女子猫が1頭、虹の橋を渡りました
- カテゴリ:ペット/動物
- 2011/05/27 21:08:05
昨年の秋に気管支炎になったときには見事に復活してくれた女子猫・赤毛の餡。
通称・あんこ、またはクマゴロウ。赤毛というよりは栗毛色。
今回は風邪から腎臓の機能が急激に低下してしまい、2週間近くの闘病の末、
回復しきれずに、午後2時すぎに息をひき取りました。
享年2歳1ヶ月でした。
赤ちゃん猫のときに性別もはっきりわからないうちに亡くなってしまった子を
別として、4姉妹のうちの1頭。
母猫や父猫(グランパ)の血を受け継いだメインクーン風ミックスのおとなしくて
気のいい子でした。
2階の窓の手すりの上で日向ぼっこや夕涼みをするのが大好きだったこともあって、
気温の変化で風邪をひいてしまったのが、体調を崩したそもそもの原因。
去年も今年も。
手先が器用だった餡は、トレーの中のカリカリを上手にフィンガースプーンで
すくって、そのまま口に運んで食べるのが特技でした。
とは言え、口に入るのは1粒2粒で、ほとんどのカリカリはポロポロとこぼれ落ちて
しまっていたんですけど(´ー`;)
それをまた、何度もすくい取って楽しそうに食べていた子でした。
今週から急に歩けなくなり、それでも果敢にクローゼット内の最上段で眠りたがって、
バタバタとハチャメチャによじ登ろうとしては力尽きても諦めきれず、わたしに
八つ当たりをして大声で必死に騒いでいたのでした。
その後、注射筒(針なし)からの半流動食しか食べられなくなり、昨夜からはその
食事すらも受け付けず、今日はもう、辛うじて砂糖水を飲み込むのがやっとの状態に。
腎臓病は治らなくても小康状態になれば、また歩けるようになるとは聞いていた
ものの、たとえ、下半身不随になったとしても、一生点滴を打ち続けながらでも
生きながらえていて欲しかった思いはありました。
が、彼女はすでに十分にこの世での愛くるしい役目を果たしてくれたのだと思います。
歩けなくなっても、我武者羅にトイレに行こうとしていたし、我が家のホワイトソックス猫・
「トマシーナ」も健闘してくれました。
苦しい思いをさせて助けてあげられなかった命に、謝ることしかできなくなってしまい
ましたが、うちに生まれてきてくれたことに感謝しています。
ゆっくりやすんで、昨年亡くなった姉妹猫やおば猫、いとこたち、グランパ猫と、
虹の橋の向こうで無事に会えることを願うばかりです。
餡の看病にかかりっきりでいた間、最初のうちは野次馬だった女子猫勢も、
わたしに叱られることを恐れて遠巻きにようすをみていたのでしたが、わたしの手が
空いたと見るや、さっそくなんの遠慮もなく自己主張の強い子たちが騒ぎまくって
きています。
まるで、この1週間のツケを取り戻そうとでもするかのよう。
わたしは猫たちのばあやなので、餡の喪に服するのはわたしだけで十分。
みんな元気なのに越したことはないです。
本当はブログに書きたくなかったのですが、一向に訪問できていないいいわけとして、
赤毛の餡のことを書かずにいられなくなりました。
いつまでも忘れないで話題に出してあげることも供養のひとつだと思っています。
訪問やレスができずにいるのは、必ずしも餡のことばかりでなく、3ヶ月以上続いている
鬱病のせいもおおいにあるのですけど。
ウチは希な病気で最初の猫を亡くしました。
それ以来、新たに飼うことにあまり賛成しませんでした。
亡くしてしまうととても、さみしくなります。
でも、現在の拾われ猫2匹を家で見たとき、こいつらを飼いたい、と何故か思いました。
そして今に至るのですが、別に亡くすために飼うわけじゃないし、生きている間一生懸命遊んであげようと思います。
猫ちゃん、逝ってしまったんですね
2年は短かったですけど
つきなさんと一緒にいられて
幸せだったのだと思います
動物と共に生活していれば、人間のスピードより速い彼等を看取る時が来るのは当然だけれど
その時に対峙する為の「時間」で私達は色々教えてもらうね(;ω;)。
私は今、猫はんに本当に助けられてますorz。弱音吐いてもいいんすよ、動物たちは言葉を聞いてるから…。
強くあらねばいけないのは「死へ対峙する為の時間」のその時だけでいいんす。
お互い助け合う関係なんす…意外に(^ ^)。辛い事を彼等に語る事は…大人気ない事じゃないです(^ ^)。
ゆっくり…ゆっくり歩きましょう(*^^*)
悲しいですね。私は以前、猫も飼っていましたが、
いまはセキセイインコと暮らしています。ペット
(この言葉は抵抗があるんですが)と暮らして
いれば、いつかはこの日が・・という思いはある
んですが、何度か涙ボロボロの想いを経験しています。
二歳は早すぎですね。でもこれは、はたからみている
人間の思いで、つきなさんが、”十分にこの世での
愛くるしい役目を果たしてくれた”と思うのであれば
それ以上の言葉は有りません。”虹の橋”は渡ったの
でしょうか?それとも橋のたもとで、愛する人の来る
のをいつまでも待っているのでしょうか。