泣かないのではなく泣けない
- カテゴリ:日記
- 2011/04/04 17:12:43
あまりに痛みが強いと、人は何も言えずに声を飲み込む。
それと同じで、あまりに悲しみが強いと、人は泣く事はできない。
そんな状態は、はたからみると何も感じてないようにみえる。
心は空っぽで、なにもする気が起きなくて、ただ呆然としているだけなんだが。
泣かないのではなく、泣けない。
泣けない被災者を16年前はこの目で、この震災ではTV画面を通して多くみた。
マイクに向かって、家が流されたこと、家族を失ったこと。
ただ平板に話すの被災者の、その見えない悲しみを理解しないと。
ニュースの映像は、無神経で残酷なものに変容する。
私の父が死んだ時、母が虚脱状態、姉夫婦は遠方に住んでいた。
確実に動けるのは、私しかいなかった。
葬儀会社の手配から、会場の確保、人の配置まで。
葬儀はする事が山ほどある。
泣いてる暇なんぞない。
葬儀ってのは、そんな風に忙しくすることで、悲しみで立ち上がれない人を動かすためのシステムでもある。
親しい人は、泣かない私をしっかりしてるといい。
親しくない人は、泣かない私を冷たいといい。
・・・私の場合はこうだった。
私はとっちでもない、ただの普通の人間だ。
怒りも憎しみも、悲しみも喜びも、普通に感じるただの人間だ。
泣かないのではなく、泣けない。
そこにいるのは、普通の当たり前の人だってこと。
それを忘れてはいけない。
きっとそうなんでしょうね。
避難所の生活はゆとりもなく、気がはることばかり。
ほっと独りになった時に、涙をながされいるのかもしれません。
遠くから思いをはせるしかできないのは、辛いですね。
子供の前では 元気でいなくちゃ とか みんなの前では・・・ とか
計り知れません ;;
ありがとうございます。
自分の思っていること、考えていることの半分もかけてないかもしれません。
私も、そこまで悲しい思いをしたこといえるかどうか。
肉親や親友、親戚の死は経験しましたが。
なにもかも、一度に失ったことはありません。
ただ、その喪失感にたいする思いだけは、思いやれる火とでありたいですね。
家族の生死すら不明で、なおかつ家も財産も仕事も喪失。
この状態で何かを考えるなんて、それは無理というものです。
それでも人は生きていかなきゃなりません。
そんな人たちに、どうやって手をさしのべられるか。
そこから考えていかないとなあ、そう思います。
私はまだ、そこまでの悲しい思いをしたことがないかもしれません。
本当にそんな究極の悲しみに直面したとき
そこに真っ正面からぶつかる勇気あるかな??
確かに、人の痛みに心配りのできる人間でありたいですね!
例えば行方不明者を家族に持つ方は、
受けいれなくてはならない現実を目のあたりにして、
でもどこかで生きていてくれたらという希望とで、
まさに、泣くに泣けない日々を送られているんでしょう。
心中を察するに余ります。
大切な人を失う悲しみ。
大きな大きな喪失感は、ほんとに心に穴があいたようです。
受け入れるには、シンさんがゆうとおり、寄り添う時間が必要…。
今回の震災で、大切な人を喪失した哀しみ。
・・・どんなに大きい事か。
避難所での生活だと、思いをはせることすら困難だと思います。
だから泣かない、泣けない、なにも言えない。
その痛みを、思いやることしかできません、
少しでも早く、その痛みを解放できますよにと祈るしかできません。
だから、痛みを知る人で在りたい、そう願っています。
見えない痛みが、いちばん痛いのかもしれません。
誰だって、そんな痛みを抱えてると思います。
それを思いいたれる、そんな人でありたいな、と思います。
コメント、ありがとうございます。
悲しみはあとからふいにやってきたりします。
それも繰り返し、繰り返し。
お久しぶりです、お元気ですか?
私のつたない文章だと、言いたい事の半分も伝えられない。
それでも、何か伝えられたならと思います。
うん、そだね。
先に泣かれると…泣けなくなるね。
体の怪我は目にみえるけど、心の怪我は見えない。
傷つかないはずは無いのに、見えないだけで人は気づかない。
TV取材って、何をしてるんだろうね。
痛みはそこにみえてるやんか、幾度そう思ったかなあ。
むたさんも被災はしたのでは?
計画停電、今も続いてるし、余震もあるでしょう?
「被災者の方は、笑って元気に立ち上がってます」
そう、しめくくるインタビュアーに、あなたは何をみてたの?
って、聞きたかったなあ。
誰も笑ってないのに。
泣かない、泣けない、そして泣く。
私は、翌年の正月、当時所属してたサークルの会合を終えた夜に、いきなりきた。
風邪もひいてないのに、いきなり40度の高熱、それが数日続いたかな?
それが治ってから、いっきに涙もろくなりました・・・それなりに効いてたんだろうな。
どんな時もそうやけど、私も相手の気持ちを思いやれる。
そんな人でありたい、そう在りたいと思います。
そうか、それは心残りになるよね。
私の父は、夏に入院、秋にあの世へやったから、あの当時の思い出って。夢のように思えるな。
看病疲れで母は倒れるし、勤務してた会社は監査はいっててんやわんやで休めないし。
どうしてやり過ごしたのか、今でも不思議。
被災された方たちの気持ちって、今、やっと現実を受けとめ始めたとこと違うかな。
呆然としてた心が動き出して、苦しみや悲しみが動き出す。
それをどう、思いやって、受け止めていくのか。
独りじゃないって、気がついてもらえたら…いいよね。
そうだよね・・・泣いてる暇はまったくなかった。
いらない口出しをしてくる人も多くて。
それでも後からいろいろきたけどねえw
その死に寄り添う時間が人には必要なのだと思います。
生きることが優先されて、強制避難させられることが、
残された人たちに本当に必要なことなのかどうかさえ、
私にはわかりません。
がれきの下に今も眠るかもしれないあの人を置いて、
腐敗が進む大切な人の遺体を残して、
見知らぬ場所に移らなければならない。
そんな人たちは、泣くことも、泣かないことも、できないでいます。
せめてそういう痛みを理解できる人間でありたいものです。
心の目で見ないと 見えないものっていっぱいですね(。◡人◡。)
悲しみはその後やってくるものだと
私も父を亡くしてそう思いました…
全部 ラトさんが 書いてくれてる。。。 感謝。。。
ありがとね~~
体の痛みも、度を超えると防衛するために、脳が痛みを感じないようにするように、
心の痛みだって、度を超えると感情がなくなってしまうのだ・・・
でも、表現することをしないだけで、痛みは痛み・・・感じてるよね・・・
本当にはわからないのだろうな…とは思いますが、
たとえ何もできなかったとしても、私もYureさんと同じく
吐き出せない痛みに気づき、笑顔の奥にある心の傷も忘れず
見守ってあげられる人間になりたいと思います。
泣けないのだと、泣いているのだと、泣き続けているだと、それぞれに気付いてもらえることは、とても大事なことだと思います。 気付いて、見守っていられる人になりたいと思います。
余命半年の宣告されたのに、12年も生き永らえた人やから、既に覚悟をしていたのもあるけど……
葬儀から49日の法要を済ませるまで、何だかバタバタしてて、泣いてる暇なんてなかったのは確かやね。
震災で家も仕事もなくし、今後どうするのかを考えられるのは、もう少し時間が経ってから……
その時に、どれだけの手が差し伸べられるのかに掛かってるね。
俺も会社入ったばかりのとき親父を無くしたけど
訳もわからず施主を努めたけど
泣いてる暇無かったもんな~