Nicotto Town


としさんの日記


「山男とサーファー」10


二日目の夜を迎え、外は雷鳴さえ轟き、まるで嵐のような様相を呈していた。
 俺は吹きすさぶ風の流れと、ミシミシというテントの軋む音を聞きながら、分厚い羽毛の入ったシュラフに潜りこんだ。
 ナンガの咆哮を聞きながら、イスラマバードに到着してから、今回のラワルビンディーを出発点とした、楽しくも辛いキャラバンの10日間を思い起こしていた。

 八月某日、ラワルビンディーを出発してから、俺たちはインディス川の流れに沿って北上した。カラコルム・ハイウエーという名ばかりの道を、ギルギットの方角に向けて、キャラバン隊は進んだ。
 アブダバットを過ぎ、ぺシャル・キラまで至ると、ギルギットとペシャワールに分岐する、かなり賑やかな宿場に到着した。
 ここは、古(いにしえ)より、仏教の伝教僧たちが険難な道を辿って、越えていった街道であろう。
 ここから西のペシャワールに向かえば、その昔、法顕(ほっけん)が辿ったであろうウジャウ国(ウジャーナ国)の遺跡を過ぎて、ガンダーラに至る。二千年もの古い歴史をもつ土地ではあったが、その大部分も今は風化され、それでもそこに住む人々たちの、逞しい生活力に、その面影が彷彿できる。

 誰かが熱いチャイを飲もうと云うので、一時休憩して、バザール見物をしながら、チャイを飲み、雑談した。
 こうして俺たちが休んでいる合間にも、様々な荷を積んだトラックが、数十台もの隊列を組んで通り過ぎていった。
 一時間ほど休むと、俺たちはまた車に乗り込み、出発した。
 それから後は、ガソリンの補給を除いて、ほとんど休憩することなくキャラバン隊は進んだ。コミラを過ぎるころには、風景が一変して、ほとんど緑が見られなくなった。
 ギラギラと照りつける陽射しの中、草木のない険しい渓谷を、ひたすら進んで行く。左手にはヒントゥクシュ山脈が連なり、右手には、目指すナンガ・パルバットの連なるヒマラヤ山系がある。切り立った崖を進んで行くと、時々インダスの流れが見えた。渓谷を縫うように流れるインダス川の流れは、形容し難い美しさを感じさせる。そして十五時間かかって、ようやく俺たちはチラスに到達したのである。
 日中の暑さは異常であった。水銀柱は40度を越えて、50度近くにまで上昇し、その中を俺たちは来たのである。昼間は炎熱地獄となり、夜は氷点下まで気温が下がり、全員バテバテとなっていた。
 チラスからバブザールまでは、トレッキングで約六日間の行程である。チラスで一旦ビバークし、俺たちは高度順化させながら、ゆっくりと進んだ。

 ナンガは目前にあったが、その道のりは、遥か遠いもののように思われたのは、俺だけだったのだろうか・・・。しかし、人を寄せ付けぬ筈の巨峰は、紛れもなく胸襟を開いて、俺を招きよせていた。




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