Nicotto Town


きいてニコタリーナ


久々の「ゆめにっき」から

この落ち着かないイライラ感の中、

一番落ち着くのがゆめにっきをプレイしてる時ってどうなの。

あの独特の世界観。サイケデリックな夢と不思議な生き物。不安定な音。

なんか落ち着く。以前にプレイした時よりも、窓付きへの理解も深まった気がする。

彼女がどうしてああいう夢を見なければならなかったかとか。感覚的にだけど。

あの子は私だ、と投影する。私は私を愛せなくても、彼女を愛せる。

つまりはそういう、自己愛なんだろう、と。

あのゲームは、心健やかでない人による心健やかでない人のためのゲームなんじゃないかな、

と勝手に思ったり。

少なくとも私は、心に余裕のない時の方があの世界の中で落ち着ける気がする。

もういいじゃない。根暗に苦しんで、何かに投影しないと自分を愛せない自分。

それが私の生き方ならもういいじゃない。好きなだけ苦しめばいいじゃない。

そこで何かを生み出せればいいんじゃない。と思えてきたかもしれない。



で、そんなふうに落ち着いてきたら、

こないだ考えたけど一旦忘れてしまったことを思い出してきたので書いてみる。

大学に行けなくなった時から、医師やカウンセラーやいろんな人に、

もっと明るい性格になれるといいね的な期待をされてる気がするんだ。

なんで?私、自分の考え方とかたぶん嫌いじゃないんだけど。

てかむしろ、どんなに卑屈でも自意識過剰でも、「これ」こそが私だと思うんだけど。

どうしても明るくならなきゃいかん?

もちろん、まともに人前に出られない精神が健康とは思わない。けど。

周囲となんとか上手くやっていける範囲での個性の自由、みたいなのは無いのかな。

いや、こうして「自分が嫌いな自分」にしがみついてるような状態がよくない、

ってことなんだろうとは思うけどさ。

なんていうか、人間としてより「高次の存在」って言うのは、

ある一つの形しかないのかな?って疑問に思ったんだ。

んん、表現が難しい。つまり、人間として格が高い(あくまで人格の面で)人間を目指すと、

みんな一点へ、似たような明るい性格、似たような思考回路になっていっちゃうのか?と。

なんかそれってヤダな、と思うのはおかしいのかなあ。

目先の欲しか見えてなくて、自分の利益のためなら何しても構わない、

誰が迷惑しても気にしない、みたいな次元の低い人間ばかり蔓延るのも嫌だけど。

もう少し高いところを目指せない?って言いたいような人間も少なくないけど。

(あ、これが他人を見下してるってことなのか?)

んー、人間社会がだいたいみんな幸せ、上手くやっていけるくらいの精神性は欲しい。

でもみーんな似たような、明るくて健康的で余計なことで悩まない人間でもなあ。

上を目指すと自然にそうなっちゃうのかなあ。

まあ実際には人間なんてそんな上に行ける存在じゃないから

それはそれでちょうどいいのかもだけど。



上を目指す、でまたちょっと思い出した。

自分を高める、成長するってことについて。

経験や知識を、漫然と積み上げていくだけは嫌だ。

大して中身のない自分を延々ほじくり返すだけってのも不毛だ。

新しいものをどんどん集める。よく吟味して自分に必要なものかを見極める。

必要だったら、それを加えた自分を構築し直す。

何度も。何度も。吸収する。分析する。選択する。組み立て直す。

それが自分を高めていくことだと、かつての自分は思っていた筈だ。

今は?たぶん、神経症的な自意識過剰やら行き過ぎた完璧主義やらがそれを妨げている。

言ってしまえば「凝り固まっている」状態か。

また進み出したい。私なりのやり方で上に行きたい。

自分を愛せないなら、愛せる自分になればいいじゃない。か。

おがきちかさんの「ダメな王様」のお話を思い出す。

私という王国を護れるのは私しかいない。

ダメだけど王様なんです。この国をもっと良くしたいんです。

……うむ。字数がやばいので、この方向でまたちょっと考えてみよう。




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