過去の栄光に縋るは、傲慢な私。
- カテゴリ:日記
- 2011/03/10 20:00:24
……うーん。
やっぱりずっと引っかかってる。こないだお父さんに言われた、
「お前はちょっと頭いいと思って周囲を見下してる」趣旨の発言。
いや一番は、「取り敢えずお前には言われたくねえよ(オブラートなし)」なんだが。
それはちょっと置いといて考えても、やっぱり私は傲慢なんだろうな、とは思う。
傷つきたくない、自分を認めて欲しい、嫌わないで欲しい。
そも、そういう考え自体が傲慢であることは分かってる。
それで、数少ない私が拠り所に出来る長所?が
「少なくとも中学までは勉強で苦労したことない」とかそんなくらいだし。
自分に自信がない、でも何とかして自分の尊厳を保ちたい。
だから、周囲を見下すことで自分を保とうとする。
……見下してるつもりはないんだけどなあ。
でもそれが無意識のうちなんだとしたら、意識してやってるより終わってる。
しかし、自分を認めて欲しいと言う願いって、誰でも持ってると思うんだけど、
どこからが傲慢でどこからが自己実現の域なんだろう。
……ああしかしやっぱり、あの傲慢を絵に描いたような男に言われるのだけは我慢ならん。
(オブラートなし)
私が傲慢ならあんたは何だ。ああ言いたい。言えないけど。
私怒ってるんだなあ。プライドを傷つけられたことに怒ってるんだ。
今年バイトを増やしてお金を貯めることに成功したら、来年は
保証人不要の物件探して今度こそ自立しよう。
もうあんな男に頼るのはやめるんだ。
自分ルールで生きてる人間に頭を下げることの無意味さを知った。
カウンセリングしてくれてる心理士さんは言った。
「大学がどうしても怖いなら、行かなくてもいいじゃない」
私はその理屈を再び行使します。
お父さんがどうしても怖いなら、縁を切ればいいじゃない。
私を勘当してください。野垂れ死にしようが放っておいてください。もう会いたくない。
傲慢な私のプライドは、私を傷つけるものから逃げ続けることで自分を護ろうとする。
それが私の生き方ならもうそれでいいんじゃない。
逃げて逃げて逃げ続けて、いずれもう逃げ道が無くなった時に、
仕方なく消去法で選んだ道を進むのも、思い上がった私には相応しいかもしれない。
世の中は広くて、もう果てしなく広くて、
十や二十の道から逃げたところでまだ行く先はたくさんある。そんな気がする。
さあ、決して自分を傷つけない自分自身だけがお友達、
白旗を高々と掲げて進む傲岸不遜な私が通りますよ。