心痛めて
- カテゴリ:人生
- 2009/03/14 19:47:17
ニコッと在籍して4か月が過ぎました。思いのほかいろんな人たちと
話す(コメントやチャット)機会に恵まれました。
心を痛めてしまった人が多いのに、少しばかり驚きました。
辛い出来事に病にまで陥った人、抱えながら苦しんでいる人の
ブログ、プロフィールを読み、考え込むことがあります。
仮想空間だから、本当のことはわかりません。それを差し引いても
文章の端々に残された、窺いしれる状況に深いため息がでてきます。
辛い状況にある人も、その体験を踏まえ、他の人を励ましているコメントに
出会うと、ああ、頑張っているんだなと、心を動かされます。
痛めてしまった心も、優しい言葉で慰められることがあります。
でも、立ち直るのは残念ながら、自分の力しかありません。
みんな、生きている限り無傷ではいられません。時に過酷です。
どうやって諦めないでいれるのか、自分の人生を。
そんな時、わたしはひとり(1頭ではありません)のゴリラの物語を
思いだします。
彼はウィリー・ビーと言いました。もう亡くなってしまった雄ゴリラです。
ゴリラはとても繊細な動物で、群れの繋がりの中で生きています。
平和主義で人間よりも優しく情愛が深いように思えてなりません。
みなさんもご存じのように絶滅に瀕しています。
ウィリーは幼い頃、アフリカのジャングルで生まれ、家族や仲間たちと
平和に暮らしていました。
1960年代、ゴリラの研究は進んでおらず、凶暴な怪物としてのイメージが
強く残っていました。動物園も見世物的な存在でした。
当時、幼いゴリラを捕獲するために、群れを全部虐殺することが常識でした。
群れの絆が深く、頭も良いため、学習して子どもを取り返そうと逆襲するからです。
ウィリーも父や母や仲間たちを目の前で殺されて、捕獲され、米国の
アトランタ動物園にやってきました。
そこで、当時の市長名前を貰ったのですが、待遇は牢獄でした。
冷たいコンクリートに囲まれ、空も見えない鉄格子の中です。
ゴリラの寿命は30年くらいと言われています。
ウィリーは実に24年間、たった一人で檻の中で暮らしました。
ゴリラの繁殖が重要視される時代に変わりました。より自然に近い環境で
群れで飼育するシステムが開発研究されたのです.
冷たい檻の中で親指を加えた姿勢のまま、ぼんやりとした瞳で身動きしなくなった、孤独なウィリー。
24年間、他のゴリラを見たことがありませんでした。
人間でいえば50歳を超えたくらいでしょうか。
何もかも初めてでした。自分以外のゴリラや雌ゴリラに会うことも
コミュニケーションの取り方も、喧嘩のやり方、収め方。
檻から、野外に出る時、ウィリーは眼を丸くして、少し怯え
空を見上げました。柔らかい草の感触を踏んでは、あわてて
ねぐらのコンクリートに戻ります。雨が降ってきたら、避ける為に
どこかに避難しなくてはいけません。暑くても寒くても対処法を自分で
考えなくてはなりません。
ウィリーはいちから、子どものように学ばなくてはいけませんでした。
そして、繁殖。ボスになって群れ、家族を率いることは動物園関係者
から、ほとんど無理だろうと思われていました。
思惑を見事に裏切って、ウィリーは群れのリーダーになりました。
家族を守りボスの役目を立派に果たして、子どもをたくさん残しました。
そうして、当時最悪の環境だと悪評を買っていたアトランタ動物園再生の
シンボルになったのです。
アトランタ動物園にはウィリーの子孫たちが元気に暮らしています。
ナショナル・ジオグラフィックDVD「都会に生きるゴリラ」より
遅くなってごめんなさい。
ごく普通に生きているだけで、大変ですね。
いろんなものは、失くしたときにどんなに大切だったのか
思い知らされます。
瑠偉さんはまだまだ若いから、これからいっぱい
いろんな事に出会い、いろんな物を吸収して、素敵な人に
なっていくと思います^^
辛いことや悲しい経験も、そこから学ぶことができるのであれば
無駄ではなく、意味のあるものになるかもしれません。
とても大変です。
とりあえず、生きている限り、少しずつでも前に進みたい、
そう思います。疲れたら休みながら。
リアルなわたしはもっと情けないものです。
わたしの方こそ、ここでいろんなことを考え、戒め、
励まされています。
生きる力、考えさせられます。
ウィリーは本能に従っただけかもしれません。繊細な感情を持つゴリラの彼が
実際に何を思っていたのか、私たちは知ることができません。
それでもウィリーの姿には、希望を想像させてくれます。
見世物にする不純な動機で、彼はすべてを奪われました。
その不条理さは、世間にも似たところがあります。
でも、起ってしまったことは、どんなに泣いても辛くても変えることはできません。
ならば、与えられた手札で乗り切る道しか残されません。
この考えは正しい。
そうして、本当の苦境を乗り切った僅かな人と
本当の痛みや傷を経験したことがない人が
頑張ってと口に出し、信じることができるのではないかと
わたしは思います。はっきりとはわかりませんが…。
中途半端に生きているわたしには、やはり痛い。
辛いまま、痛いまま、終わってしまう残念さには
どうしようもなく哀しい気持ちになります。
戦って乗り切るということは素晴らしいことです。
それでも、みんながみんな強いわけではありません。
honeyさんが書かれたように あきらめてしまっても
責める気にはなれないのです。
でも、ひどく悲しい。
諦めないで。そう小声で囁いて願うくらいしかできません。
その声は、たぶん、自分に向かって落ちて行きます。
ある程度生きれば、みんな何がしかの傷を負います。
どこかに、諦めたい自分を抱えています。
逃げたい自分を見つけます。
だから、今、辛い思いをしている人に
やっぱり
諦めないでと願わずにはいられない
わたしの場合はそうです。
自然界は厳しいですからね。生き抜くためにみんな一生懸命。
その姿は美しいものです。
でも、ルルさんも頑張りすぎないでね。
いつも気遣っているみたい。
時々、弱音吐いて。愚痴言って、ストレス解消してね^^
お返しか何かで、選べる商品カタログが着き、その中で雑誌NGも入っていました^^
購読しているのだけれど読む時間がない><;;
摘んでいくばかり…。いけないなぁ。
悩んでいるブログへのコメントは雨柳さん同様、いかにするべきか
いつも考え、悩みます。
コメントを消されたことも、辞めていかれた方もいるんです^^;
接客業をしていた経験があるので、すべての人に受け入れられることは
まずない、とわかっています。が、よかったのかどうか、
案外、短慮なので、反省ばかりです…。
ゴリラさんの柔軟な優しい感情に、まず感動してしまいます。
本当のところ、ウィリーの気持ちは分かりません。彼は何を思い考えていたのでしょうね。
それでも、歳月に負けず、もう一度与えられたチャンスを逃さず
チャレンジしていく彼の生きる力に、人の思惑を超えた
自然が与えてくれた種としての強さを感じます。
お言葉はとっても嬉しいのです。が、褒められるのに
慣れていなんですね^^;
違う、違うと言ってしまう。多少、歳がいっている分
経験値があるというだけの、中途半端な人間です。
辛い経験や苦しんでいる人を本当に理解するのは、無理だと
わたしは思っています。
痛みや苦しみ度合いは人により様々なので、自分の価値観の中から
引き出してくることしかできないで、あてはまらない場合、
大きな失敗をしかねません。←よくしました。
自分の経験と希望を述べるしかありません。
その正直さ以外、浮かばないのです。
できる限りその人の立場に立って考えてみますが、
やはり、どこかに奢りがあるようにも思えてきます。
ここでは、いろんな意見が、温かい衣に包まれて
戴ける場所のようです。
実は、わたしも、ここまではまるとは意外でした^^;
実は、他にもいっぱい都会に生きるゴリラさんが登場するんです。
ウィリーは映画にしたいくらい、魅力的で幸せな最期を
迎えます。勇気をもらうと同時にホッとする、後味の良さがあります。
他には、孤独なまま生きているゴリラさんや、大富豪の贅沢で
ゴリラ動物園を作っているケースもあります。
倫理的にはどうかと思うのですが、幸せそうなんです。ゴリラたちが。
人に最も近い感情の機微を見せる生き物ゆえ
ついつい、いろんなことを考えてしまいます。
ニコッとの皆さんは、本当に優しいですね^^
人は悪い面を出す場に追いやられると、案外、出てきて
悪意にうんざりするサイトもありますが、
人の好意が、こんなに集まりやすいとは、新鮮な驚きでした。
顔も名前も知らないけれど、生きた言葉に励まされると
勇気をもらえますね^^
そうですか…。米国は徴兵制度がある国ですもんね。帰還兵の皆さんが
精神的に苦しんでいることは、折にふれ見聞きすることがあります。
イラク帰還兵も自殺者が多いと聞きます。そんな個人の痛みに関わる情報は
あまり流れないのが実情ですね。痛ましいことです。
人を傷つけたり殺したりしてはいけない倫理観で生きている社会から
人を殺し傷つけるなければならない戦場に送られる人々の葛藤は並大抵ではないでしょう。
それを、どうやって乗り越えていけるのか、深い深いため息しか
わたしには出てきません。
お友達のみなさんが、少しでも明るい光を見つけられますよう、願っています。
人間で残酷な生き物ですよね。
動物園も考えれば、人間の勝手な思惑からできてます。
それでも、今、動物園にしか存在しない動物もいて
人が絶滅に追いやった種が、人の手で保存されている状態です。
人よりも繊細なゴリラ、その衝撃は、どんなに辛かったことでしょう
生きていくって、本当に大変なことですよね。
辛い出来事を乗り切るのは、たやすいことではありません。
でも、諦めないで、自分の持ちえる環境の中で最大限
頑張ってみる、そうすると何かが変わるかもしれない。
ウィリーを観て、そう思うのです。
人間でいえば初老、ですから^^
だからこそ、ウィリーは貯めていた力を発揮できたのでしょうか。
実は、ゴリラの生体は人間と見分けがつかないほど似ているそうです。
偶然が、人間にほんの少し味方しただけなのです。
勇気ある好奇心と、恐怖を克服する柔軟性、いくつになっても
失いたくないものをウィリーは教えてくれます^^
黒猫手毬さんのブログ、私が忘れていた感情や言葉を、思い出させてくれます。
私にとってすごく温かい存在です。
人間には感情というものがありますがゴリラだってそうですよね。
平和を願い、幸せに家族と過ごすことを願うでしょう。
ゴリラと人間、一体何が違うのでしょう。人間と一緒だと私は思います。
ウィリーがそういう状況にあり、見て見ぬふりをしてきた人もいるでしょう。
少し場所が違っただけでこんなにも生き方が違うのですね。
人生の半分以上平和を知らないで生きるなんて。
意味のある人生を生きてほしい。
私はそう思います。えらいことなんかしなくていいから、
みんなが笑える、相手の声を聞く。そういう小さなことが
素晴らしい明日につながる気がします。
ここではたくさん学べることがありますね。
私も黒猫手毬さんからたくさんのことを学びます。
心に響いて、逃げていた私にとってはきつい言葉でもあり、
そしてこれからの私にたくさんの力を与えてくれると思います。
ありがとう。
ウィリーの生きる本能が本来のあるべき形に戻したってことかな。
だとしたら人にも生きる本能はあって、
傷を負っても修復し、またそこからやり直せる可能性は幾らでも秘められてるって事やよね。
この世で生きていくことは人によっては手毬ちゃんのいうように、
とても過酷で残酷なものでもある事もあるかもしれない。
それでも生きようという煩悩が続く限り…仮にその煩悩が消えたとしても、
人は自分の足で立ち上がって第一歩を踏み出さないといけないんやね。
それが生きるって事なんやよね。
私を始め、このニコッとには(ニコッとだけではないやろうけど)
メンタルに傷を持つ人がなんて多いんやろうって私も感じています。
リアルでは吐き出せないから仮想の中で抽象的言葉を用いて、
何かを訴えている、聞いて欲しい…そんな風にも感じ取れます。
感じ方は人それぞれやけど痛みを知るものには、
他人の痛みもまったく同じように理解することは不可能やけど痛いね。
自分のことを棚上げして頑張って欲しいって気持ちになるよね。
誰かが手を差し伸べてアドバイスすることは出来ても、背中を押してあげても、
手毬ちゃんの言うようにやっぱり最後は自分の力で生きていく道を探さないと駄目なんよね。
ここで教わることは今の私にはとても大切なことばかりです。
動物に学ぶこともありますよね~。
動物は人間と違って仲間に甘えたり、弱さを見せたりしません。
弱さを見せたら食べられてしまうから。
ウィリーくんのようなお話を聞くと、
人間は、特に平和な日本人は甘えた考え方をしているのかも...と反省する時があります(〃´・ω・`)ゞ
自己責任ですね。
確かにわたし達は様々な選択の結果としてここにいるわけです。
自分の行動に責任を持つことは大事だと、わたしも思います。
ただ、選択肢を与えられないケースは闇が深いのです。
戦争や事故や幼少期など、不可抗力な傷の場合
被害者意識を乗り越える道は、相当険しいと思います。
でも、哀しいことにどんなに辛い経験でも
乗り越えるのはやはり自分の力しかありません。
ウィリーは晩年にその力を発揮しました。
あきらめないこと、すべてに遅すぎることはないと
教えてくれる気がするのです。
恨んでもおかしくないですよね。
世話をしてくれていたのも人間だったからなのか、幼かったから
環境を受け入れざるを得なかったのか、
どちらにしてもウィリーは魅力的な存在です。
人間は食物連鎖から外れた残酷な生き物だと思います。
世界中で、人と営みの接近や様々な要因から種の絶滅が加速しています。
命は命の犠牲の上に成り立っているけれど、意味のない犠牲は
考え直さなければならず、目をそむけてもいけないことですね。
ウィリーの生きる力は素晴らしい。
画面を中でのウィリーは、50半ばのおじさんに見えてくるのです。
いくつになっても、いろんなことに挑戦できる
そんな勇気を彼の中に見ることができます。
わたしは一人でいるのが必要だし、わりと好きな方です。
それは孤独とは違ったものです。
一人で頑張ってきたつもりでも、誰かに支えられて
きたんだと、最近、思うようになりました。
誰かがいて、自分が必要だったり、必要とされたり
そういうことで生かされる力を与えてもらっているのかもしれません。
ブログの前でずいぶん時間を潰したことがあります。
他人の家の前でアバターの私が、不審人物みたいに
ずっと立っているわけです。
迷って、書かないこともあります。
書き過ぎることもあります。
難しいですね。そう思います。
入れ替わりの想像力って、すごく大事だと思うんです。
もし、自分がそうだったらって考えられるかどうか、
そういう気持ちを世界中の人が持ってくれたら
もっと住みよく変わっていくことでしょう。
そう、日々の暮らしに幸せを感じられるのが一番だと
わたしも思います。
笑い合えれば、寿命も延びるしね。
わたしの定説ですが
人は痛みや悲しみで繋がるよりも
喜びで繋がらないと続かない、そう思います。
痛みは人それぞれで、分かり合えない部分が多いのですが
喜びは分かり合える。
美味しいものはひと時、幸せを運んでくれるしね。
ゴリラさんに似ているんですか。
前にも書いたように、アバターのイメージがこびりついていて
イメージが湧いてこないのです。
なんとなく自分に似たアバターを選ぶ傾向にあるようなので^^;
マッチョな感じなんですね^^
ゴリラさんの雰囲気、わりと好きです。わりとって省かないといけないかな^^;
優しさは自分ではわからないものです。
世の中は不公平だから、本当に何か、誰かのせいにしたくなりますね。
嫉妬心や怒りなどの負の感情もエネルギーとしては強大です。
とても重い力で、PCでいえばフリーズしたりしてしまう。
自らを壊すことにもなりかねません。
苦境や、自分抱える問題を乗り越えていくのは、たやすいことではありません。
何よりもウィリーに感動するのは、彼のいわば、老年期とも呼べる時期に
さしかかりながら、新しい世界に歩みだした力です。
幾つでも、変わろうと思って努力すれば、変われることもあるかもしれない。
そう信じさせてくれるからです。
DVDなども心に響くものばかり(T^T)
動物園って難しいところです。動物を拉致監禁しているわけで・・・。
人間の檻も作ればいいのに!と、動物好きだった幼少期の私は思ってみたり・・・。
最近は動物達がより快適に過ごせるように考慮されてきているので、よかったなぁと思うしだいです。
タウンでは本当に色々な人に会えて、色んな人の境遇、喜び、悲みに心動かされます。
簡単に励ましたり、わかるわ~、頑張ってね・・・と言ったりできない事も多々あって、
ヘタレな自分は言葉に詰まってしまいがちで、言葉で何か伝えようとする難しさを痛感するわけです。
手毬さんのように、綴れるようになりたいものです♡
文章力以前に、根本的な人間性の問題とも思えますが・・・orz 善処できるよう頑張ります♡
人間の勝手な思惑によって、その人間が同じ目にあったら発狂したほうが寧ろ
楽な状態に置かれているのに最後に種として一生をまっとうした部分に感動しました。
ワタシもよくこの世界ですらつまづき、思うようにいかずに挫折を味わうコトが多々あるの
デスが、自分自身で乗り越えていかないといけないのだなあと改めて思いマス。
始めは軽視していた部分もあったのですが、
いつの間にか皆さんの温かさを感じ感謝している自分がいます。
私にとって黒猫手毬さんもその一人です。
あなたの言葉の温かさに本当に救われました。
私には、悩んでいる人の気持ちをどう理解したらいか、
いまどんなツライ気持ちなのか、どんなコメントならその人に届くのか
と考え分からず、自分の情けなさを感じてしまいます。
黒猫手毬さんの言葉はいつも私の心を打つのです。
実際の手毬様はきっともっと私の想像よりも魅力的な方だと
思わずにはいられません。
なんかこれ読んでいて一本の映画を観た気分です。。。
孤独ほど、怖いものはないと感じてしまいます。
目の前で仲間が・・・なんて、考えたたくもないですが、
実際に起きてしまっていることもあるのですよね。
世の中が怖く思えてしまいます。
私も、タウンのみなさんには、何度も励ましていただきました。
乗り越えるのは自分ですが、背中を押してくれる方々がいるのは、
ありがたいですね。
私の中の影の部分として残ってます。
バカなことやくだらないことを言って笑ってても、時々その影の部分を
見てる自分に気づく時があります。
自分自身で向き合ってくしかないんですよね。
ナショナル・ジオグラフィックは、なかなか内容の濃いプログラムを持ってますよね。
あとディスカバリーチャンネルも。
幸せなことばかりじゃないけれども。
生きていくためには、辛いことを乗り越えていかなくちゃいけなくて。
必死に生きていくその姿を見ると、いっぱい励まされます…。
子供のころに経験し学ぶべきことを
大人になって学んでいくの大変なこと
でしょうね。
それでも立派にボスになったウィリー
は、24年間の経験がいい意味合いで
働いたのでしょうね^^
もちろん本人の努力もあるのでしょう^^
傷ついても恐れずに立ち向かい学ぶ
姿は、動物にも人間にも必要なことなん
でしょうね^^
そこれにしっかりと向き合って自分の行動に責任を持つか、
物事の原因を他のせいにして、自身を被害者とするか…
人は自らの力で立ち上がれるようになるべきだんだろうねぇ
お互いを助け合えることはそれはそれでいいことだけど、
ただの傷の舐めあいでは未来に立ち向かえないよね
ウィリーはあたし達のあるべき姿を示してくれたのかもねぇ
昔はね、諦めてしまった人が歯がゆくてなりませんでした。
わたしの父がそうであったせいでしょうね。
今は、ままならぬことをかなり知ったせいで、大きく考え方を
変えつつあります。
諦めないことを自分自身で試している最中かもしれません。
人はたぶん、誰かと繋がっていたいし、役に立ちたいのです。
それで生かされている部分があります。
幼い頃は愛されることが重要で、大人になってからは
愛することが重要になってくるように思えます。
愛とはままならぬものです。
いろんなものに形を変えていくから、時には凶器にすら
成り得ます。あり方はわたしにもよくわかりません。
それでも、諦めずに進んでいく姿に感動するのは何故でしょう。
生きる力を感じて喜ぶのは何故でしょう。
よくわからないまま
わたしたちは生きています。
だから、生きているといえるのかもしれませんね。
ただひとつ言えるのは、
頑張っている姿を愛しく思い、手を差し伸べたくなる感情が
湧いてくる限り、きっと大丈夫。
美しいものを美しいと思う心が生きている限り
大丈夫だと思うのはわたしだけでしょうか。
あらま。噛まれた貴重な経験があるんですか^^;
一種のトラウマですね。確かインドネシアでしたか。
野性のお猿さんがいっぱいいるところですもんね。
マレーシアに行った時、結構、寄ってくるので、危ないといえば
あぶないかもしれませんね。
大丈夫でしかた、あ、ダメだから、嫌いなのね…^^;
わたしも多少、疲れて気味であることは同じですよ。
でも、傷の在り方も人の魅力の一部だと、そういうことに
してしまいたいです。
大変だけど。
でもだからと言って全てを奪う権利はないよね。
僕らは何かの犠牲のうえに生きているのは当たり前だけどその犠牲を当たり前のように奪うのは駄目。
ひとつひとつの生命に感謝だね。
そういうことなんでしょーかね。
心を病んでいたとしても 孤独ではない と気付ければ なにか変わるのかもしれません。
・・・病み方にも よるとは思うし・・・ 違うように孤独ではないことを発揮するのも問題ですけれど。
でも無責任なことは言えない気がして
「読んだよ」としか言えない自分を
どうしようもなく思い知らされることがあります。
もし自分の育つ環境が違ってたら今と同じことを思えるか。
うーん。
うーーん。。。。。
心を病む人たちのことは、何もわからないのですが。
楽しい事、幸せなことは、毎日ご飯を食べれて、笑えることだと思います。
それを、幸せと感じられること。
他人と、比較するもんじゃないんだけどね。
優しいかどうかは不明です・・・・
心を痛めてしまった方元気になりますよう・・・
家庭環境のせい、誰かのせい、世の中のせい。
でも何かのせいにする事は困難の解決の糸口にはならないんですよね、、
黒猫手毬さんのおっしゃるように最後は自分の力で切り開いていかなくてはならない
決して恵まれたといえない環境のなか育った彼が克服した そうウィリーのように☆
以前、テレビであきらめてしまったチンパンジーの子どもに遭遇したことがありました。
やんちゃだったのですが、母親が死んでしまうとひとりで木の上に登ったままになってしまったのです。
あきらめてしまった人を責める気にはなれません。
でもあきらめる前に何とかしてあげたいとは思います。
理由は、本当のところよく分かりません。
周囲の人が傷つくからとか、命が大切だとか、
確かにそれもありますが、
それだけではない、という不思議な確信があります。
あなたの代わりは誰もいない、というのがきっといちばん近いのだと思いますが、
それにプラスしてもうひとつ、あるいはそれ以上、何かあるような気がしてならないのです。
どうやって、ボスになったのかに興味がありますね。
でもまあ、晩年の生活環境が良くなったのが、せめてもの救いですね。
てか、俺は猿関係全般嫌いなんですよw
ちっちゃいころ、噛まれた記憶がww
確かに病んだ、あるいは病みかけたヒトが多いです。
ココは、そういう人を引き寄せるのかもしれませんね。
ま、僕もしっかり病んでますww