Nicotto Town


てらもっちの あれもっち、これもっち


学びについての一考。後半はちと熱い!

勉強をなぜするのか。なぜ勉強させられるのか。


子供の頃から不思議だったし、
最近は同期の飲み会でも話題になった。
自分でも学びの意味について考えることがある。

社会の維持/発達のために
子供の勉強・学習・学校は必要
という説明も理解する部分は有る。

でもモチベーションには自分自身の納得が
必要で、今のところの3つの自分の考えを紹介したい。

1)選択肢及び可能性の増加
 学習は知識・能力・理解を得る手段である。
 人類の社会はこれらを発展の原動力として見なして
 いるため、社会(企業・政府・人々)は
 これらを積極的に評価する。
 
 従って学歴とか学習の経験、修行を社会は
 評価の対象とするため、社会の中で生きていく
 上では高い学歴は、人生や職業の選択肢を
 増やす事が出来るし、経験値や修行はその
 選択の実現性の可能性につながる社会的評価を高める。

 お寿司屋さんになることを決心/選択したら、
 学校を辞めて、いいお寿司屋さんのもとで修行を
 積む方がお寿司屋さんになる近道だ。

 何になるか決心がついていないのであれば
 その社会の基礎学習である学歴を目指し
 選択肢を増やすほうが賢明である。

 いい大学を出れば、サラリーマンにもなれるし
 お寿司屋さんにもなれるだろう。

 「早く宿題やりなさーい。」
 深い言葉である。

 娘が非行に走りそうになったら
 「高校くらい出ておけ。」
 と背中で諭そう。

2)意識/思考の基礎構築
 社会常識とか法律、規則、マナー、モラルなんてものは
 社会の維持に必要なもので、思考・発想には
 必要ない。

 でも、発想や応用的な思考を働かせる上で、絶対座標となる
 基本知識・思想を固めるという意味も学習には有ると思う。
 (その知識が普遍的なものかどうかはともかく。)

 その絶対座標を自分自身の中に見つけられる稀な人もいるし、
 僕のような絶対座標なんかなくなっちゃって、相対的に
 フラフラした基礎思考の持ち主も中にはいるけれど、
 やっぱり思考の基礎座標をしっかりと持っている
 ことは強い。
 かつ重要で孟子とか孔子が流行る理由も
 そこにある気がする。
  学習はその絶対座標を効率的に得る手段であり
 子供には体罰的(一応、体罰って言っていないよ。)
 であろうが、強制的であろうが社会常識を理解させる事は
 必要に感じる。

 お母さん「赤信号は車が来なくても渡っちゃだめよ!」
 母は偉大である。

3)さらなる前進
 教科書や本は先人達の知識の結集であり要約である。
 僕らはそれら全てを自らで経験し気付く必要は無く、
 効率的な方法、すなわち学ぶことで得る事が出来る。
 それが学習であり勉強。

 結局最初、紹介した論に戻るのかもしれない。
 僕らの社会は否応がなしに成長するモデルを採用
 している。

 成長のためには先人達の知識の次に行かなければ
 ならない。そのためには先人達の知識をまず
 習得する必要がある。
 
 先人達の知識の裏側には経緯や思考プロセスが
 あり、知識の習得に際してそれらに気付き、次の一歩
 への道筋にすることもできる。
  特に数学や国語(母国語)の影響は大きいと
 思う。

 ただし発想は知識からは生まれない。知識とそれに
 対する考察をいかに重ねるかというトレーニング
 から生まれる。
 
 「疑うが故に知り、知るが故に疑う。」
  寺田 寅彦

ちょっと熱い一言。

 人は「自我」が自分に固有なものと思い込みやすい。
 空想の中で未来に行った僕は。。。。とか、
 戦場にいった私は。。。。。というときは、
 現在、ここにいる自分の性格、思考形態
を思い浮かべる。

 しかし、人間は自我の形成には「学習」や「勉強」
 という社会的手段を用いている。
  もう少し言えば「遺伝子」の影響はあるけれども
 「親の愛とか対応」「学校での勉強」「友人関係」
 などの影響を受けながら少年期を過ごし「自我」を
 形成する。

 僕が、僕の脳と身体のまま、
 アフリカ諸国の革命統一戦線に拉致されて
 洗脳された少年兵として育ったとしたら、殺戮を繰り返し
 それを何とも思わない
 人間になっていたかもしれない。

 僕が、新大陸の銀山でインディゴに生まれたら
 暗い杭道の中で日を見ないまま、働くだけ働いて
 自我のことなんか考えないまま一生を終えたかもしれない。

 自我の形成には「社会」(環境)と
 複雑に絡み合う「社会の歴史」が影響する。

 僕は僕だけど、僕だけじゃない。
 
 僕は僕自身をあまり信用していないけれど、
 変わり続けていく事を信じている。

ちょっと後半、熱くなってきたのでここまでにしよう。

皆さんのコメントが僕を変えていく。
いつもありがとう。

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2011/02/19 14:20
本庄さん
 冗談でも、本庄さんは哲学は数学な人のような印象を受けます。

 コンピューターのような論理哲学(数学)の向こう側に、
 閉じた系でも少しづつだけゆっくりと形が変わっていく
 超密度の濃いニューラルネットワークが見えるような。。。。

 興味津々でございます。
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2011/02/19 00:15
私にとって哲学は数学です.
・・・というのは冗談ですがw

ちなみに,私は哲学書もなにも,哲学がなんなのかも知りませんし,
哲学者の名前も(ほとんど)知りません.
小学生と同じレベルで「人間は考える葦である」ぐらいしか知りません(涙)
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2011/02/18 22:44
本庄さん

 コメントありがとうございます。 (^_^)

 本庄さんの言葉を読んでいると、心の奥底に強い「自己規範」
 があって、そこに全ての判断のもとがあるような感じがしています。
 論理の根本みたいなイメージです。

 それで「自我に回答を求める」と書きました。

 一方で僕は、本とか他の方のコメントから自分の気に入ったモノを選んで
 判断の基準としている人で、自分の考えなんて、どんどん捨てちゃう人です。


 「その自我の要素は社会から構成された部分も大きくあるのではないか。
 自我が内なるものから出来ていると思い込みすぎるのは。。。ちょっと。。。」

 というのは本庄さんをイメージした訳では有りません。
 「自我を考える時に、自己思考のみの結果のみで
  社会や歴史の影響を受けていないような印象を抱きやすい。」
 というのが伝わらなかったのではないかと思って説明しようとした次第です。
  
  いや、ちょっとイメージがかぶっていたかもしれません。本庄さんの自己規範
  が、とてつもない自己思考の結論のような気がしていて、外敵要素が含まれない
  又は外敵要素をはねつける印象があります。
  (すごい自信が伝わってきていました。柔軟性もある。でもそれも思考と判断の
  結果であって、他者の意見そのままではない。自己要素が強く入っている印象。)
 
 でも、コメントをよく見てみると、親の影響とか同じ自我を持つ人はいない。
 とか外敵要素について書かれていますね。

 それと大変すいませんが、使っている言葉の意味が僕とずれる印象が有ります。
 方向性はおなじような気がするのですが。。。

 僕は哲学書とかはあまり読んでいないのですが、本庄さんは
 哲学書とか読まれているのでしょうか。
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2011/02/18 22:15
う~ん・・・
「よく分かりません」

私のコメントが,「自我は内なるものからできている」という
ことと捉えられているのは,どうしてでしょうか?
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2011/02/18 00:03
きのこさん

ありがとう。
こういうちょっと前のブログにもコメントつくと嬉しいよね。

そうそう、いろんなものもらって今の自分が出来ていて
そのいろんなモノのなかには、過去の人が作った文化とか文明とか技術
もあって。。。

お。「自分ってもらってないものってないなぁ。」っていい言葉だな。

この前、ある女の子のブログで

「自分が持っていないものを数えるのは止めよう。
 自分が持っているものを数えてみたら
 自分が幸せだって気付いた。 (^_^)」

ていうのがあって、この言葉と組み合わせると感慨深いな。

でも、そのブログと女の子のページの場所を忘れちゃったんだ。
紹介しようと思って必死になって探したんだけどね。
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2011/02/17 23:23
うんうん、そうかもって思いながら読みました^^
最後の、僕は僕だけど、僕じゃないっていうのも、うなづけます。
自分って、もらってないものってないなぁと。こ
の世に生まれてきて、いろんなものもらって、今の自分ができてるなぁと。
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2011/02/16 23:02
本庄さん

 本庄さんの「よく分かりませんが」には警戒してしまうんですよね。
 この人、よくわかっているなーっと。論理では勝てん!と。

 でも、もう大丈夫。
 本庄さんから習った「感覚」感覚でささっとコメントしちゃいましょう。
 
 このブログはモチベーションも目的も目標も自我もごちゃごちゃに
 しているようです。 (^_^)

 学習に対するモチベーションがなぜ発生するのかについては、若侑さんの「本能」論のほうが
 「欲求」「知的好奇心」や「目標実現ツール」よりも「深いな」と感じました。
 (生意気いってすいません。) 

 たぶん、このあたりは自我に回答を求める本庄さんと僕のような「他」に回答を求める
 人間との言葉の(定義の?)違いになっているんじゃないかな。と思っています。
 いわゆる僕のよくある勘違いの原因じゃないかなと。

  自我は固有と思います。

 でも、その自我の要素は社会から構成された部分も大きくあるのではないか。
 自我が内なるものから出来ていると思い込みすぎるのは。。。ちょっと。。。

 っていう感じです。

 小田和正さんも同じ事をいっているんでしょうね。
 
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2011/02/16 22:43
ゅきμさま

 そうですか。ゅきさまは論文を読まれますかー。
 僕は本だけですよ。
 
 親の影響はありますよね。
 経験的にも遺伝子的にも。

 「愛」については定義自体もよくわかっていませんので、
 「親の愛とか対応」って書いちゃいました。

 ゅきさんの言っている事には激しく同意です。
 うんうん。
 悲しいかもしれないけど「激しく」同意っす。
 
 
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2011/02/16 22:38
すあまさん
 そうそう。しばりと団体重視が多すぎる。
 制服とか校長先生のお話をみんなで聞くのもそうですよね。
 
 規律重視の効率的な社会にするためにはいいんだけど、
 いまみたいな混迷の時代にクリエイティビティを求められる時代には
 ちょっとね。

 子供に勉強の目的意識を教えないのはおかしいと思います。
 「何か」になりたいから とか
 将来偉くなるため とか
 経済的に豊かになるため
 とかいうよりは
「将来の選択の幅」が広がるから。
 といったほうが事実に近いし、
 子供も納得/理解しやすいのではないかと思っちゃったり。

 
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2011/02/16 22:24
若侑さん
 こちらこそ、ありがとう。
 のーんびりつきあっていきましょう。

 私の「学び」は「自我の形成」に「必要」ではありませんが
 「大きく影響」しているという考えです。

 学び/学習は本能というのは僕もそう思っていました。
 もう少し考えが固まってから
 書こうかと思っていました。

 生物の生命維持には関わっているけれど
 種の保存に深く関わってきたか。にはちょっとだけ疑問符つきです。 (^_^)

 例えば、今この世界で一番種類が多い生物は、いわゆる雑菌だけど
 雑菌に「学習があるといえば。。。。」

 うん?このテーマおもしろいな。
 若侑さん。ちょっと次のブログ。いや次の次くらいかな。
 ブログのテーマに使わせてください。

 イメージとしては学習が進化の過程でどのように引き継がれていくか。
 個体としての学習は引き継がれないはずだから、生き残りですよね。
 
 だから若侑さんのいっていることは細部というか表現は違っているかな
 と思うところもあるけれど大筋はあっていると思う。

 ちょっとまとめさせてください。
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2011/02/16 22:19
よく分かりませんが,
勉強することに対するモチベーションがテーマですか?
もしそうであれば「欲求」以外にないと思います.
直接的なケースだと「知的好奇心」で,
間接的なケースだと「目標を実現するためのツール」です.

ちなみに「自我」は,「総体」としては「固有」のものです.
同じ「自我」を有している人は存在しないので.
たとえ同じ遺伝子を有している一卵性双生児であっても.

あくまでも「自我」の「要素」についておっしゃっているのでしょうか?
小田和正が言っていました.
楽曲について「パクリだっ!」と批判する人間には,
「お前だってオヤジとオフクロのパクリだろっ!」と
心の中で言い返しているそうですw
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2011/02/16 22:12
ありよしさん
 でたねー。いつもの!

 宇宙とか歴史に対する感覚については同感。
 自分がいかにちっぽけなものか
 世界がいかに広く興味深いものか
 本好きは知ってしまう訳ですよね。

 自分の周りの世界の中だけで生きる方が
 単純だし満足しやすいから強い。

 ほぅほぅ。ありよしさんは過去の名作
 に癒しを求めている理由が
 「そこはかとなく」
 分かってきましたよ。www

 でも、僕には複雑になった今の社会や学問やリアルのほうが
 真理に近い気がして(いや実際にはとーーーーっても遠いんだけど。) 
 面白いんだよなー。

 そうそう、僕は今は人間社会の歴史から興味が外れてきて
 地球の歴史とか生態系の歴史に興味を持っていますよ。
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2011/02/16 22:00
おやじパパさん
 私見こそオリジナリティの固まりでしょう!
 うーむ。おやじパパさんのコメントを読むと
 僕が頭でっかちだと言われている気がします。
 
 「学び」は人生ずっと続く自分自身を高める行為
 「勉強」は「学び」を得るためのトレーニング=学生時代
 という感じでしょうか。

 僕にとってはカッコいい「おとこ」のおやじパパさんのお言葉
 大切にします。
 
 
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2011/02/16 21:54
ララさん

 「問題と向き合う事」
  深いなー。

 問題について僕は考えるけれど逃げてばっかりな気がするな。
 うん。勉強になった。
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2011/02/16 21:53
くーやねいさん

 いやいや、ちょっとしたコメントが嬉しいし
 なんか刺激になるんじゃないですかねー。
ニヤニヤ。

 くーやさんのブログに対するコメントだって
 短くてもくーやさんがそれ見て楽しそうなの分かるしね。
ニヤニヤ。

 照れ屋さんだね。
ニヤニヤ
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2011/02/16 21:51
柚花さん
 日記読みました。
 いい学生時代じゃないですか。
 好きなものを見つけて一生懸命出来るのは才能だし僕のアコガレですよ。

 やりたくないけれどやらなくてはいけないこと。。。。か。
 その先に有る事が「やりたい。」とか、「なりたい」ものとかがあるんだったら
 結局、おおくくりにすれば「やりたいこと」なのかなー?

 ちょっと自信ないな。
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2011/02/16 21:32
てつさん

 そうそう後輩の失敗からだって教えられる事、学ぶ事は
たくさん有るんですよね。叱るだけじゃだめなのかも。

 教科書は。。。。社会とか歴史とかは視点が入っちゃうから今は好きじゃないですね。
視点がはいっているって分かっている歴史小説とか新書のほうが
好きです。

 数学とか理科の教科書は結構好きでしたけれど
参考書のほうがいいものが多い気もしますね。 
 
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2011/02/16 21:27
りんごさん

なるほど。
「常識」には無意識に社会活動に沿った
安全行動を決められるというメリットがある訳ですね。
特に子供のように視野が狭く、経験値が少なく、判断力が低い時期には
必要ですよね。
たしかに「常識」も理由があるからな。

ということは、「絶対座標」の例としてはあまりよくなかったのかな。
いい例をこれから考えてみよう。

ルールやマナーは一つの文化だけど、それを「文化」として捉え
「絶対」じゃないということを知る事が重要なのかな。
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2011/02/16 20:59
お母さん「赤信号は車が来なくても渡っちゃだめよ!」
これは、大切ですよね。心理学の分野になるのかな。
人間慣れてくると、あと、焦っているとき、
普段やっていることを無意識のうちにしてしまいます。
だから、見通しのよい道路で事故が起こりやすいそうです。

人間100人いたら、100通りの考え方があるから、
共通のルール、マナーを学ぶことが教育の意義の一つだと思う。
ルールやマナーって、1つの文化だよね。
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2011/02/16 20:51
ふくさん
 母はやっぱり偉大ですね。
 僕も実を言えば長崎市民感覚で信号よりも自分の目を信じます。

 今の判断基準は小学生くらいまでの子供のいる前では信号無視をしない。
 それ以外は自分の目で判断です。

 でも面白いのは都会にいったほうが信号守る率が高くマナーがいい事です。
 海外でも同じ傾向が有ります。自己中心的な人が増える印象が有るんだけど
 それよりも、価値観共有による効率性重視の傾向が強いのかな。なんておもったり。


 それにしても「時間を大切にしなさい。」という言葉を投げかけられる
 お母様は偉大です。
 そして子供は二つの価値観に葛藤を覚えながら自分自身の考え
 =オリジナリティを育てていくのでしょうね。

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2011/02/16 20:46
あんみつさん

この日は熱かったな。
「勉強」というお題に燃えてしまいました。
後半はだいぶ脱線ですが。。。

みなさんのコメントにもなかなか思うところ有りです。

みんな思うんだよね。勉強っていったいなんでって。
学校でちゃんと教えてくれないもんね。
変わり続けていけるというのは、僕自身にもおおきな「気付き」だったし
ニコタを続けていくうちに実感してきた事でもあります。

もう僕たちも最初の頃に話をしていたドキドキ感がちょっとづつ無くなってきたよね。
(・∀・) ニヤニヤ
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2011/02/15 22:33
おお///

そのテーマできましたかw

よく、このテーマは論文にしろ何にしろ
用いられていますよね(´・ω・`)しみじみ

まぁ,,,
親からの愛の影響は必ずしもでもないとは思います。

愛がなくて、虐待ではないですけど
そういった言葉をあびせられてきても
反面教師として
こうした親にはなりたくないっていうように
成長して良い方向に行く人もいますからね(´・ω・`)///
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2011/02/15 22:04
学校の教育方針的にルールを守れる
団体重視の思考があるよね
それはある意味、個人の個性を殺しているともいえるわけで

もし勉強して将来なんになるの?と聞かれれば、
その教育内容よりも、成績で将来の幅が広がるからと
子供に正直に言うのは正解なのかなーと思ったり(◔‿◔。)
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2011/02/15 21:56
訪問、ありがとうございます。
嬉しくて、浮かれてしまいました(*^。^*)
直接お話しできなくても、いろいろな方が訪問して下さるのは本当に嬉しいです。

皆さん、自分の学びについていろいろ考えていらっしゃいますね。
それぞれに、「なる程」と思います。

てらもっちさんは、「自我の形成に必要な事」と考えいる。。。。
と取ってよろしいでしょうか?

私はかなり変わり者なので(しかも底が浅い)、皆さんのコメントとちょっと毛色が違うかなぁと思います。

私は「学び」「学習」は本能と考えています。
本能なので、学びの力は人間だけが持っているものではないし、生物の生命維持、種の保存に深く係わってきます。
餌を取ったり、子供や卵を守ること。それぞれの環境に応じて個体で考え、経験から学び取った結果、
様々な生態や形態が誕生したのかな?と思ってます。
人間は発達した大脳のチカラで、その本能に定義と義務を付加したのかなと。
事実、好きな事、興味のある事はいろいろ知りたくないですか?
絵を描くなら、どうしたら上手に描けるか、お花ならどうしたら綺麗に咲かせられるか。
それも勉強じゃないですか。

人間の脳は生命維持の為に発達したが故、基本的なもの以外にも色々学び、
更に大脳を発達させ、とうとうこんな複雑な社会を築き上げて、
その社会にふさわしい学びを習得することを義務づける。
もう大変。

勉強嫌いな人はいないのかなと。だって本能だから。
本能に係わる事で嫌いな事ってありますか?
楽しくないのは、自分に必要な勉強が見つかってないのなと思います。

訳分からない事を延々と書き綴りましたが、
おバカさんの戯言と思って読み流してください。
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2011/02/15 20:10
えぇっと、私の思う勉強、なんてコメしていいでしょうか(笑)

私は今自分の状況がとても暫定的なかりそめの枠のように思っています。
長い歴史のほんの切れ端のただ今、広い宇宙の一点のこの場所で、今ある自分の身の回りのことだけが世界だとして生きている人は多いし、多くの場合、その方がうまく生きれることだって多いと思う。日常では単純さや凡庸さの方が強い力を持ちやすいような気がする。

けれど私はそういう生き方が怖くてできないです。だって見ないふりはできても宇宙は広く歴史は長く、その一端の今は暫定的な状況でしかないから。
その見なくてもいいものをわざわざ苦労して学ぶこと、が私にとって勉強です。

……ついでに「でたよ~、いつもの!」と思っていただいていいんですが(笑)私にとって学ぶことは孤独をいやす作業でもあります。過去の人々が頭を悩ませて、哲学、心理学、経済、社会学の理論を積み上げていくのを本やなにかで目の当たりにするとき「あぁ、この人たちは、やはり暫定的な世界の中では満足できず、孤独に『真理』を求めたのだなぁ。報われるかもわからないのに」と思う時、私はその人をいとおしく思います。
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2011/02/15 19:43
あくまで私見です。
学びとは好奇心と探究心の欲求を満たす行為。
学びとは幸せをつかむための努力の行為
学びと誰にも取られないスキルという財産を貯めるための行為
学びとは知識を知恵に変え体に刻みこむ行為

勉強は学び方法の体系づけを覚えるためのエクササイズ。
自分の目標を実現するための最短距離を行くための頭の道路工事。
1%のひらめきを出現させるための99%の努力が勉強。
学ぶと勉強、重複するところもあるけど私はこういう感じに考えてます。
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2011/02/15 14:04
学生時代「なんで、数学やらなきゃならないんだろう」と不満でしたが、大人になった今は、少しだけわかりますねぇ。私は今は「Σ」なんて使わない生活ですが、あの勉強は無駄ではなかった、と思えます。
「自分で考えること、問題と向き合うこと」を学びました。


「人間は考える葦である」深い言葉ですよね。
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2011/02/15 08:26
すごいね~~ここでの皆さんのコメが、てらちゃんを変えていくなんて!!

皆さん、真面目に答えてくれてる!

ワタシは、難解な問題は・・・パス!! ((´∀`*))ヶラヶラ
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2011/02/15 08:06
日記にも書きましたが…
「やりたくないけどやらなくてはいけないことをどれだけがんばれるか」
の訓練じゃないかなって思います 成果の優劣を含め。
不得意教科から逃げてきたツケを、大人になって感じる今日この頃なのですw
アバター
2011/02/15 05:26
てらさんの考えるは広いな~( ´・ω・`)_且~~ イカガ?
勉強は社会に出てからの方が熱心だった俺にとって
死ぬまでだと思ってるから
子供に教えられたり、知人に教えられたり、後輩に教えられたり
毎日が勉強です学校で学ぶより濃密な人生って教科書実は
てらさんの言うとおりかもって思いましたw
アバター
2011/02/15 02:40
私の母は信号無視をする人で、例え後ろから自転車でついてきている娘の私が轢かれそうになっていても
「どんくさいなぁ」の一言でお構いなしに猛スピードで進んでいく人でしたよ(;´A`)笑

そんなときに、学校で信号は守れと習わなかったのかと怒ると「時間を大切にしなさい、だらだらするなとも習ったでしょ?」と言い返され…両方聞いたぞ?どっちが正しいんだ?と子供心ながらに悩んだなぁと思い出しました;^^
こんなところにも、学びや判断力の向上はあるのかなぁと思いました

私は友達を見ていてよく「私とこの人、そっくりそのまま入れ替わった状態で産まれて育ったらお互いどうなってたんだろう」と考えたりしてましたが…きっと今と変わらないんですよね
私がそのまま友達になり、友達はそのまま私になり…
どこの誰に生まれたかが違っただけ…と考えると、人類みな他人には思えなくなったりします(笑)
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2011/02/15 00:27
うんうん、
うんうん( ..)φ

勉強すること、させられること、かぁ・・
今日はあついね、てらもっちさん(。´・ω-)
あんみつもね、勉強は何でするんだろう・・って高校時代考えたことあったな・・って思い出しましたw

人生が勉強だって言うのは、てらもっちさんのおっしゃるように、変わり続けていくことなのかもっ
今の自分がいることが、まわりに支えられている何よりの証ですね^^♪




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