やっぱり金八は金八だった
- カテゴリ:日記
- 2011/03/28 00:47:21
まあ、実家に帰ってみんなで見てたわけだけど。
だめだ、俺、涙腺弱すぎ、
何度泣きそうになったことか。
(一人で見てたら泣いてたと思う)
”そいつにゃ金八先生がいるじゃねーか”
”君たちは間違っている!”
”悪か、悪とは何だ
あいつは悪なのか、どうなんだ
危険な実験をイヤがる人間に強要していることに対し、
抵抗することが悪なのか”
常に弱者の立場に立ち続けられる人間は
そうはおるまい。
たとえ一人になったとしても、
その信念を貫きとおせることの大切さを知る。
”先生のためなら”
そう思ってくれる生徒たちを育てられたらいいな。
どうかどうか、私のもとから旅立つ生徒たちが、
困ったとき、行き詰ったときに
私のことを思いだしてくれるように。
ふっと開いた本に、とあるアンケートがあった。
”お母さんが大好き、自分が大好き”という本。
17歳の高校生に、同じ高校生が訊ねたアンケート。
”あなたは人を殺したいと思ったことがありますか”
A.Yes:20%
1位:教師 2位:友達 3位:親
あ、俺と同じ考えだった人間が、
また再生産されてしまっているのか、という絶望。
しかも、本来その子を守ってあげられるべき存在が
殺害の対象として挙げられてしまっている事実。
これほどまでに人を信じることができなくなってしまっているのか、
心通う人間が少ない人間がこれほど多いのか。
同じ考えを持っていれば心が通じるとはいえない。
お互いの考え方の相違を許容し、そこから個人を知る。
そこから生まれる考え方はもっといいかもしれないのだし。
教師が明確にすべき事象は明らかだ。
”教えてやる”ではなくて、
”その子の無限に未来を、可能性を提供できる場を創造する”ことだ。
なぜみんな勉強が嫌いなんだか
教師本人は知らない。
最悪の場合、自分が嫌われている(殺害対象になっている)
ことにすら気づけない。
そこで、教師が行うことはただひとつ。
生徒を信頼しましょう。
そもそも勉強がしたくないなら、学校には来ません。
じゃあなぜ勉強をしないのか、といえば、
その先生の人間的魅力が理解されていないのでしょう。
答案を返すときの一言の言葉、
教師の一挙手一投足が生徒に信頼を与えるのです。
俺のクラスではないものの、
教会には”不良先生ー”と寄ってくる子たちがいる。
柔道に興味を持った子には、投げ技を、
ゲームに興味を持った子には、問いかけを。
ただし、お話を聞くときにはちゃんと聞く、
お祈りをするときにはお祈りする。
それぞれのプロセスを理解させるにおいて、
”君たちが大好きだ”、という思いをのせてあげる。
俺のところにも一人、
社会に投げ出されそうな人間が一人いる。
でも、そいつはやっぱり音楽をやりたい、と言う。
やり直しはいくらでもきく、やりたいならそれをやればいい。
ケツをふけるところはいくらでもフォローをする。
そいつが突拍子もないことを行わない信頼で
こいつは俺に慕ってきてるんじゃないかと。
間違ったっていい、間違ったことをしてたっていい、
ただ、お前が俺を必要とする以上、
それに応えなかったら俺は教師じゃないよ、と。
・・・俺もかつては何を考えているかわからない不気味な存在だった。
だから話しかけてくる人間も少なかったし、
”気持ち悪い”とか言われてたし、
荒れて荒れて、暴力事件にはならなかったけど、
問題ばっかり起こしてて。
でも、それもやっぱり寂しかったんだな、きっと。
構ってほしかったんだな。
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金八DVDボックスは買ってみようと思う。
たとい高かろうと、何であろうと、
俺の人格形成に関わっているアイテムだからだ。
(相変わらず)
まあ、教師を目指したこともあるものの、
残念ながら正規の教員免許を僕は持ってないんですよ。
持っていれば教師になるもの一興なんですけどね。