短歌と俳句
- カテゴリ:日記
- 2011/03/05 10:52:26
特に自分で作る、という訳でもないのだが、
「短歌と俳句、どちらが好きか」
と聞かれたら、「俳句」と答えるだろう。
正岡子規の「写生」という立場がストンと落ちたから。
ただ気持ちを表現するのではなく、
情景描写というか、
気持ちを絵で見せる、ということがおもしろいと感じたんだろう。
以前短歌作りをしている方と話す機会があり、
短歌について教えて頂いた。
曰く、
「短歌は自分の気持ちを素直に表現できることが大事」
という。
「上手くできない、という人は、
心のどこかで気恥ずかしさを持っているんではないか。
形にとらわれず、作ってみる事も大事。」
そう続けた。
なるほど、私が作るとなると、所謂「写生歌」になる。
自分の思いを表現することに、どこか抵抗があるんだろう。
それはもしかしたら、
「人に否定されたくない・馬鹿にされたくない」
ということを、心のどこかに持っているのかもしれない。
突き詰めて考えたことはないのだが。
お世辞にも素直ではない。
んでもそういう話を聞くと、
単純な私は「どうにかならないか」と思ってしまう訳で。
まあ、どうでもいい話。
短い分、余計に言葉の選択に気を遣うというか、
「何故この言葉を使うのか」
ということは、解釈する上での面白さの1つだと思います。
…って私だけでしょうか^^;
言葉へのこだわりから、作者の視点や気持ちが窺い知れますので…
「潜めた気持ちを気付いて貰いたい情緒」って、
突き詰めると「わび・さび」の世界に繋がってくるんではないかと。
廃人ではあるが俳人では無い私の言うこと。
「わさび」くらいしか知りませんから、
騙されてはいけません。
俳句と短歌にそんな大きな違いがあると知らず。
7・7の部分で気持ちを出すのでしょうね。
私は写生歌の中に潜めている、その人の視線の先を感じる部分で、
俳句の方が好きなように思います。
7・7が無いからこそ、17文字に気持ちまで入れるというか。
そこには「人に否定されたくない・バカにされたくない」という感はせず、
むしろ「潜めた気持ちを気付いて貰いたい情緒」ってのを思うんですが…
何分、じっくり勉強したこともない事。
今、文章読ませていただいた感想を書かせていただきました。
久しぶりに俳句が読みたくなりました。
素直じゃないが単純だ、という、訳の分からない自分の性格^^;
自分で自分が可哀想になってきますね、こうなったらwww
表現なんて仰々しい表現使って申し訳ないです(^_^;)
単純な私は「どうにかならないか」と思ってしまったくだりは…
素直さからではないでしょうかねえ(・o・*
いや、特に短歌や俳句を作りたいという訳でもないのですが、
もうちょっと素直に表現できたらなあ、と^^;
芭蕉でも虚子でも読むのは好きですが、
自分で詠むのは出来ませぬww
うーん。
「表現する」というのは難しそうで
実はもっと簡単なのかも知れませんね。
絵にしろ歌にしろ、要は「素直になれるか」ということが大事なのかと。
さやんさんの仰るように、
「それがその時の気持ちだ」
と開き直る(と言っていいかどうか)が大事なんでしょうね。
「恥ずかしい」とかいってるうちは、まだまだ何かにとらわれている、ということ。
そこから一歩踏み出さなければ何も生まれない。
伝わる喜び、というのも生み出されるものの1つなんでしょうね。
書いてある通り、このことを突き詰めて考えたことはありません。
思いつきで書いております。
失礼がありましたらご容赦の程。
それをさらに短くまとめるのってすごいです。
情景が浮かぶ、素敵な句ができるといいですね^^
だってズタボロに傷つきますもの。
そんなわけで私も最初は抵抗がありましたが、
「それがその時の気持ちだ、何が悪い、笑う奴には心がないんだ」と思うようになり
人目を気にせず表現するということが少しずつできるようになりました。
自分の心をさらけ出すというのは、
匿名掲示板で好き勝手なことを書くということとも違うし、
「こう言われたくない」というような気持から防御ガチガチに作り直されたものでもなく、
なんでしょうねえ…やっぱり心そのものなんだと思います。
いまだに傷つくこともあるけど、
伝えられた喜びのほうが大きいので楽しいですよ(^O^)/
もっといろいろうまくなりたいなあと思います。
あと、作品だけで素直な人というのも…多いと思いますよ(*^。^*)
まあ…私は俳句や短歌は…できませんが(=_=)<難しそう…