『Not guilty but…』(12)
- カテゴリ:自作小説
- 2010/11/24 05:03:05
『Not guilty but not innocent』(承前)
臨床実習での最初の担当患者が、彼女だった。
実際に会う前に一通りのレクチャーを受けていたので、ある程度のバックグラウンドは承知していた。怪我の原因になった事故で親兄弟を失っている事とか、ICUに四カ月入っていて、一度ならず心肺停止に陥った事があるとか。
正直、最初から厄介な患者に当たったなあ、と思った。背景事情が複雑そうだったので。
だが、実際担当してみると、かなり扱いやすい患者だった。わがままを言う訳でもないし、薬もきちんきちんとのむし、点滴の針が巧く入らなくても、文句言わなかったし、具合の悪いところはちゃんと言ってくれるし。
他の患者を担当して、後から思い出してみれば、の話だが。
その当時は、その年頃の女の子にしては不愛想だな、と思っていた。
笑ったら、きっと可愛いのに、と。
それくらい、表情に乏しかった。あるいはまだ。事故の後遺症で表情が巧く作れないだけだったのかもしれないが。
二週間の実習が終わり、翌週からは違う科に行く事を告げると、彼女が静かに泣き始めたのには驚いた。予め二週間の実習だという事は伝えてあったし、それほど懐かれているようには見えなかったのに。
……いや、彼女自身も、自分が涙を流している事に戸惑っているようだった。
「あれ。……どうしたんだろう…」
そうつぶやいてパジャマの袖で目元を拭う。
実習期間中で唯一、と言っていいほどの感情表現が、自分でもわけが判らず流す涙だとは。
「……もう、涙なんて出ない、って思ってたのに」
そういえば、彼女はここに入院する原因となった事故で、家族を全て失っていたのだったっけ。……ずいぶん、泣いたんだろうなあ。
「科は変わるけど、よその病院に行く訳じゃないから。またどっかで会えるよ。ああ、そうだ。退院の時には見送りに来るから」
気休めにもならない、月並みな慰め文句だなあ、と思う。彼女もそれを察したのだろう。涙を拭って笑顔に似た表情を作って顔を上げた。
「いえ、いいです。……センセイの実習期間中に退院できるとは限らないし」
「早く治せばいい。リハビリ頑張って」
当時はまだ後遺症で左半身に少し麻痺が残っていた。
今も少し、左半身を庇うような動きをする。
《彼女》は。
彼女と再会したのは、終電間際の、駅に向かう階段で、だった。ずいぶん綺麗になっていたので、気づかなかったのだけれども。
彼女が階段を派手に滑り落ちてきたのだった。
そのせいで終電を乗り逃がし、はずみで一夜を共にする事になった。
ひどく甘美な体験だった。おかげで、厄介な相手だと解っていても離れがたく思ってしまうような。
……けがの手当てだけ、のつもりだったのだけど。
その翌朝。《彼女》は前夜の事を丸ごと忘れてしまっていた。
両膝に残るすり傷を見て、「もう2度とお酒なんか飲まない」と彼女は言ったが、前夜の様子からはアルコールの影響はみてとれなかった。
更に聞いてみると、それ以前にも時々同様の事があったらしい。
それで彼女をここのクリニックへ連れてきたのだった。
院長は『信頼』と言うが、《彼女たち》の懐き方は、ちょっと違うような気がする。
「……俺が、《彼女たち》に頼られてるのは、身長のせいですよ。たぶん」
「身長?」
「古い家族写真見ると、彼女のおやじさん、背が高かったようで」
彼女自身も長身だし、おそらくはその写真ではまだ幼児だった『兄』(交代人格の一人だ)も。
「ほう?家族の事は、……覚えてないんだったよね?」
「そうですね、名前とか、死んだ時何歳だったか、とかいう事は覚えているようですが……」
「記憶、ではなくて、後付けで覚えたデータ、ってことか?」
「おそらく。だけど父親の背が高かった、という事は、体がなんとなく覚えていて、それで俺と一緒にいると『何だかわからないけど安心する』という状態になっているのではないかと。……他の、例えば仕事関係の知り合いでも、男性の場合は背が高い方が緊張が少ないみたいなので」
「『理想の人はパパ』ってか?そりゃ大変だ。NBAの選手が来日したら、彼女を家に閉じ込めとかんとな」
「茶化さないでください」
「茶化してないさ。……今度の相手もそうだったのか?」
「あ……それは、確認してませんでしたが。……もう搬出された後だったので」
「搬出?」
ああ、警察沙汰になってるって件は省略したんだっけ。
「目が覚めたら、隣に死体がいたんだとか。今回は」
「死体?……やっちゃったのか?」
「警察の話では、外傷はない、との事で……」
ああ、そうだ。検死の結果を聞かないと。
「死因は解剖してみないと特定できないとか」
ジャケットのポケットから携帯電話を出す。
別のポケットに入れた名刺を出してそこに手書きされた番号に電話する。