でした。赤ちゃんがお腹の中にいる新妻。
こんなに怖くて、美しく悲しい愛の物語を
わたしは読んだことがありません。
何よりも真実だということに、打ちのめされます。
加害者はわたしたちです。
チェルノブイリは遠く、ロシア人は閉鎖された社会に住んでいる。
そう思って、悲惨であると知りながら、忘れることにしたのだと
自分を振り返りました。
作者のスベトラーナ・アレクシエービッチは語ります。
最初はチェルブイリに勝つことができると思われていた。
ところが、それが無意味は試みだとわかると、口を閉ざしてしまった。
自分たちが知らないもの
人類が知らないものから身を守ることはむずかしい。
チェルノブイリはわたしたちをひとつの時代から
別の時代へ移してしまったのです。
わたしたちの目の前にあるのは誰にとっても新しい現実です。
いろんな人を訪れて語り合い、記録した彼女は
未来を書き記していると、結んでいます。
チェルノブイリの先にフクシマがあったことに
深く、深く、頭を垂れる想いです。
ほんの少しだけ周辺を見つめると
核廃棄物処理場の現実に行き当ります。
貧しい地区の人々の住む、緑豊かな大地に都会で使った
残りかすの猛毒を埋めるのです。
そこの人々の暮らしがどうなっていくのかを
わたしたちは知ろうともせずに。
実は最後まで読めていません。
ゆっくりとページをめくり、噛みしめて、ため息をつき
本を閉じ、また心して読むのです。
その繰り返し。
どうしてこんな酷いことを忘れ去ろうとしたのだろう。
どうしてこんなことが日本で起こってしまったのだろう。
その二つの想いが、わたしの心と頭を埋め尽くすからです。
池澤夏樹さんが休んでいたブログを再開されました。
3・11以降発表されたコラムなどを載せておくと書かれていました。
中でも1990年秋に発表された「楽しい結末」の抜粋
「核と暮らす日々」は彼の基本姿勢が現れています。
分かりやすい言葉と表現で批判されてるので
一読をお薦めします。
http://www.impala.jp/3.11/index.html
また、種まきジャーナルという関西のラジオ番組ですが
ここで京都原子力研究所の小出先生が
月~水、政府、メディアの発表についての分析と、いまある
現実について分かり易くお話してくれます。非常に厳しい話ばかりですが
とても参考になります。
http://www.youtube.com/user/nyugankenshin
たぶん、誰かを責めて終わりになるような現状ではないと
わたしは思っています。
これから、わたしたちがどうやって生活を変えてゆくのか
その帰路に立たされていると考えています。
怖い本ですね。
理解しようとすると、思考停止に陥るのです。
全身鳥肌が立つような感覚に襲われて、
ちょっとした目眩がおきそう。
今、巷に溢れているのは、原子力がいかに危険かという
ジャーナリズム、学者の立場からの説明本に近い、とわたしは思います。
本当の被害者たち、いわば受け入れるしかない弱者の言葉は
数年は出て来ないでしょう。
今はただ、茫然と事実を受け止めるだけで精一杯なのです。
当たり前のことですね。
本当の意味で泣くことすらされてない方々が大半なのではないでしょうか。
今でなければ、読んでも遠い国の話としての感想しか持ち得なかったでしょう。
ところが、すべてが理解できる。
雲が流れる。風が吹く。原子炉はあいている。
この単純な普通の人が醸し出す言葉だけで
怖いほど状況が伝わってきます。
極限状態を受け入れざるを得ない人々の、真の言葉は
みんな、無意識かもしれませんが、哲学的ですらあります。
チェルノブイリは過去です。
しかし、フクシマの人たちも数年後、同じことを語り出すかもしれない。
未来の物語、という副題は重い意味を持って
投げかけられてきます。
小出先生いわく、いえ、他の原子力推進派の重鎮から漏れた言葉は
原子力との戦争中なのだ。
知れば知るほど、事態は重く、立ちすくみます。
たぶんね、これからいろんなことが出てきます。
予測がつきません。
何もかも初めてのことでしょう。
その時に問われるのは、個人として在り方であり、考える能力
いわば意思でありましょう。
自分の頭で考え、情報を読み取り、何が一番自分にとって
確かな行動であるのかというを、深く考える時期であると
わたし自身は思っています。
読んでくれてありがとう。
今、読むのは辛い本ですが、今読んでこそ価値があるとも言えますね。
届いてから、まるでお弁当を早食いでかっ込むように、
読んでしまいました><。。。
読まずにいられませんでした。
ゆっくり感情移入をしてしまうのが怖くて。。。TT
黒猫手鞠さん、すごい、と本気で思いましたよ~。
読み終わりかけのとき、左肩が痛くなったけれど、
寝不足と、もろもろのせい。
気のせい気のせい、と手で払って^^;
もう大丈夫。
たくさんの人に読んで欲しいですね。
ちょうど、ツイッターで見つけた、広瀬さんの記事を読んだばかりだったので、
まさに~。とTTみんなこんな気持ちだったに違いないのです。
·
siva0cipher Roy Rang さんのツイッターを引用
「人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学」広瀬弘忠 http://j.mp/jBDAq4 ・異常事態でもなるべく正常な状況の許容範囲と思いたがる「正常性バイアス」がかかるから。・避難勧告すべき管理者がパニックを警戒して、被害を過少に連絡して、逃げ遅れが発生してしまうから。
被爆を加速する、この正常バイアスが怖いです~。
お久しぶり^^お元気そうだね。
いろいろと頑張っているんだろうなぁw
チビちゃんと一緒に食べるおやつとかも手作りで^^
実はこれ、観ましたwありがとう。
原発事故が起こる前だったので、話題性が低かったんですね。
その時に観て、ああ…フィンランドは考えているんだなぁ。
日本はどうしているんだろう。。と思いました。
まさか。。です。
こんな事態になるなんて。。
とても映像が綺麗ですね。北欧の技術力の高さを感じます。
原発は燃やす時はCO2が少ないですが、
ウランを採掘する時の過程で、かなりのCO2を出す工程があるんです。
またその採掘場周辺が悲惨なんです。
チェルノブイリは知られていますが、知られていない場所も
世界中にはたいくさんある。そのことに震撼します。
わたしは以前より原発には反対でした。
反対だったけれど、よく知らなかったことを思い知らされます。
核エネルギーを取り巻く環境を、調べ出すと
愕然の連続です。
人類の進化と同じ時間、燃え続けるエネルギーなんですからね。。
過信もいいとこでありました。。
弱者に犠牲を強いるエネルギーであることを
決して忘れてはなりませんね。
とっても忙しいだろうけれど、また遊びに来てね^^
幸せそうで嬉しいわ♥
丁度「10万年後の安全」という映画をおすすめにまいりました。
原子力発電をには放射性廃棄物が出てしまうのですが、これが無害なものになるには
10万年かかるそうです。
放射性廃棄物処理場・・・処理できなにので保管庫というべきなのですが、
そこにかかわる人々へ10万年後までの安全の保障をどうするのか?というような問いかけをする映画です。
原発本体以外にもこんな大問題を抱えていたことを知らされました。
http://www.uplink.co.jp/100000/
DVD発売はまだ先だと思いますが、機会が見てみてください。
映画のなかで、石油がなくなるように、ウランも100年後に使いつくす。という専門家の意見がありました。
あと100年程しか使えないかもしれないエネルギーのために、10万年後まで恐ろしいリスクをともにすると知らずに過ごしていたとは・・・とショックでした。
自分は火力発電に比べてクリーンなエネルギーかと思っていた気がします。
国が崩壊したソ連とは違い、日本のでは安全管理のレベルが高いから、あんな事故は起こりえない!
なんて思っていた自分の無知さにかなしくなりました(ームー。)
恐ろしい事故の危険性と、10万年分の責任をおって生活、消費している、という自覚を持たねばいけないと思うわけです。
久々ののんびりタイムに長々書いてしまいました(^^;)スミマセン
また、遊びに寄らせてもらいます♪
昔、核実験が盛んだったころ
地球上に人類の進化と同じくらいの時間が留まり続ける
物質が振りまかれたそうですね。
子どもは守ってあげたいですね。
心からそう願います。
子供を作ってしまったことを後悔するような、そんな世の中が訪れてしまうかもしれないですね。
人にはそれぞれの生活があります。
とても大事なことです。
原発を考えることは、どう生きるかということとも
繋がっているかもしれません。
計画停電があり、モノ不足があった。
今はお茶などの農作物の被害があります。
でも忘れてゆくんですね。
そうして知らない間に変わっていきます。
仕方のないことですが
どう変わるかが問題なのでしょうね。
何ができるかを
細長く、途切れず考えてゆくべきなのでしょうね。
一過性の留まらず。。
一度読んでみてください。
あまりにも悲しい本ですが
実際にあったことなんですものね。。
はい。お待ちしてますね。
今を逃すと、人は慣れてしまう気がします。
こうなってしまった以上、生きる術かもしれませんが。。
「核」というものの本質を学ぶべきなのかもしれません。
今この時だからこそ、と思います。
原発もリスク管理の側面から見ると
安いエネルギーではあり得ませんよね。
なぜこうなったかは
政治もそうだし、企業の在り方も
そして何よりわたしたち自身にまで、問題を落としてゆかねば
ならないでしょうね。
遠くの話でしたね。
それがこんなに近くなった。
信じられない現実に出会うと人はみな
哲学者になるのでしょうか。
深いことばを語り出すのです。
とても痛い本ですがご一読をお勧めします。
読んでおくべき本かもしれません。。
どんなに立派なものを創っても
扱う人間によって曲げられてしまうこともありますね。
それが人を滅ぼすことにもなりかねない。
意図とはどんどん外れて、遠くになることに
寂しさと深い哀しみを感じますね。
自分にかかわりのあることだけに目を向け、全体が見えない。
ともすると、チェルノブイリの時と同じ事を、ほんの少しはなれたところにいるだけでしてしまう。
震災を忘れさせないためのように、
きちんと当事者でいられるように、
こちらに今日も放射性物質は降り続けるのかもしれませんね。
黒猫手毬様のブログと3.11を読んでそんなことを考えました。
付け焼刃的でない、きちんとした支援をしていかなくては。
震災以降たくさんのことを調べ、
たくさんの情報に触れて、諦観のようなものを
いつも心においていたのですが、まだ諦めるのは早いのかもしれません。
何か出来ないか、考えてみなくては!
チェルノブイリの祈り、読んでみようと早速注文しました。
また、読んだらコメントさせてくださいませ。
教えてくださってありがとうございます。
各会社では自家発電併設を取り入れるところが
増えてきていますね。
リスクが大きすぎます。安くつくエネルギーではないんですね。
事故が起こればわたしたちの社会では
納めることができない影響を受けてしまうんです。
星を創ったエネルギーを手に入れることは実に魅惑的ですが
所詮、僅かしか生きていない幼い人類の思い上がりですね。
より生活のためになる運用をしたり
もっと生活のためになるものに替えてしまったり
人間本位でできるはずなんだけど・・・・
どこかで欲のためにすり替わると
暴走を始めてしまうんだよね。
余分な欲に目がくらんで繰り返す過ちの構造に
そろそろ、きちんと向き合うべきだねぇ。
避難先の生活より「死ぬ自由」を選んだのだと説明されていた。あの人々はどうなってしまったのだろう。
一番の被害者たちはあっという間に命が削られてしまう。心の傷が癒えるまで長生きはしない。
悲しい本ですが本当に読む価値のある本ですね。
文句を言われたのに対して、
「科学者だって人間だ、つながっていたんだよ。ニュートンは微分の概念を発見したとき
知人に郵便を送った。アルキメデスは、金の比重を計る方法を思いついたお風呂から、裸で飛び出して
喜んだんだ」 │・ω・`)<コッショリ ガリレオ先生だ^^;
原子力を発見したのは、わりとこういうタイプの、孤独な科学者。
A.アインシュタイン。
『鏡を持って光の速さで走ると、鏡には何が映るのだろうか?』
たったこれだけの疑問。 それが E=mc^2 なんて式を導き出してしまった。
#質量とはエネルギーですよと。
折悪く、大量破壊兵器の研究が盛んだった><
結果は原爆という産物に・・・・・。
原子力発電、一基の中には ウランに換算して「広島に落とされた原爆の1000倍」の
放射能物質が入っています。
制御してゆっくり燃やすか、制御せず爆発させるか、この違いだけなんです。
#原爆と、原発は。 この辺はご存知でしょうが・・・。
科学者の見つけた、きわめて個人的な有意義かどうかわからないものを、
あるときは有意義なものに、あるときは危険なものに変える、
【人のふんどしで相撲を取る 商業主義的科学者】←偽者科学者とも言います^^;
こういう連中が、もう少し人間的なら? 血の通った科学者なら?
悔やんでも悔やみきれませんね><
一数学者の戯言でした。
Ps. 小出先生の新刊 扶桑社新書 原発のウソ が発売になっているようです。
(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)
ていうか、もういらないような気もします。
代替エネルギーは、いろいろあるから、それを扱えるテクノロジーを成熟させることが急務です。
俺の会社でも、なんだか急に風力発電やるとかなんとか。
いろんな影響がでてくるもんですねえ。