Nicotto Town


変幻自在な硝子球


バイセクシャルとしての本音

“私”は“女”だ。



なのに私の恋愛感情は、同じ“女”に向けられる事もある。
その事実はネット上では自分と親しい人達は知っている。
バイセクシャルという一つの性癖で、それは今更変えられない。
いつでもありのままの自分で居たいと思っているからだ。



ただ、よく言われる台詞の数々がある。

「アンタならすぐに良い“彼氏”が出来るよ」
「女としてんの?もったいないな」
「女同士って最後まで出来ないじゃん」
「どっちか選ぶなら、やっぱ男の方が良いよね?」
「女同士のは綺麗だけど男同士のは汚いよ」

挙げたらキリがないけど、この手の台詞を言われる度に軋んでいく心。



恋愛する相手は“彼氏”じゃなきゃダメなの?“彼女”じゃダメなの?

私が大好きな相手とする行為全てが“もったいない”の?私の恋愛を否定するの?

最後までするのだけが愛し合うという事なの?終わりがなきゃ愛し合っている事にはならないの?

男とか女とか性別で選びたくない。私は“その人がその人だから”好き。分からないかな。性別というちっちゃなカテゴリーのみに捕らわれてる人には一生分からない事なのかもしれないけど。

それでも愛し合っているカップルは沢山居るよ。綺麗だとか、汚いとか、そんな事言ったら異性間の行為だって、お世辞にも綺麗とは言い難い行為なのでは?部位によってはとてもグロテスクだし。自分の事全て、自分のしてる事全てがお美しいとでも思ってるの?女同士であろうと、男同士であろうと、本人達が満足していて幸せならそれでいいんじゃないの?綺麗さとか汚さで推し量る事自体がナンセンス。



いつも。

…いつもだ。

『見えない偏見』は至る所に溢れ返っている。



「私は偏見なんて持ってないよ」

なんて言ってる人に限って

バラエティでゲイを題材にしたコントを見て

「うわー、キモイ!」とゲラゲラ笑っている。



異性間の恋愛は普通。
同性間の恋愛は異常。

じゃあ、その“普通”や“異常”というのは誰が決めるの?誰が決めたの?
何を基準にして“普通”だと思うの?“普通”ってどんな事なの?何をすれば“普通”になるの?

“普通”っていったい何?

考えたって明確な答えが出るわけでもないけど、昔からずっと考えてる。



女の子と手を繋いで歩くと道行く人々の視線を感じる。

学生の時は女の子同士でもそれが“普通”だと一般的に思われていたから、気にならなかった。でも社会人になってもふざけた様子もなく手を繋いでいる女同士はそうそう居ない。「あの子達、レズかな?」なんてひそひそ話まで聞こえる始末。周りを気にして手を繋ぐのを嫌がる女の子もかなり居る。いつまでも学生気分ではいられない。デートなのに程良い距離を保ち、友達のフリをしている。周りに怪しまれ蔑まれ好奇の目に晒されるのは、誰だってやっぱり怖いのだ。



一般的に見て少数派の私は世間から見たら変人なのかもしれない。
心から理解される事なんて、今後もきっと来ないかもしれない。
お堅いお国柄の日本は私のような人間にとって確実に住みにくい国だと思う。



『見えない偏見』は
今日も私を苦しめ続ける。




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