偏見かもしれないが。
- カテゴリ:日記
- 2010/11/04 22:38:23
外国の動物愛護団体の連中って、マクドやケンタッキーで出てくる食べ物の材料になった動物に対して「供養」なんて感情もなく、せいぜいあっても「神様サンキュー!」程度の認識で食べてるんじゃないの?
そんな奴等が「動物愛護」を語ること自体がアホやと思う。
動物だろうが植物だろうが、その「命」を奪うことで我々は生きてるのであって、その命を「頂くことに感謝」をすべきだと思うざんス。
「食べられて当然」って考えは傲慢の何物でもない。
そんなことをちゃんと大人が教えてこなかったから、勘違いしたクズが増えてしまったんだと思う。
どーよ?
菜食主義の人で「動物を殺すが忍びないから」って言う人がいるけど、「じゃあ、植物は悲鳴をあげないからいいっての?」ってその人の「偽善者ぶり」に失笑w
キリスト教って「すべてに感謝するのが面倒だから、まとめて神さんに感謝すとけばいいやw」って「いい加減さ」がどーなのよと。(偏見)
「金を出してんだから、どー扱ってもいいじゃない」って傲慢さはイカンざんスよね。
日本は仏教の影響が大きかったですね。八百万の神もそうかな。
それに比べて聖書の影響下にある人たちは、「神は人間のために全ての物を与えた」から、どう扱おうと人間の自由と思っているのですね。思想の根幹が違うから話もかみ合わない。
MOTTAINAIと同じように、「業」の概念も知ってもらいたいものです。