悲しいけれど感動したりする。
- カテゴリ:日記
- 2010/10/22 01:16:14
忙しいからどうしよう。
疲れてるし、と思いつつ、知らないことへの興味から
アーミッシュについての講演を聴きに行ってきました。
電気や科学技術の発展を拒否して、独自の生活スタイルを貫いている
アーミッシュ。
映画やドラマなどで、知っている人も多いと思います。
食生活や日々の暮らしも興味深い話がたくさんありました。
講演してくれる先生はアーミッシュを研究していおり
昨年もアーミッシュコミュニティで数日間寝泊りをして共に暮らしたそうです。
外界の人を快く迎えてくれるそうです。
その家族が、わたしたちはどちらかといえば米国人よりも教育を除いて
日本人に似ている、と言うのだそうです。
学校はアーミッシュ独自の8年間教育で、同じ教室でみんな学びます。
主に生活術を中心に祈りの教育です。
それより上、高等教育を受けたいと望むならば、アーミッシュを破門せねば
なりません。
思春期の心が一番影響を受けやすい時に、文明や思想が新しいものに
触れるとアーミッシュの世界観に戻れない確立が非常に高くなるからだそうです。
観光産業にもなりつつあるアーミッシュブランド
アーミッシュ以外の隣人たちとも仲良く共存していました。
わたしも知りませんでした。
こんな悲劇があったなんて。
2006年10月2日
ニッケルマインズにアーミッシュの子どもたちが学ぶ学校がありました。
小さな子6歳から14歳まで同じ教室で学んでいました。
ある非アーミッシュの男が銃を手に侵入してきて
子どもたちを人質にとり立て篭もりました。
大人と男の子達を開放し
女の子たちだけを残しました。
彼女たちを一列にうつ伏せにさせました。
警察が到着すると男は襲撃すると騒ぎました。
その直後、処刑が始まったのです。
少女たちの中で14歳の少女が男の前に出てきました。
わたしを最初に殺してください。
と、訴え、命を落としました。
5人射殺され5人重傷を負いました。
男は自殺。
男は自分の娘を亡くしたショックで同じ年頃の子どもを狙ったという
憶測があります。
ニュースは瞬く間に報道されました。
その日が終わらないうちに
アーミッシュの反応がありました。
犯人の未亡人と家族に赦しの言葉を述べはじめたのです。
世間は驚愕しました。
アーミッシュの人々は「赦し」を選んだのです。
もともと人間は神の赦しによって存在しているという
強い宗教心が根っこにあるのでしょう。
「赦し」
いかに難しいことか。
同じキリスト教徒であっても、何と違うことか。
何よりも14歳の少女が自ら前に出て
わたしから先に撃ちなさい。
などと言えるものであろうか。。
涙が出そうになった。
痛ましい事件を赦すことで
周辺住民、コミュニティ、加害者家族とも
手に手を取り合って、固い絆を結び乗り切っていったという。
怨む、復讐する
当たり前の心理であろう。
でも、何も生まれず、失うばかりになる。
パレスチナ、ボスニア、際限なく続く怨みの連鎖の結果だ。
人はそれでも赦さない。
戦は終わらない。
アーミッシュは赦しを実践した。
感慨深い想いが過りました。
ちょっとしんどくても行った甲斐がありました。
しばらくレスができないので
コメントは受け付けない設定にさせて戴いています。
今月、来月、いろいろと重なって忙しい状態です。
お許しくださいね。