Nicotto Town


きいてニコタリーナ


パチューン!(覚え書きなので意味不明マキシマム)

……ああ!

「いつまでも抱擁を続けました」はヒントだったんだ!

彼ら?が抱き合ったような姿で一体になっているのなら、

顔がお互い反対側を向いていながら背骨が外側にある構造が理解出来る。

腕や脚も、抱き合うように交差していれば外向きになれるぞ。

つまり、一方の顔の下にあるのは、片割れ?の背中なんだ。

しかし腕も脚は自分のもの。紛らわしい。

……まあ一つの脳で全てを統御しているならあまり意味のない分析ではあるが。

あとは、分断する前はどれだけ「一人」であったのかの考察だけだ!

シャム双生児なんかは、体の一部がくっ付いてるだけで完全に「二人」だが、

アンドロギュヌスさんは元が「一人の人間」らしいからなあ。

一人の人間であるなら、腕や脚はともかく内臓が二つ(2対)ずつある意味は無くなる。

でもそれだと、神が彼ら?を分断する時に、

内臓まで二つずつに作り替えなくてはならなかった筈だ。

あ、どのみち抱擁構造の体だと、単純にすぱーん!て半分こする訳にはいかないし。

てかそうだ、記録に従えば脳は初めから一つだったんだろうから、

伝承に書いてなくても脳と内臓は一つずつだったのをバイセクトして作り替えたのか。

じゃあ、顔が二つある意味について。

アイデンティティが完全に一人のものなら、顔が二つある意味は?

彼ら?は常に、他者で無い他者=自己と向き合って思考していたのか?

ここで気になるのが、彼ら?が「力強く傲慢」であったこと。

自己と真摯に向き合い、客観的に自分を見られるようなら

その人は傲慢たり得るんだろうか。

いや、すべて自己の中で完結し、自己愛に浸っていたからこその傲慢なのか。

決して自分を傷つけず裏切らない存在。自分だけど自分じゃない。愛しい私。

(ああ、私にはきっと理解出来る。そうか、君たちはそういう関係だったのか)

要するに、彼ら?の意識としては、片割れは「自分」ではない。

自分の大事な人。自分の鏡像。絶対的な味方。

でもその存在を生み出しているのは同じ脳。

彼(彼女)を愛することは、自分を愛すること。

他者の入る隙のない、自己の中で完結した世界。

だから彼ら?は(つまり人間は)傲慢なのね。

だってみんなそうじゃない?みんな、周囲の人や物に自己を投影して愛を抱くのさ。



私が自分の中の物語、「彼ら」を愛するのも、自分を愛したいからなんだ。

ああなんか、すごく深く理解した気分だ。愛しい私。

なんか思いの外重い話になってしまったことにびっくりだ。でもすっきり。




月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011

2010

2009


Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.