夕凪の街 桜の国
- カテゴリ:日記
- 2010/08/06 11:48:58
たまには、こういうこと書いてもいいよね…?
今日は、8月6日。
広島に、原爆が投下された日…。
子どもの頃、父の故郷に帰省するとき。
広島には、何度か立ち寄った。
平和資料館で見た写真や資料は…、ショックなんてもんじゃなかった…。
それ以来、原爆のことを知りたいと思いつつも…。
大人になるまで、ずっと避けてきた気がする…。
戦争や原爆のことを知るようになり…。
原爆は本当に恐ろしいものだと知るようになる。
もちろん、「知識」としてだけだけれど…。
そして…。
「夕凪の街 桜の国」というマンガと出会った。
本屋で買い、何を思ったか電車の中で読んだ。
涙が止まらなかった…。
悲しいとかではなく、やるせないというのか…。
ただただ、泣けてきた…。
戦争や原爆の恐ろしさや虚しさを、本質的に伝える数少ない作品。
原爆は確かに恐ろしい。
一瞬ですべてを破壊し、65年経ってもその毒牙で苦しんでる人がいる…。
けれど…。
本当に恐ろしいのは、人の心だ。
どんな破壊兵器も、生み出したのは人の心…。
「原爆の悲劇」ではない。
人の心に巣食う「闇」が生んだ悲劇…。
それでも、人には…。
そこにはいつだって、一筋の光がある。
愚かさから学び、それを乗り越えるだけの強さや優しさがある。
「草木も生えない」と言われたヒロシマにも。
植物は茂り、人々は生き抜いてきた。
「夕凪の街 桜の国」の読後に残るのは、絶望ではなく希望だ。
そして、この世界の未来にも、希望の光はいつだって射し込んでいる。
何度も間違えたり、間違えそうになるけど…。
いつだって、ぼくらの手に選択肢はあるはずですね^^
りらさんの、ブログで紹介されていた2年前の「視点・論点」。
あの、ナターシャ・グジーさんの「いつも何度でも」。
絶望の中にも、希望は必ず芽を出す…。
そう強く信じさせてくれる、すばらしい歌声ですね。
本当にそうですね。
私たちはいつも光の方を選択していくことが出来るのです。
知りたくないこと、ってたくさんあります。
そのことで、葛藤することも…。
ぼくも、初めて行った原爆資料館以来、何年も避けてきてました…。
でも、それはそれでいいんじゃないか、って。
ただぼくは、「無関心」には決してなりたくない、と思ってます。
自分のこと情けなく思う必要、ないですよ。
こういうことを知るのに、遅すぎるということはないんです。
例え、生の声を聞ける機会がなくなったとしても…。
よかったらこのマンガ、読んでみてください。
想像だけでも恐ろしく、あえて避けてきたように思います。
実際、広島へ行ったときも、原爆のことを知りたいと思いながらも怖さの方が
先に立ってしまい原爆資料館は結局見ることは出来ませんでした。
戦争のことを知らない自分より、知ろうとしない自分が情けないです。
実際に戦争を体験された方も高齢になられて、生の声を聞ける機会も
だんだん減ってきているんですよね。
ひとりひとりが、ほんの少しでもいいから戦争に関心を持って、
事実をきちんと後世に伝えていけるようになるといいですね。
よかったら、原作の方も読んでみてね。
ぼくはDVDももってるんだけど、そっちはまだ観てない…^^;
戦争や原爆…、人間は愚かなこともたくさんしてきた…。
けれど、犯した過ちから何も学ばず、同じことをただ繰り返すのは、本当に愚か…。
ちゃんと少しずついい方向に向かってるんだ。
歩みはすごく鈍くてもね。
だから、忘れない、風化させないってのは、大事なんだと思う^^
戦争や原爆のことを知る上で、必ずぶつかるジレンマ。
それは、「体験したものにしか、あの苦しみはわからない」というもの。
でも、それを是としてしまうなら、繰り返さない限り何も学べないことになってしまう…。
けれど、あの戦争から何も学ばなかった人もいます。
戦争体験はなくても、平和について多くを学ぶ人もいます。
以前、戦争体験者のお話を聞く機会がありました。
その会場では、ぼくら夫婦以外に若い人はいませんでした。
イベント終了後、「君らに伝えなきゃいけないことがある!」と言われ…。
彼らから、直接いろいろ体験談を聞くことができました。
彼らが真に望んでいたのは。
自分たちのつらい体験を、後世の人には経験させたくない、ということ。
彼らの苦しみや痛みを、ぼくは百分の一もわからなかったかもしれない。
それでも、ぼくらは彼らから大切なものを託された…。
それを踏まえて言うなら、にぷてぃさんが流した涙は意味のあるものなのだと、ぼくは思います。
人類の歴史を考えるとき、ときとして絶望に苛まれるときがあります。
「世界はどんどん悪くなっていってないか?」って。
ある人は、こう答えました。
「あなたは奴隷制度のあった時代に戻りたいですか? 世界はよくなっていっているのです。」
争いのない世界は、きっと訪れる、そう信じてます。
ぼくも資料館に行ったのは、小学生のときでした。
「はだしのゲン」は、学級文庫にもあったけれど…。
つい最近まで、読めませんでした…。
平和資料館は、ひどくショックを受けましたが…。
でも、あれですら原爆の恐ろしさのごく一部でしかない…。
放射性物質の真の恐ろしさは、体内に取り込まれた状態…。
「内部被曝」のことは、いろいろな理由でまだまだ知られていません…。
「はだしのゲン」は、その辺のことも、しっかりと描いていますね…。
原作は漫画だったんですね?知りませんでした。
私は少し前に映画で観ましたよ。
今日は朝からニュースで広島の事を流しているね。
広島には今まで1度も行った事がないけれど、
原爆投下の事実は決して忘れないようにしたいと思いますね。
原爆の恐ろしさはどこか他人事のよう、平和の有難さは当たり前のよう…
そんな感覚のまま成長してしまった気がします。
私は広島に住んでいたことがあるので、原爆資料館へは何度か行きましたが、
あまりに近くに触れすぎて原爆ドームは町の風景でしかなかったように思います。
テレビで毎年祈念式典を放送しますが、テレビで見るのと実際に足を向けるのとでは
全く違うものでした。私たちはこういったテレビや教科書、体験談で触れた時に
何かを想うだけで、被爆された方の痛みを知る術はありません。
被爆された方はその子孫まで苦しみ続けていると言うのに…
その方々に希望の光届いていることを願うばかり…
呉市にある大和ミュージアムにも行きました。
「戦艦大和」の資料館です。2年ほど前に行きましたが、涙が止まりませんでした。
いい歳して泣いてばかりで残念ながら途中までしか記憶がないのですが、
戦争の残酷さ、切なさが痛いほど伝わってきました…。
領地や覇権、経済…戦争なんて言葉がない時代が来ればいいですね。
私も平和資料館を小学生の時に訪れたことがあります
子供心にものすごくショックを受けました
一瞬にしてたくさんの人がなくなり、命は助かったものの
ずっと後遺症で苦しんでおられる
広島の原爆の漫画は「はだしのゲン」が印象的でしたね