インターネットのその先にあるもの
- カテゴリ:人生
- 2011/01/05 10:05:08
このニコットタウンも含め、インターネットには様々な情報と
情報源があります。
それは単に料理の作り方とか、電話番号、電車の時刻表だけでなく、
より主観的な情報、感情、そういったものまで網羅されています。
ところで最近、食事をするときに、ガッカリすることが少なくなりました。
自分で作るときはレシピ集を参考にできるし、
外に食べに行く時には、事前に検索することで地雷(的なお店)
を避けることができます。
まずいものを食べるよりは空腹でいる方がマシ、と考えてしまいます。
これに似た、いわゆる「若者の~離れ」という現象は
経験よりも前に、情報で理解し咀嚼し、満足しているのかな、と
思います。recoは若者では無いですが、理解できる現象です。
秘密のベールで覆われていた様々な体験が、ネット上に
晒されているので、実体験の感情が失われてゆき感動が薄まります。
それは、悟りに似た状態と思います。
経済界(CM・雑誌による洗脳)、
友達が持ってる・やってる、
社会的な慣習
からの自由、それは今までの社会的な問題を
克服し、自立し洗練された個人を作るかのような兆しを感じます。
さて、グーグルやヤフーの1ページ目にでない情報、
つまりインターネットで知ることができない知、経験は、
それこそ、非常に貴重で、語る価値のある経験です。
失敗の経験があるからこそ、成功の喜びがあります。
どうか、大いに語ってください。
インターネットのその先にあるもの、
それは現実。そしてインターネットを経て辿りつく現実は
密度の濃い、より充実した現実と思います。
さらにその先、それは個人の感情が、共有される
社会が感情中心に再編される、そういう現実が見えます。
>インターネット社会を育てていくのは、参加者一人一人。
至言と思います。鏡をみるように、自分のされたくないことを
他人にしないようにする、不文律・慣習法的なルールが
徐々に自生されていくように思います。
感情の暴走はそれを規制するのが容易なので、
それほど心配しなくても良いと思います。
こちらこそ、どうぞよろしくお願いします
ご本を多く読まれるのはいい事ですね^^
多読は自分に財産を積むことと思います。
現実感が希薄になる現象は、情報化と関係があるかもしれません。
ブログでは書かなかったのですが、色々な心理的な要素が
含まれているのかもしれないです。
充実した現実は、例えば読書の中にもあると思います。
睡眠時間を削って読みたい本に出会える幸せ、
そういう時は、何時間経過したかがわからなくなります。
疲れていても、疲れが気持ち良いし、
眠くならないし、お腹もすかない、
自分の知る世界を自分が把握した感じが、
充実した現実と思います。
現実の人だという意識を強く持つようになりました。
ネットでの交流で、個人の感情が共有されること、感情中心とした社会の再編がなされるだろうという
ご指摘、私も、同じような認識を持っています。
感情論の暴走を恐れますが、痛みを分かち合う心や優しさの共有ならば、瞬く間の感情の伝播・連鎖も
またよしと思います。
インターネット社会を育てていくのは、参加者一人一人。
良心を持って利用していくことをお互いに誓い合いましょう。
これからもどうぞよろしく!
私は所謂若者と言われる世代ですが、それが原因で~離れになっているとは今まで考えたことはありませんでした。
かといって自分は~離れの代表である活字離れや理科離れとは正反対の位置にいる気がします。(多読賞を何度も貰い、工学部に進学したので)
ただ、私の場合変人を自称しているほどなので多数派の意見とは違うことが多いのですが。
時々感じるのは現実に起きているはずのことでも「現実感」が希薄に感じられることでしょうか。
これもネットが関係しているのかどうかはよく分かりません。(といっても、現実と虚構の区別はつけられるつもりです)
充実した現実というのもよく摑めないというのが実際のところです。
人生経験が浅い上、非リア充の自覚もあるのでまだこれからなのかもしれませんが。
感情の共有とは、個人の外見や経験などを超えると思います。
従って、共有相手を意識するのは共有の深度程度であり、
実際の人間関係のような、外見、所得、学歴、年齢、などは
関係ないと思われます。
今までよりもより柔軟に頭をつかうことが求められ、
相手を思いやる心とか、自分の感情がどの位
社会と一致しているのかを察知する力が必要と思われます。
このニコタもそうですけど、顔が見えないw
どんな人がやってるのかとw
未来はもうそこにあって、例えば2チャンネルやニコニコ動画など
ひとつのテーマに沿ってコメントが集まっています。
recoは、これらの人たちが情報を求めて集まっているとも思えますが、
一方、同じ感情を共有したい、繋がっていたいと思う気持ちが
人を集めている様にも思います。
ネットは現実を快適に過ごすためのツールとしてあるだけでなく、
ネット自体が、人を集めている、手段が目的になりつつあるように
思えます。
もしかしたら、インターネットはなくなってしまうかもしれませんが、
感情の共有は、これからも進んでいくと思います。
ワイドショーが政治を動かすのが許されるのなら、
感情が社会を再編するのもありうると思います。
怖い気がしますが 個人の集団が社会であるのなら
感情中心になるのは当たり前なのでしょうか
人ぞれぞれ感じ方が違うのは今まで自分が経験したことや
環境によって左右されるのでしょう
ネット検索でおしいお店と行ったら 不味く感じたという
人も居るはずですが みんなが美味しいと書いていると
自分の今までの食の感覚まで否定されたようで怖いですね
情報社会の今の世の中でネットを上手に利用して
それ以上の経験を得るのが自分の成長になるのでしょう
大いに語ることはその一つですね。