前漢(西漢)・貨幣制度
- カテゴリ:日記
- 2011/06/02 11:40:11
漢の五銖銭
貨幣単位は銭と金。
銭は銭一枚のことで、金は金1斤のことで、大体1万銭相当。
敦煌漢簡・居延漢簡の文書からある程度物価が推測できる。
絹一匹(27.65m)=450-477銭
アワ1石(30kgほど)=105-130
キビ=150
大麦=110
麦=120
肉1斤(258.24g)=4-7
しかし時期がずれた文書ではアワ1石が3000銭になっているものもあり、
当時の相場の変動がかなり激しかったことが分かる。
また地域差も激しかったと思われる。
戦国時代においては各国がバラバラに貨幣を発行していたが、
始皇帝は銅銭の半両銭(約8g)に統一し、国家だけがこれを鋳造できるとした。
漢でもこれを受け継いだが、高祖は民間での貨幣の鋳造を認めたため、
実際には半両の銅を使わずに半両銭として流通する悪銭が増えた。
その後、貨幣鋳造の禁止と許可が繰り返され、政府は貨幣の私鋳の防止を試みて、
三銖・八銖などの銭を発行するが私鋳は止まなかった。
武帝のB.C.113年に上林三官という部署に新たな五銖銭(約3.5g)を独占的に鋳造させた。
この五銖銭は偽造が難しく、これ以後私鋳は大幅に減り、
五銖銭以外の銭は全て回収され、五銖銭に鋳造された。
五銖銭はその後も流通を続け、後漢・魏晋南北朝時代においても引き継がれ、
唐で開元通宝が作られる621年まで続いた。
この五銖銭の発行を契機として、それまで急速に発展してきた貨幣経済は衰退に向かう。