作品と作者の関係
- カテゴリ:日記
- 2011/02/11 22:53:36
絵画にしろ小説にしろ、
作品は出来上がった瞬間に作者の手を離れ、
見る人・読む人の判断に委ねられる、
と聞いたことがある。
有名なところでは、遠藤周作の逸話。
氏の作品が、大学入試の問題に使われたので、
その問題を作者本人が解いてみた、という話。
結果はうろ覚えだが、
確か半分に満たない点数だった気がする。
つまりは、
作者の意図するテーマからかけ離れたところで作品が解釈され、
その作品が読まれていた、ということ。
氏の心中や如何ばかりのもの。
先日職場の方に、
とあるものを作って欲しい旨お願いされた。
忙しい時期ではあるが、それはお互い様。
世話になっている事もあるし、
無い時間と頭絞って何とか二日かけて仕上げ。
作ったものはちょっとしたイベントで使うもの。
まあ、その後も使えるし、
そのイベントが終わったら、
その方にそのまま持って行って貰おうかと思ってた。
イベントは無事終了。
後片付けしてたら、その方が私の所にいらっしゃいまして。
「あの、これ…」
と、作ったもの持って一言。
何気なしに、
「どうぞお持ち下さい。」
と言ったら、明らかに困った顔をしてらっしゃる。
ふむ。
要らぬか。
必要ないなら捨てても構わないとは思うんだが、
悔しく感じるのは何故なんだろう。
一回こっきり使うため、その後捨てるために、
時間かけて俺は作ったのか?
そらまあ素人の手作りでもあるし、
仕上がりは満足できないものであろう事は理解しよう。
にしても、と考えるのは、作った人の傲慢だろうか。
作ったものは出来上がった瞬間から作者の手を離れ、
見る人の判断に委ねられる。
そこに口を挟む作者がいたとしたら、
やはり傲慢な態度なんだろうなあ。
自分の作ったものはその程度のもの。
芸術じゃなくても、文学作品じゃなくても、
たったそれだけのこと。
あとはご自由にどうぞ。
それくらいしか言えないんだ。
さて、と。
今日もまたこれから仕事だ。
頭切り替えていきますか。
いえ、ほんとに大したものではないのですよ^^;
UPしたら仕事がばれるww
今回の品物は、紙主体のものでした。
結構大きいです。
これでご勘弁をm(_ _)m
捨てるのは忍びない、とも考えておりました。
さやんさんの仰る通り、表情が、ね…
プロの作ったものと同一の視点で語るのもおこがましいのですが、
それなりに時間かけて作ったのですから、
大事にして欲しいなあ、と。
金銭が発生していないのであれば、
尚更作った人の思いまで至って欲しいなあ、と。
求めすぎです^^;
作ることで、自分が人に認められたいというのがあるのかもしれません。
大したものでもないのだから自重自重。
> 作品も悪くありません。
この一言に救われた気がします。
ありがとうございます。
作品は大切にする人の手元にあった方が幸せですもんね♪
イベントで見た人たちの感動は心の中で保存されますが、
イベント後ではずっと見ていたい、大切にしたい方のもとへ届けてあげてください^^
ネットでUPしてくだされば見られて良いなぁ~
こういうことは作品のレベルの問題ではないのです。
日本という国は創作者を軽んじすぎていると思いますよ。
ネットで違法に無料ダウンロードして
作者のサイトに平気でコメントできるんですから
恥を知らなすぎます。
のどもと過ぎたら熱さ忘れるなんて言葉がありますが、
物を作ったことのある人なら、
物を利用したらハイおしまいなんて失礼な態度はとりません。
と、カッカしてみましたが、
おそらく捨てるのは忍びないから返したんではないかなと思いました。
大きさとか状況とか分かりませんが…
心の平安を保つ自分のための解釈といいますか…。
いえ、ホントはね、そういうときの印象って
まず間違いないのが悲しいところなんですけど(/_;)
言いたかったのは相手が悪いということです。
guncanさんも作品も悪くありません。
私は、また気持ちよく渡せる相手が見つかったら、
仕事とかじゃなくて物を創ってみようかなと思っていますが、
今はとりあえず歌を歌っています。
歌は気が楽です。
その場にいる人に確かにプレゼントを渡せるけど、
その場きりですから。
プロの人などになると、余興で歌えとせがまれたり、
録音物を何かされたりとやっぱり不快な思いをしているのかもしれませんが(^_^;)
そもそも作ってくれと求められない人は
こういう不快な思いをしないわけですから…
ものづくりの因果なんでしょうかね。