サリンジャー氏は結構社交的^^
- カテゴリ:日記
- 2011/01/29 00:07:11
サリンジャー氏とは『ライ麦畑でつかま
えて』のあのサリンジャー氏です。
もうご存知の方もたくさんおられるとは
思いますが・・・
原題 The Catcher in the Rye は、物
語の中で子どもが
歌うロバート・バーンズの詩
"If a body meet a body Comin'
through the rye"[1]
を、主人公が"If a body catch a
body comin' through the rye"
と聞き間違えたところから来ている。
大戦後間もなくのアメリカを舞台に、主
人公のホールデン・コールフィールド
が3校目に当たるボーディングスクー
ルを成績不振で退学させられたことを
きっかけに寮を飛び出し実家に帰るま
でニューヨークを放浪する3日間の話。
自身の落ちこぼれ意識や疎外感に苛
まれる主人公が、妹に問い詰められて
語った夢:<自分は、広いライ麦畑で
遊んでいる子どもたちが、気付かずに
崖っぷちから落ちそうになったときに、
捕まえてあげるような、そんな人間
になりたい...>
が作品の主題となっている。このクラ
イマックスシーンを導くために主人公
の彷徨のストーリーが積み重ねられて
いる。
彼が世界的に知られ、昨年1月に91
歳で亡くなられて、
米作家J・Dサリンジャー氏が友人に宛
てた未公開の書簡が新たにみつか
り、バス旅行に参加して、ほかのツア
ー客と会話を楽しんだり、
劇場に行ったりする社交的な一面が
明らかになった。
AP通信などが27日書簡を研究した英
国の学者の話として伝えた。
彼は1953年ごろアメリカ東部の田舎
町に転居 作品を公表しなくなり
気難しい人とのイメージが定着してい
た。 だが書簡にはナイアガラへの
旅行を楽しんだ様子が記されているそ
うです。自分を世捨て人のように伝え
るメディアに不満を示していたことも
伺えるという 書簡は焼く50通でサリ
ンジャー氏が10代の時にウィーンで
知り合った英国人の友人男性に宛て
て86年~2002年に書いた。
男性が07年に亡くなって、家族がイー
ストアングリア大に寄贈した。
その書簡を読んだ同大の教授による
とサリンジャー氏はテニス観戦が
好きであのだだっこマッケンロー選手
のファンだったそうです。
本日959文字です>< ごめん少々
長かったねm(_ _)m
でも気難しい人だったというのはなんかで聞いててしってたのですが、
あんまり深くは知らなくて、今回新聞で見つけてその記事の要約でお恥ずかしいです><
結局途中までしか読めなかった思い出があります(ノ∀`;)
まだ子供の頃の話ですので、私には難し過ぎたようでした><
お堅い作家さんだと思っていたのですが
本当に結構社交的な方だったのですね(^‐^)
いつかは著書を読破してみたいです^^
私も亡くなって初めてご存命だった事を知って読みましたよ>< お恥ずかしいですが・・・
>>ジャン=リュックさま 私もね亡くなったってしってから本を探したんです>< お恥ずかしい
こんな生きてる間に有名になる作家さんもおられるんですね まあそういうとシドニーシェルダン
とか え??日はまた昇るのヘミングウェイは あっ>< 今調べたら、生まれる前になくなって
おられましたね >< 結構最近なくなられた方も居られるのでしょうね~
>>ホシさま なかなかすれ違いで・・・ でもいいピアノで白はなかなかであったことがなくて、
やっぱり黒かブラウンとかなぜだか白はあんまりいいものにはであわなかったんですが、
でもあこがれますよね~~でもいまでも90才近い平均寿命は
この先もっと長くなるらしいから、車に気をつけて元気で長生きしてね・・・ってか
元気で長生きしましょうね^^ いくらババアになってもアバはかわらないもんね
この先ニコが進化したらひょっとしてふけて行くかもしれませんね ぶっ><
洒落になってなかったりしてね>< 世間しらずだなんてこれからじゃないですか^^
いっぱいいろいろと吸収して演奏に反映できたらいいですね 私はただ新聞からですよ
こんなに正確に知ってるわけがない>< お恥ずかしいです><
でも91歳って長生きしたんですねー。
私も負けないで95歳くらいまで生きたいですね…^^;www
さきのさん、よく知ってますね!
凄いです、かっこいいです、何か。
長文お疲れ様でした^^;www
訃報を聞いて,実は「まだ存命だったんだ」と逆に驚いたことを思い出しました。
この後,まだ読んだことなかったので「ライ麦畑」を買って読みましたよ。
早速教えてあげました。
ありがとうございます。
エイエイオー ッて元気がないけどね^^
ありがとう,頑張ります~^。
須磨浦公園の東側ですね^^ なんか今まで運がよかったんでしょうね~ ネズミ捕りみたこと
なかったから、あの辺できそうですね^^
ブロコメお気になさらなくてもいいですよ ましてや二日酔い状態なら^^
今日はカラオケに行かれるんですよね せいぜい日ごろのストレス発散しちゃってくださいね
なんか三都物語が聞こえてきそうです
ネズミ捕りの場所は須磨浦公園の東側の一の谷カンカン場の向かい側 東行きで時々やってます バスのターミナルに引っ張りこまれてますよ^^;
ブログ読ませていただきました 二日酔いで頭痛状態で・・・
ちとトラックドライバーには難しい内容で コメントが~・・・
ごめんね^^;
どきどきされたでしょ 確かにその奥様の涙はわかりませんが どんな涙だったのか
多分 ご主人をしのばれてその時間の長さに思うものがあったのでしょうか
リンツさんとお話したくてお部屋にうかがったんですが、巡回中だったとおいでに
なられなかったんで 残念でしたが、海外に居られるとそんな経験もあるんでしょうね~@@
一度、英国人のおばあさんに手紙の翻訳を内密に頼まれたことがあります。
その半年ほど前にご主人がなくなり、発見された日本語の手紙でした。
ご主人は第二次世界大戦後に進駐軍として日本に派遣されたことがあったのでした。
ただそのことについて生前話されたことはなかったということです。
手紙は、粗末な便箋に竹久夢二風の挿絵がしてある女文字の手紙で、英国に帰ってもお元気でというような淡い恋心が感じられる女性からの手紙でした。
でもこのご主人は日本語を話も読めもしなかったそうです。
それでも大事に取って置いた。。。。
下の名前しか書いてなかったのでもう探しようもありませんが、手紙を後生大事にとっておかれたことを知ったら、この方はどう思われたでしょうね。
おばあさんは泣いていらしましたが、それがどういう涙なのか私にはわかりませんでした。