Nicotto Town



暁光まで

一匹の三毛猫が夜の街を疾る。
今宵は新米隠密の元へ顔合わせに。
向かう先は香や酒の匂いが立籠める歓楽街 -遊郭へ。

夜も更け、賑わいの残滓が残る妓楼の数々。
その中の一つに細く障子の開いた部屋があり、薄明かりが漏れ出して、人待ちの気配が窺えた。
(正確には人ではないが)
今夜は床付けの客も無く、早めに寝むことになっているハズだ。
するりと身体を滑り込ませ、音も無く畳の上に降り立つ。
灯りの近くに座していた人影から声が掛かった。
「来んしたね」
馴染みとなった郭詞、ただ発している者は以前とは別の人間…。
薄暗い部屋でも猫の目には充分すぎる程の明るさだ。
獣から人の形に姿を変え、花魁の前に歩み寄る。
手には猫の姿の時には見当たらなかった、神刀ムラマサを携えて。
「初めて御目文字仕る」
猫の発する声は、やはりどことなく人とは違うものに聞こえる。
花魁は初めて目の当たりにした変化に肝を抜かしたようだが、さすが隠密に抜擢されたことだけあって、直ぐに自分を取り戻し平静を繕った。

それからは他愛の無い話を幾つか、お互いの紹介も兼ねつつ言葉を交わす。
猫の方は特に花魁について知りたいことは無かったから、主に花魁が尋ねてばかりだったが。
何故に人の形をとれるのか、このような仕事に付いているのか、何処からきたのか…。
「そんなこと、某にだって解る筈もない。気付いたら人語を解し、人形に変化出来るようになっていたのだからな」
隠密の役が変わる度に、同じことを訊かれた。
だから先廻りして続ける。
「お主も物心付いたら言葉を憶え、身体は勝手に大きくなったであろう?自分の意思に関らず」
それとは少々違うのではないかと、不満そうな表情になったのを見遣って、更に続ける。
「何故存在するのか、という疑問はあらゆる物事に通じるだろう。理由があって人が在るのか?猫が、物の怪が在るのか?」
花魁は答えられず、三毛猫はしばし黙した。
しじまを縫って、山の方から遠吠えが聞こえる。
狼の群れが移動するのか、狩に出掛けるのか。
「あの獣達も自由に生きているのでありんすね…」
ぽつりと呟く。
遊郭から出るには身請けされるか借金を返済するしか術はない。
だが、猫には関係のないことだ。
「そろそろお暇するとしようか。そなたも休んだ方が良い、ここの労働は過酷だからな」
花魁としての勤めだけでもかなりの負担だろうに、その上隠密家業まで背負わされているのだ。
きっと、早く借金を返せると言われているのだろうが、その前に命を落とすかもしれないのに。

猫の姿に戻り窓枠へと飛び乗ると、その背に声を掛けられる。
「今夜はありがたいことでありんす」
ちょいと尻尾を振って応えた。
「彼方の話して下さったこの世の在り方や理を、わっちなりに考えてみんす。納得がいく答えが見付かるかは解りんせんが」
もう猫の姿は無く、夜風が入ってくるばかり。

猫の耳は花魁の言葉を捉えていた。
屋根を塀を生垣を軽快に駆け巡りながら会話を反芻する。
『彼方は自由で羨ましい…』
縁があって、退屈しのぎに今の任を受けているが、縛られている訳ではない。
そういう意味なら自由だろう。
でも、もう自分が何時この世に生を受けて、どのくらい生きてきたのかさえ定かではなくなった。
多少のことでは死ぬ事もない。
人語を解するようになったという事は、人の世と関らなければ生きていけない存在になったのだろう。
そして何時になったら死期が来るのか、それは自分が存在している理由と同じくらい知る由もない。
一時の生に囚われてはいるが、花魁の魂の方がずっと自由だと思っている。
魂は巡るのだ。

夜の帳の中を猫は疾る。
夜明けはまだ遠く、月の光は浩々としている。
それでも必ず陽は昇り、季節は移ろい、歳月を経て全てが変わっていく。
きっと自分にも何時かは変化が訪れるだろう。
変わらない物等ありはしない。
ならば退屈しのぎを、もう少し続けてもよいだろう。
こうして疾っている時の、髭に感じる風の心地好さは格別なのだから。

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おしまい

黒ニコガチャ10弾より着想




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