『平家物語』に見る陰陽道 8
- カテゴリ:その他
- 2009/04/15 12:26:25
○泰親勘状
(巻第四 三 鼬の沙汰の事)p190
同じき五月十二日の午の刻ばかり、鳥羽殿には、鼬(いたち)おびただしう走りさわぐ。法皇御占形(おんうらかた)遊ばいて、近江守仲兼、…、御前へ召して、「これ持って安倍泰親が許へ行き、きつと勘(かんが)へさせて、勘状を取つて參れ」とぞ仰せける。仲兼これを賜はつて、安倍泰親が許へ行く。…、勅諚の趣き仰すれば、泰親やがて勘状をこそ參らせけれ。仲兼、これを取つて鳥羽殿へ馳せ參り、…、泰親が勘状をこそ參らせけれ。法皇これを開いて叡覽(えいらん)あるに、「今三日(みつか)が中(うち)の御悦(おんよろこ)び並びに御歎き」とぞ勘へ申したる。法皇、「この御有様にても御悦びはしかるべし。又いかなる御目にか逢ふべきやらん」とぞ仰せける。
《訳》
同年(治承四年、一一八〇)五月十二日正午頃、鳥羽殿(城南の離宮)ではいたちが無数に走り回って騒いだ。(後白河)法皇は占う事象を記されて、近江守仲兼(なかかね)を召して、「これを持って安倍泰親の所へ行き、すぐに吉凶を調べさせて、勘状をとって参れ」と命じられた。仲兼はこれを頂戴して泰親の所へ行く。法皇の仰せの旨を記した書を示すと、泰親は直ちに勘状を差し上げた。仲兼はこれを取って鳥羽殿に走り帰り、泰親の勘状を差し上げた。法皇がこれを開いてご覧になると、「三が日中に御慶事、ならびに御凶事」との勘えが記してあった。法皇は「このような有様(幽閉状態)でも慶事とは結構なことである。また如何なる(憂き)目に逢うのだろうか」とおっしゃった。
《解説》
勘状とは非常の事態や行事に際し、諮問に対して陰陽師などが古例を勘(かんが)え調べ、天変地異・方角・日時などの吉凶を占って、その結果に基づき所見を奉った書。勘文とも。勘文奏上は陰陽寮の日常業務であったことだろう。異変を察知したいたちの異常行動から、泰親が占術により、その天意を読み解いた場面。
〇〇の行事の日程は日柄が悪いので、いついつに日取りを変え、何々をしなくてはなりません。見たいな事をもっともな理由を書いて提出していたのでしょう。テキトーに書いて、外れたら大目玉、だったかもね(笑)
日常的に様々な事を調べて、更にそれを元に多方面の吉凶を占う…それが仕事とは言え、責任重大だったんですね。