Nicotto Town



お嬢様仕様女子学園に入学

もう、見てのとおりニコ部屋がごちゃごちゃ。
で、もう一つ部屋を作ることにする。
で、其の資金の為に身を売る決意で資金稼ぎ。

今度は、ちびちびと書いて行くことにする。

小6の三学期になって例の中学生不良グループからの「パシリ探し(今度入学する小学生にそれとなく、仲間に入りそうなのがいるか探りをいれる)」が始まる。

ご丁寧に誰か知らんが、私がご推薦されたとか。
それが親の耳に入る。家族会議。

私が行く区域の中学は東大にバンバン入る高校と地元の国立や公立大学にバンバン入る高校との真ん中にあって教師達は其処に入れるだけを目的として存在していた。

それ以外の生徒はゴミの様に切り捨てた。
だから授業に出まいが、学校に来ないがまったく無視。
其の為の捨てられた生徒は度不良になる選択しかない様な中学で、やくざと繋がっている様な子も出てくる有名な学校。

其の為に親は中学に行ったら家庭教師を雇ってと考えていたようだが、其の話が耳に入ったら、そうは行かない。
家族会議の末に私でも何とか入れそうなお嬢様私用中高一環教育の女子学園に入れる事になった。

ぐずる私を其の中学に入ると不良になってやくざに殺されると脅して、女子学園に行く道を選択させる。

それから、学校に連絡して中学受験の為の放課後の授業を受けさせられる。
そんな事が行われていたことも初めて知った。つまり、其の二つの高校の受験のしっぱいを恐れた子供達の為に更に別の校区外の中学があった。其処はかなり受験が難しく、6年になると放課後の授業がそれらの生徒の為に行われていた。

何と家の小学校はこれでもお受験地区でわざわざ其の二つの高校へ行かせるために親が引越しをして入ってくる地区の一つでもあった。
それで6年になると転入生がどっと増えるのである。

で、其の放課後の教室でのテストテストで出来なかった所を教師がつききりで教え込む卒倒しそうな授業が始まる。私は遅れを取り戻すためにマンツーマン。
頭が狂うんじゃないかと思うほど、詰め込まれて、更に知人の個人塾に行かされて、「自由自在」と言う分厚い参考書を連日やらされた。

で、めでたく合格。親戚中が驚くほど高い入学金を払って、無事入学。
其の金額を聞いて裏口入学と言う人も居たが、其のパンフレットを見て、納得。
親はそれを事あるごとに何気に見せて、我が娘がこう言うお嬢様学校に行くことをご近所に「ホホホッ」と自慢。

女子学園は楽しかった。
まず、自家用車通学の禁止を言われる。車で近隣の人が朝の通勤の停滞をおこすからだそうだ。それでも、学校のやや近くに黒塗りの車で送って貰って其処から歩いてくる学生がちらほら居て、最初私が降りる停留所を間違えて、人に聞き聞き、学校についた時はあちこちで止まる黒塗りの車から私と同じ制服の女子学生が降りてくるのを目撃した。
其の子たちの後を付いて行って学校にたどり着けたのだから、まんざら役に立ってないわけでもない。

此の位歩くのなら、普通に電車で来れば良いのにと思うのだが、後で解ったのだが、禄にバスの停留所も無い、高級住宅街に住んでいて、買い物は総て、電話で注文。
あんな坂道を上がり降りしなきゃならない所になんでわざわざすむんだろうかと思うような所にすんでいるのだから、無理も無いとも思うけど。

ある日学校から帰ってくると家の前で二人の男子中学生がキャッチボールをしていた。
明らかに私を待っていたようだった。

例の4年の時まで私を学校に送り届けていた近所のボス的な男子だった。
私は黙って彼らの前にたった。
「何で俺達と同じ中学に来なかった。どんな奴が来ても俺が守れないと思ったのか。」と言った。
私は「じゃ、卒業した後は?3年だから来年は居なくなるじゃない。そうしたらどうするの?」と私は言った。
もう一人の男の子が目を赤くして言った。「俺が悪かったんだ。彼女を守れなかったんだ」そして二人は少し離れた所で何か離していた。

戻ってきて、彼は私に言った。「今の学校は楽しいか?」私は即座に「うん」とうなづいた。
しばらく遠くを見ていて、「なら、いい」と言って二人は帰っていった。

中学校は楽しかった。
そう「ユーミンのBABYLON」の歌の様に・・・。

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2011/06/08 01:57
おーどろくなよ。実はピアノがあって、女中(お婆ちゃんのためだけど)も居たの。
でも、お母さんの作ったお弁当じゃなきゃ嫌!と言ってお母さんが用事作れないときはパン。
髪も毎朝お母さんにすいてもらってカチューシャをつけて学校にいっていたのよ~ん。
妹は自分でブラシですいていた。よってくると私が足で蹴飛ばすから。

信じられないだろうけど、ひろ~く見るとお嬢様の部類に入る。
でも友人の家はがっくしと来るほど、凄い家が在ったよ。
しかも、此の地を牛耳っている企業の社長の娘とか。大手の東京の支社長の娘とか。

まあ、其処で私は姫ではなく、村娘か女騎士になるんだろうなぁと悟った。
現実に規模が違うもの。地方都市でもね。

でも、あの家に住みたいとは思わなかった。
「幽霊が出そうだ」と上端で言ったら口をつぐんでいた。(おい、其処で黙るなよ)と心の中で突っ込んだけど・・・。 (T∇T)いや、マジでどんよ~りしていたよ。
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2011/06/08 01:06
のたもたさん、お嬢様でしたのたのね。おほほほほ

お買い物、いつもは、お女中さんがしますので、お魚のお値段存じ上げないのですわよ。
今日は、お里に用があるとかで、仕方の無い子ですの。 

あ、そのイワシ一皿くださるかしら、うちのネコちゃんにあげますの。

え、一皿100円、お高くないかしら、持ち合わせが80円しか無くて、
カードでもよろしければ、お払いしてよ。

とか、毎日会話しているのでしょうか。
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2011/06/08 00:22
そうなんです。特に苛められた思いでは恨みこつづいと言う感じで♪

それが書ける様になるのは此の歳になってからですね。

でもず~っと私のブログを最初の方から読んで貰うと解るけど、死んだら行けない。

私はその後結婚して子供を二人生んで、成人させて、仕事に付かせています。

専業主婦でお金持ちの生活は出来なかったけど、それでも何とか賃貸のAPで幸せに暮らしてます。

郊外に家でもと考えていたんだけど、其の時は老人になっていて、前にバス停があって、徒歩圏内に病院も学校も必要な物がそろってます。
貯めてたお金は娘と息子のそれぞれのマンションや家の頭金に出しました。WWWW

もう苛めなどで死ぬなんて甘いと言う様な体験も何度もしました。
でも、今東北の人たちが言う普通の幸せは何度も何度も体験しました。

其の幸せが一番の幸せだと言う事を経験してからでも死ぬのは遅くないですよ。
それが何気に感じ取られてくれれば、まあ、文章が下手ですが、くそばばぁ~と呼ばれて、笑い飛ばせる人間になるために日々精進してます♪
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2011/06/07 21:42
私も時々ブログに子供の頃の思い出書いています。

昔のことって、結構鮮明に覚えていますよね。
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2011/06/07 14:38
いえいえ、昔の思い出を書いているのです。

最初のきっかけはツツムさんの飼っていたハムスターから始まったのですが、
次に妹の買っていたハムスターの話になり、次に妹の飼っていたウサギになったのです。

其処でふと小学校時代のウサギ当番の事を思い出し、小学校時代の苛めの思い出になりました。

新しい部屋を作ろうと思うので、いっそ中年おばさんが「2次元オタク」になったきっかけまで今度はぽちぽちと
ガーデニングのレベルが麦藁帽子を貰えるまでをめどに書こうと思ってます。
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2011/06/07 13:24
小説書いてるのですか^^



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