Nicotto Town


としさんの日記


「山男とサーファー」9


「単独登頂(ソロ)は辞めたほうがよいと思いますか?」
 俺は初めてYさんの方をまともに見て訊いた。
 「一九五三年に、ヘルマン・ブールも初登頂に成功していますよ」
 「それはやはりパーティーを組んだ方が良いという意味ですか」
 「でも、ここまで来てそれもできないでしょう。装備とか色々な問題もあるから、やはり当初どうり単独でやるべきです」
 「Yさんは、ナビゲーターとして経験も豊富ですから、冒険と云ってよいのかどうか分からないんですけれども、たとえ立場が違っても、別の角度でアドバイスしていただければ、非常に役に立ちます」
 「そのつもりで、僕もここに来ました。ペーター・ハーべラーやラインホルト・メスナーのような人間は別格です。結論から先に云うと、決して無理をしちゃいけない。自分の体力を過信して、抜きさしならない状況に陥っても、我々はそう簡単に救助に向かえないでしょう。先程の装備のこともありますが、登攀技術も未熟な我々では、却って二重の悲劇にならないとも云えない。ここではMさんだけが頼りです。しかし彼一人だけの力ではどうにもならない・・・。だから、無理だと思えたら、引き返して欲しいのです」
 「分かりました」
 俺とYさんは無意識のうちに、互いに手を差し出してガッチリと握手を交わした。


 五

 Yさんはどちらかというと、暑いサバンナ地帯や砂漠で行われる、ラリーを得意とするカメラマンでありナビゲータでもあった。
 カーレースが好きで、とりわけ過酷なサファリーラリーに進んで参加したりする。F1や、今は亡き名優のスティーブ・マックインが自らハンドルを握ったル・マン、のような、スピードと耐久力を競うレースも、被写体として撮りに出かけてはいたが、彼自身としては自ら参加できるラリーを、ライフワークとして位置づけていた。
 ひょんなきっかけでナンガ行きに加わったが、行動派カメラマンとしての彼の存在は、実に貴重であった。
 ただ単に記録を残す、ということだけではなく、ナビゲーターとして培った時間と方角・距離に対する認識と、先を読む洞察力。不測の事態に対処できる判断力。迫り来る近い未来の予知能力―勘とでも云ったら良いのか、特に俺の知りあいの中でも、ひときわ異彩を放っていた。それに、通信機器の扱いに精通し、ピット・クルー顔負けの車の整備力には、誰もが舌をまいた。
 まさに冒険をするために生まれてきたような、天賦の才能を有する人物であったのである。
 彼の一言、一言には、実践してきた者のみが持つ、重厚な重みさえあった。




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.