Nicotto Town


きいてニコタリーナ


「私」はどこまで私のもの?

思ったんだけど、美容整形とか脂肪吸引とか永久脱毛とかする人はいっぱいいるじゃない

一人で動けなくなるまで太った人もいるじゃない

却って体に悪いだろ、と言うレベルの肉体改造する人もいるじゃない

刺青彫ったり、体中にピアス開ける人もいるじゃない

それらは当人の自由、ということになってるじゃない

またちょっと変わるけど、性同一性障害の人は、心の性に体の性を近づけるために

性転換手術を受けたりするよね

元の性別に違和感を感じるから

それが当人の自己イメージにとって「自然」なことだから

で、身体完全同一性障害の人のために、裏で四肢の切断してあげる医師もいるじゃない

彼らはそこに手足があることに違和感を感じるから

それが当人の自己イメージにとって「自然」なことだから

でさ、どこまでが許されるかって線引きは難しいところだと思うんだけど

上に書いたことが全部倫理的に許されると言うなら、

自分が存在する世の中に違和感を感じてる私みたいな人間は

それが「自然」なことだと思うから、自分をこの世から消してしまうことが

倫理的に許されるんじゃないかしら、と思ったり

それは自己決定権? 愚行権? なんて呼べばいいのかな

古い日本の考え方だと、「私」は自分だけのものじゃないから

故意に自分を害することは許されないんだろうけど

時代の欲求的な何か、新しい概念が生まれようとしてるんじゃないかしら




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