博愛主義ではないのかね?
- カテゴリ:ニュース
- 2010/09/10 17:17:30
アメリカの牧師のせいでアメリカやばくなってんじゃないかね?
http://jp.wsj.com/World/node_101162Yahoo=3ee9b135271811754e1bb9135ad66e7b
↑関連ニュース
イスラム教徒にとってのコーランはキリスト教徒にとっての聖書と同じですよ。
イスラム教徒の中の一部の人間(この場合はアルカイダなんでしょうね)が気に入らないからといって、全てのイスラム教徒に喧嘩売りなさいとキリストは教えているんでしょうか。
自己犠牲の精神が大切。
他人に暴力を振るわれたからといってそれを返してはいけない(殴られたから殴り返す事はNG)
それがキリストの教えの一つで、重要なものではないのかな。
汝の隣人を愛せよ。
クリスチャンでなくても知っている言葉だよね。
これって、文字通り受け取ると「自分の近くにいる人」って解釈になるけど「国同士」も同じなんじゃないかな。
犠牲者の大多数はクリスチャンかもしれない。
でも、少数派で仏教や儒教の教えを尊ぶ人、ヒンズーの神々を尊ぶ人、そしてコーランを尊ぶイスラム教徒も犠牲者の中にいなかったと言えるのだろうか。
自由の国アメリカ。
自由をはきちがえている牧師がいるようです。
主たるイエスはどんな心境でこの神の子を見ているのでしょうか…
今日の衣装はシスターっぽいですが、うちの宗派は真言宗だたtりします(クリスチャンちゃうんかい!)
再度のコメントありがとうございます。
私の中での「宗教」というものの位置なのですが、「信者にとっての心のよりどころ」なのではないかと思っています。
自分の信じる神の教えを守り、功徳を積めば救われる(現世でも死後の世界でも)という大前提もあるのですが「精神面で落ち込んだときの救いになる力」と言うものが大きいのではないかと思います。
ですので、邪教や胡散臭い新興宗教以外はあっても良いと思います。
オウムは、宗教の名を借りたテロ軍団ではないかと思います(あくまでも私のイメージですが)
人命を奪う行為、他者を傷つけるような行為を推奨する宗教は宗教とは呼べないのではないでしょうか。
今回は牧師がこういった事件(?)を起こしたため宗教と言う括りになってしまいましたが、poohさんも仰っているように「一人の人間の発言で世界平和は影響を受ける可能性がある」ということを聖職者が何故理解できなかったのだろうか。と言うものが今回のブログ記事の主題です。
>たんに牧師というだけで、思慮深い人であるなどと言うことは全くありません。
これ、名言だと思います。
しかし、「一部の人」であって欲しいと望む自分がいたりもします。
きっと世間一般の牧師さんは彼のした行動を良しとはしていないでしょうしね。
確かに、一人の行動が世界平和に影響を与えてしまうのは怖いですね。マスコミやインターネットの力があればこそなんですが、狂人であっても知能の高い人はいっぱいいますから、その気になれば一瞬にしてテロリスト並みの脅威になることが証明されたようなものですね。
今回の人も「牧師」というだけで、どのような宗教(キリスト教といってもピンキリなので)かよく分かりませんが、オウムも統一教会も、「宗教」ですから、たんに牧師というだけで、思料深い人であるなどとということは全くありません。残念なことです。
コメントありがとうございます。
おっしゃっている事が事実なのは百も承知なのですが、この場合「キリストの信念」と該当する「牧師の態度」が矛盾している事を指しています。
十字軍遠征なんかはモロに異教徒迫害行為だと言う事も知っています。
何時の隣人を愛せ
という教えを無視し、「キリスト教徒のため」と行動しているのが釈然としないんですよね。
実際、この「コーランを9月11日に燃やす」という発表をした後に、反米感情丸出しにしてアメリカ国旗を燃やすイスラム教徒の映像が流れていました。
たった一人の人間の愚かな思想で「国」同士が争う原因を作りかねない。
そういった事に何故あの牧師は気づかないんでしょうか…ということが言いたかったんです。
キリスト教の歴史は、殺戮と迫害の歴史です。そもそも宗教は戦争の一番の原因、「聖戦」の美名の下に殺しまくってますから。