ベトナムの葬祭
- カテゴリ:日記
- 2009/04/17 18:39:18
今日は、ベトナムの冠婚葬祭についての講演会があったので、お話を聞きに出かけてきました。
結納式、結婚式についてのお話も興味深かったのですが、極め付きは葬儀についてのお話でした。
講師はハノイ在住でベトナムの宗教史、民間信仰史を研究していらっしゃる先生で、
ユーモアを交えてとても面白いお話をしてくださいました。
ベトナムを含め、アジアの国々のお葬式は日本のお葬式のように、静かに死者を弔うのではなく、
音楽をかけたり、泣き役専門の人を雇ったりして、厳粛さとは違う雰囲気でお見送りをします。
夫も、数回参列しているのですが、風習の違いに圧倒されて帰ってきますし、
ある日突然、歩道にテントが張られ、お葬式会場になるので、私もよく目にします。
ベトナム人は元来、激情に駆られやすいという国民性を持っていて
音楽や代わりに泣いてくれる人たちが、彼らの感情を緩和するのに役立っているそうです。
驚いたことに葬儀の途中で、悲しみのあまり分別ができなくなった人が、
自虐行為で亡くなってしまう場合もあったそうです。
お話を聞きながら、「うん、うん」と心の中でうなづきながら、全て納得でした。
「私のベトちゃん理解度も、いい線いっているわ!」
日頃の探検と観察の成果を確認でき、満足でした。
それともう一つ印象に残ったことは、アジアの国々の中で、
「世間様」を意識して行動するのは、日本人くらいだろうということ。
「世間様に顔向けできない」という観念は、ベトちゃん達は持ち合わせていないそうです。(納得!!)
これが根底にがあるから、日本人は強制されなくても、
ルールをを守ったり相手のことを思いやることができるのでしょうね。
日本人の美徳とも言うべきこの観念を、いつまでも失ってほしくないし、
何より私自身はずっと持ち続けていこうと、強く思いました。



























泣き女と呼ばれる人の存在は、中国や朝鮮半島のお葬式では欠かせないものと聞いていますし、
聞くところによると、大昔は西洋にもあったとか。
私も「世間様」の存在は必要だと思いますよ。
東アジア全般にそういう風習があるのかな???
クールちゃんは日本にもかつてそういう人たちがいたって聞いたことあるそうだし
日本でも地方によってはいろいろありそうですね
「世間さま」というのは、なんとも厄介なモンだと思っていましたが
スワンさんがおっしゃるとおり、そういう「目に見えない存在」
たとえば西欧なら「神様が見てる」とか、
そんな自分よりさらに大いなる存在を感じて自分を律してゆくことは
ともすれば「自分だけの力で生きている」と放漫になりがちな人間にとって
大切なことだな、と思いました
時代と共に、いつの間にか居なくなってしまったみたいですけど。
必要なくなったから、なのか、日本人の近代化で何かが欠けてしまったのか・・・。
相手を思いやる気持ちは大切ですよね。
でも、最近はそういう人は世界中で減ってきているようにも思います。 (涙
ベトナムの歴史は、中国の侵略・支配→フランス植民地→ベトナム戦争と、
アジアの中でも気の毒なほど、古くから他国の支配を受けて続けてきた国です。
今のこのエネルギーは、こうした歴史が醸しだしたものなのでしょうね。
ハノイでの生活は、等身大のベトナムを体感できる機会なので、
私自身の目で見て、体験して、この国のことを知るつもりでいます。
それは同時に、視点を変えて日本を見ることにもなるのですね。
いらっしゃいませ。
私はベトナム人をベトちゃんと呼ぶのは、
ベトナム語で彼らをグォイ(人)・ヴィエット(ベトナム)と言うことと、
彼らの長所、短所を私なりに受け入れたつもりで、親しみをこめているのです。
日本人の美徳が、裏を返せば欠点にもなる・・・
ものは様々な面から見て、ようやく真の姿がわかるのですね。
私も「世間様」のお話を聞き、すっきりしましたが、
ベトちゃん理解の道のりは、まだまだ続きそうです。
「自分がどうありたいか」この気持ちも理解できますが、
とりあえずは、信号や交通ルールを守るという命に係わる事柄は正してほしいものです。
文化が適度に流れてくるくらい離れていて、それでいて攻めるには遠すぎる。
この距離感が日本独自の文化を育てたんだと、出国する飛行機の中で
地上を眺めながら思います。
大陸は侵略と生き残りをかけ、民族の攻防を繰り返してきた歴史と土壌があります。
それゆえ、みんな逞しく、時にはキツく感じてしまうのかもしれませんね。
というのは建前で、目の前でやられると、ムカッつくことも多いですね^^;
東アジアの小さな島国日本が西洋諸国に立ち向かえるほどの技術と経済力を
持ちえた不思議。
それゆえに侵略に踏み出した歴史もあります。
海外で暮らすことは、日本の良さや、悪さも見直す機会でもあるのですね^^
西洋は<神>の文化。
日本人は周囲を気にするため、一人になると・・・。
西洋は神様が見ているので、一人になっても・・・。
日本人の美徳である反面、
<人が見ていなければ>が欠点。
「世間様!」これの感覚の有無。
たしかに日本人は「人からどうみられるか」が大切な国民。
対してベトちゃんたちを初めとするほかのアジア諸国は
「自分がどうありたいか」を強く意識している国民性。
これでは日本人のわたしたちが唖然とするのも無理はないですね(苦笑)。
たまに「わたしはこうしたいのだ!」といいたいこともあるけれど
ぐっと飲み込んでいる日々を送る身の上としては、うらやましいような
複雑な気持ちですね(笑)。