二晩すぎて
- カテゴリ:日記
- 2011/03/13 12:45:47
サイトに接続できている方は
被害の大小あっても、とりあえずは無事ということですね
連絡が取れない方の状況がとても心配です…
神戸で震災は経験しているのですが
それをはるかに上回るこんどの巨大地震
被災地の状況には言葉もありません
私は神奈川県にいます
初めの揺れはビルの15階にある職場でした
キャスターのついたものが洗濯機にほりこまれたようになり
床にはいつくばるようにしておさまるのを待ちました
災害時用に準備されていたヘルメットやウエストポーチを各自身につけ
二度目の大揺れが過ぎた後、数名のクライアントとスタッフ全員で
近くの公園(避難指定場所)まで移動
当然エレベーターはとまっていますから階段で1階まで
こういった災害時の対応は、会社によってさまざまなようですね
公園にはすでに多数の方が避難されていましたが
ビルの中で普通に業務を続けているところも相当あったようです
一時間ほどしてビルに戻りました
ほどなく交通機関がすべてストップしている情報が入ってきました
散乱しているものをとりあえず次の余震にそなえて応急処理し
各方面に連絡を取り始めましたが…
電話は全く不通
メールだけ送れるところには送り
部長が近くのホテルを確保しに出発
数人のスタッフで食料品の調達に出発
しかし、ホテルはどこも“満室”と断られたそう
たとえ部屋が空いていても今後の状況によっては
それ以上の受け入れは無理、ということのようです
買い出しに行ったスタッフも
いくつかのカップめん、豚まん、ジュース類のみ手に入れて
疲れた様子でもどってきました
パンもおにぎりも全部売り切れ
夕方6時、車で来ていたクライアントやスタッフは帰宅の途に
(みんな3~5時間かかったそう)
夜10時、ようやく動き出した地下鉄にのって数名のスタッフも帰宅
部長、事務長、JR組はクライアント1名あわせて10数名
そのまま職場で一晩過ごすことにしました
エレベーターこそ止まっていたけど
電気も水も大丈夫でしたから、まずは安心
椅子、ソファーそれぞれで身体を横にはしましたが…
繰り返しやってくる余震の揺れに
とても眠れたものではありませんでした
神戸の夜を思い出しながら
一晩ネットの更新情報を眺めてすごしました
翌朝、近くに住むスタッフが
山のようにおにぎりを作って持ってきてくれました
うれしかったぁ…
梅干の味がしみたよ
前日連絡が取れなかったところと片っ端から連絡を取り
対応できることは対応し
(しかし、東北方面とは一切連絡つかず)
夕方4時、帰宅しました
JRは通常運転に戻っており、心配していたトラブルもなく自宅へ
前夜のうちに家に戻っていた夫は
停電、断水、ガスストップのなか一晩を過ごしていました
いまは自宅はいつもと変わらない状態に戻っています
今、自分になにができるか
ちょっと考えなければなりません
自分自身の身を守ることも重要です。
今後の大規模な余震に備えて、
いつでも避難できる準備をしておきましょうb
携帯がつながらないと家族や友人の安否の確認もとれない、
交通機関が麻痺してしまうと身動きが取れない。
備えあれば憂いなし。いずれは自分の身にふりかかる可能性もある。
今回の件は教訓ですね><
今は被災者の方の無事を祈るばかりです。。。
ゆかはそのとき、姉と無料の着ボイスがないか探してて、
「あ、これいいやん」とか騒いでる時でしたw
そしたら、yahooの地震速報で震度7の地震があったってでて、
滋賀は、震度3って出てたんですけど、
ぜんぜん気付かなかったです。
近所のおばちゃんは駅近くの商店街にいたそうで、
めまいがしたみたいだったって言ってたんですけどね^^;
でも今回は、東北と、茨城と、新潟(?)の3か所で大きな地震があったし、
いつ、近畿のほうにくるか分からないので怖いです><
東北の方は津波もひどかったらしいし、
日本沈没の映画でもみてるのかと…;
私は仕事で東京タワー近くを歩いていました。
揺れが少し収まったら、ビルから沢山の人が出てきました。
本当に、揺れが酷い時はビルに入るか道路にでるか悩みました。
外はガラスの被害が怖い・・・ビルは倒壊が怖い・・・
自分の命を自分で選択しないとって・・・
あの地震で自分の小ささを実感しちゃいました。