1Q84
- カテゴリ:日記
- 2009/03/08 14:52:29
初夏に村上春樹の長編小説が刊行されると知った。
titleは‘1Q84’
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毎日新聞のweb上に 村上春樹氏のinterviewが掲載されていた。
どうやら、ねじまき鳥を超えるかも知れない程
‘やたら長い’小説を執筆中らしい。
それに言及できる段階やら時期やらに在るというコトなんだろう。
僕は『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』で描かれた、
現在や影と別れ、自分の世界に残った『僕』のその後が、
迚も気に為っている。時が経てば経つ程に。
穴を掘っては埋める、徒 そうするコトに為っている、
心や音楽の失われた 壁で覆われた世界。
そんな世界(の内の1つ)が
オウム事件や9.11テロを起したのかもしれないから。
僕は飽く迄『世界の終わりと~』の続編自体を望んでいるけれど、
物語で‘世界の混沌’やら其処から起る‘恐怖’に対して如何なる
‘ひとつの明確な方向性’を示唆しようとしているのか、楽しみに俟ちたい。
『ねじまき鳥クロニクル』で『僕』は‘暴力’から クミコを救う為に、
バットを握り締めたけど、理想として今度は 然うで無ければいいと思う。。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090216mog00m040003000c3.html
http://af-site.sub.jp/blog/etc/080330-murakami-hi.html
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/353414.html
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~で囲った部分は僕が昨年の皐月に今とは別のblogに書いた記事だ。
まぁ、殆ど誰も見ちゃいないけど (^^ゞ
期待は変わっていない。
『1973年のピンボール』冒頭で、全共闘時代の学生達に
毎日 色んな話を聞いていた‘僕’には何も残らなかったが、
『アンダーグラウンド』 『約束された場所で』で物語を得、
其の後の中編小説で 人称に関する実験を行ったという
村上春樹氏は 何を如何 紡ぎ出すのだろうか。
初夏が俟ち遠しい。
今日の1曲;Mr.children‘僕が僕であるために’
http://www.youtube.com/watch?v=bs0QFyc7Cro
尾崎豊13回忌に出されたtribute albumに収録されています♪
他には宇多田ヒカルが‘I love you’を歌ってたり、
Cocco・斉藤和義・槇原敬之らが参加しております^^
>麗美さん
そう。'04発売ですもんねぇ。。
あぁ、年食う筈だぜ(-。-)y-゜゜゜
>るいさん
僕は高校時分、現国の先生に薦められて読み始めました。
気障過ぎるとか、失う許りで感傷的だとか ←放っといたれよ ヽ(-_-;)
じゃ、結局どうすればいいのか
どうあって欲しいのかが描かれていない など
批判的な評論家も少なからず居る様ですが、僕は好きです。
現代を普く書き記そうとする物語に対する姿勢も
然うする為に彼が用いる文体も比喩も。
因みに僕は‘泥棒かささぎ’を聴き乍ら
昼食にspaghettiを茹でる程 かっこいい人ではありません^^;
※気障(=きざ) 許り(=ばかり) 普く・遍く(=あまねく) 乍ら(=ながら)
>ひつじさん
作品に空想的・寓意性のある作家は
安部公房か星新一しか思い当りません。。
安部公房なら一人称は‘俺'だろうしなぁ。
亦、作中で誰かに挿話として語らせる・読ませるという
形を採れば、誰の作品でも可能なので・・・
うん、分りません (-。-)y-゜゜゜
穴を掘る⇔埋める という動作・表現は
ひつじさんも読まれた様に
矢張り何処か示唆的・印象的ですから、
様々な表現者が色々な場面で用いてるんでしょうね。
尾崎じゃなくて?と、思って聞いてみたらカバーしてたんですねぇ~。
ぜんぜん違う歌い方だけど、違和感なく聞けました♪^^
ミスチル懐かしいですぅ♩~
すごい…
なんだかすごく納得できます。
村上春樹さんかっこいいですよね^^
言ってることというか…考えというか…
なんかの小説だったかしら。
『僕が穴を掘ると、隣で埋めていく「奴」がいる。
延々と続く作業のなかで。
ふと気がつくと「奴」の顔が無かった。
そして「奴」は「僕」になった』
たしかこんな文章だった気がするけど・・・(^_^;)。
すごく切なくなった記憶があります(-_-;)。
早く刊行されるといいね(^_^)。