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前漢(西漢)・文景の治

呂氏の粛清後、皇帝に即位したのは代王・劉恒(文帝)だ。
秦滅亡から漢建国までの8年の内戦は国力を疲弊させた。
文帝は民力の回復に努めた。
農業を奨励
田租を半分の30分の1税に改めた
貧窮した者には国庫を開いて援助
肉刑を禁じ、労働刑を課した
自ら倹約に取り組み身の回りを質素にし官員の数を減らした
B.C.157年、文帝は崩御
文帝は新しく陵を築かず、金銀を陪葬せず、喪も3日で明けるように遺言

劉啓(景帝)が継ぐ
景帝も基本的に文帝と同じ政治姿勢で臨み、民力の回復に努めた
その結果、倉庫は食べきれない食糧が溢れた
銅銭に通した紐が腐ってしまうほどに国庫に積み上げられた
実際の数字からも国力の回復は明らかだ
『曹参が領地として与えられた平陽』
当初は1万6千戸であったのがこの時代には4万戸に達していた

この2人の治世を讃えて文景の治と呼ぶ

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