昭和
- カテゴリ:30代以上
- 2010/12/25 19:30:04
今も静かに生き続ける昭和の家、
仕事がかなり早く終わり今日は父の実家を訪れた。
質素なたたずまいの中にある豊かさのようなもの、
心ひかれる、つつましやかな暮らし。
丁寧に住み暮らしたのだろう一つの家族の歳月が、
今もここを居心地のいい場所として想い出にしている。
玄関の引き戸を開けると、
思わず「ただいまー」って言ってしまいそうになる。
見覚えのある古風な民家は亡き父がすごした想い出の場所、
今はもう誰も住んでいないのだけれど管理会社に見てもらっている。
まだ、そこには人が住んでいるかのようだ、
ここにはリアルな昭和の暮らしが残っている。
クーラーのない部屋は、不思議な涼しさだった。
半透明のガラスを通って室内に漂うひんやりした光、
足元にざらりと敷きござの感触。
ブタの蚊取りから煙が立ちのぼり、
茶箪笥の上の真空管ラジオは白熱した高校野球の模様を伝えている。
柱時計が三時を告げると、
畑で取れた冷えたスイカをよく食べていたあの夏の日。
あらゆるものが、遠くおぼろげな記憶の扉をたたく。
この感覚は不思議な事に世代を選ばないらしい、
当時を知らなくても妙に落ち着くらしい。
茶の間には昭和の暮らしには欠かせないちゃぶ台あり、
当時けっして広いとは言えない居間でご飯を食べてよく笑った。
私は父の実家にはTVが無かったのを覚えている、
でも退屈はしなかった。
周りの自然は子供の私にとっては、めずらしい遊び相手だったから。
電気はあったが水道は無かった、当然冷蔵庫なんて物も無い。
台所仕事は水汲みに始まって、
外のかまどで薪を燃やして煮炊きが中心だった。
こんな暮らしの中、
家を支え続けた父の祖母はまさに強しとしか言いようがない。
脈々と受け継がれてきた知恵と工夫、慣れ親しんできたものたち。
なぜ人はみんな、いともあっさり捨て去る事が出来たのだろう。
でも、そのおかげで現在の暮らしがあるのだけれど。
密かに思う、いつかこんな暮らしをしてみたい。
何事も省略刑が当たり前になった現代だからこそ、
そんな丁寧な暮らしをてし見たいなんて夢に見る。
釜で炊いて、木のお櫃からよそうご飯の味は格別だろう。
それが憧れだと言ったら、当時の人は笑うだろうか。
@_@;
ΩέΞΎ-αγεΔ-ΒΆξξでし。
お伽県夢見街通り3丁目でし。
って・・・・ほんとかょ・・・もーーーーーーーーーーーーー。
来て来て・・・サンタモニカ~~~~♪
ぎゃははははははははは・・・・。
私はTVをほとんど見ないので問題なし、でもお風呂とか煮炊は思ったより大変でし。
でもいいですね。
テレビというかビデオがないとだめだけど
他はゆっくりと暮らせる釜のごはんは格別でしょうね。
水を汲んで沸かすお風呂もいいものですよね。
いつか実現しましよう、夢のマイホームをネ。
私自信が昭和?。 まだ 昭和の匂いがプンプン。
家は 人が住んでこそ家。
人が住まなくなった家は すぐにボロボロになり 廃屋に・・・・・。(近所に在ります)
人の 力と言うか エネルギーと言うか すごいです。
自分の思いどおりに作っていただいた家に住みたいです。 いつの事かな・・・・・・。
えー!! 15で嫁に行ったの? 、って誰の話ょ。
郷愁の思いに浸るのって心の栄養になりますよね~
赤とんぼみたいな世界。
おっと、でも、15で嫁に行って
延々大家族の世話は私にはちょっと・・・
ここには、まだいっぱいの自然が残っていんですょ。
そして、例の裏山、当然歩って来ました。
お姉には会えなかったけどネ。
転勤であちこちの田舎で生活をしていた頃、その土地に慣れるまでは大変だったけれど
楽しかったです。また、転勤したいなぁ~。
今なら子育てもないから、日中や休日はあちこち散策できる・・・なんて、都合の良いこと考えます。
母を置いては移動ができませんが、田舎の自然と美味しい食べ物の味は、忘れられないです。
う~ん、いいですねー。
私もいつかはそんな暮らししてみたい。
ものすごい田舎にあるので、そのまま残っているんでしょ。
でもいっかはさよならする日が来るでしょう。
うちもこっちに来て3年。
何でもそろう所から、ちょっと文具がない…といえば
車で20分走らなきゃ揃わない。。。
なもんで、本当に今必要か…を問い直して購入するようになったかも。
それが、結果、モノを増やさない、ゴミを出さない暮らしに結び付いてきたかも(≧▽≦)
海で魚を釣り、山で採れたしいたけなんかホイル焼き。
お米も棚田でできた美味しいお米。
…こんな風に生活できるわが家。。。
時々シアワセをかみしめるようにしてるのよ~~(*´∀`)
父の実家(中野のど真ん中)は随分遅くまで薪のお風呂でした。お湯がやんわりしていてね。
いつも同年代の従兄弟従姉妹たちとごっちゃで、ぎゃーぎゃーのぼせるまで遊んでたっけ。
ぼったんトイレに落ちそうになったことあるです。いまだにコワい記憶。
母の実家はこれまた古く、大森海岸近くの築200年くらいの茅葺き。関東大震災でも一軒
のみ残ったそうです。大黒柱は、本当に太くいい黒色に光ってました(エロではなし!)。
縁側の涼しいこと。蚊屋の中で寝てても、そう、蒸し暑さの経験無し。却って「お腹を
冷やすといけない」と、お腹周りにバスタオルを襦袢のひもみたいので巻かされ、なんか
みの虫状態、寝返りがしにくかった記憶あり。蚊取り線香はもちろんブタさんね。
10年位前に従弟の代になり、取り壊してマンションに。
父の実家も母の実家も、記憶のみですね。自然は、前も記したけど都内なりの自然。
天神様とか。
では、今の家(実家)を、私は保てるのか、、といえば、諸事情で難しいです。
妹たちは無くなってしまうことに反対するでしょう。父が亡くなる5年前に立て直して
くれた、実家。生活は生活なんですよね。
とっても心温まる話題提供、ありがとね。
火鉢ですか家にもあります、ウーンまだそんなに昔でもないのかもネ。
私なんて、よわよわでしからネ~。
そうなんでし、楽な方がやっぱり・・でも憧れってありませんか。
穴を掘って作ります、海でもいいですねー魚のえさになるので。
そこで魚も釣れます、釣れた魚をそして食べる。
火鉢なんていう物もありました。。。
確かに。。。時間がゆっくり流れ居たようなきがします。
夏休みに遊びに行くと寒くて。。
いつも風邪ひいてました(^^;
込み上げてきますよね^^
「ただいま~」と言いたい気持ち良く解りますw
でも現代人は貧弱になってしまったから当時の暮らしは
難しいのかもしれませんね(*^_^*)
ずっとそのままであってほしいなぁ♪
シンプルな生活は、大変なことは大変で、その分人は強くなって…。
そこには本当の価値が見えていたんじゃないかなって思います。
本当はそんな生活が人としての理想なんだと思いますよ。
でも、楽ができるなら楽したーい…ダメだこりゃ(-_-;)
でも・・・トイレどおすんの?お風呂は海でもいいけど、トイレは、いる!
私はキット満たされ過ぎているんだと思います、
あふれかえる好きな物の中で溺れそうでし。
僕もそうなのかな~・・・うん。
満たされないから工夫。
なんか、2年前のnicottoの時代を思い出した。(全然関係ないけど^^;
そうで~す、現実はそんなに甘くないんでし。
子供の頃、冬に泊まりに来た時に、夜あまりに寒くて眠れませんでした。
朝は、井戸の水を汲んで顔を洗ったり。
お風呂は五右衛門で薪。
ゆっくりと時間が流れてました。
夢見るのはいいけど、住むとなると、うーん。
だから憧れなんですかね。
難しいですよねー、私だって古い家と新しい家どっちって言われたら。
何の迷いもなく新しい方とりますもん、え!! 、入ってる事違うじゃんって。
住まいは新しい方なんですよーだ。
沖縄ですかー・・・お供します。
昭和ってはや、今は昔って香りがするようになりましたねぇ・・・・
今わたしんちって、築100年の家を中だけ今風にリフォームしたんですよ~~
外からみたらたぶんブラボ~しゃんのおじいちゃんちみたいんだろうなぁ・・・
昔の家って結構頑丈に出来てて長持ち・・・・でもおしゃれな外観のおうちに住みたいなぁ
便利な現代の生活を経験し
時代を経験し・・・
そこで踏ん張りながら今を生きる。
その先に、憧れ?夢?
待っているのだと感じます。
あっ、ちなみに私・・・
50代?60代?・・・沖縄永住
そんな夢がありましたw
いいですねー、失われた物って中々取り戻せないんでし。
今があまりに便利になり過ぎて・・・ってあんたそんなに昔知ってるのって言わないの。
炊飯器で炊くご飯とは違うおいしさがあります。
テレビはリビングに1台あるのみ、
個人でテレビを持つと家族の会話が無くなってしまうから。
お互いの気配をかんじつつ、引き戸をしずしずと開け閉めする。
祖母から教わった、昭和のよい所を取り入れつつ、暮らしています。
そんな暮らしが今、とても贅沢だと思いながら。
さすがでし、私も実は二度ほどサバイバル訓練を受けた事があります。
必要最小限の物だけ持って、無人島で一週間生活する物でした。
元々それらが好きで飲み水の作り方、火の付け方や食料の確保と知識はあったので。
そのいつ一週間は楽しかったでし。
物はすぐに手に入る、だからすぐに捨てて新しいものを買う。
人もそう。適当に無難に自分を守る。
そのわりに寂しい渦を巻いて。依存、ストーカー、薬・・・
便利になった分、一生懸命とか考える事が失われたね。
私は無人島で暮らしてみたい^^たぶん出来るよ!
みんな引き連れて、楽しく暮らすのじゃ^^
今だって、ケータイ持たずに頑張ってるもーん。