Nicotto Town



叔母のこと


父は長男。兄弟は多い。はて?何人いただろう。七人くらいかな。
これが定かではない。わたしが知らないだけなのだ。

わたしが生まれた頃、父は兄弟との親しいやりとりを止めていた。
昔の長男で、溺愛され、贅沢三昧で育った父は、親の財産を食いつぶしてしまった
過去があったからだ。

父の妹、わたしには叔母となる人とは繋がりを保っていた。
しっかりとした行動力に溢れ、世話好きの人だ。
難は気が強く負けず嫌い。それを仏のように優しい旦那様が吸収しておられた。
お互いの欠点を補い合える、とても相性の良い夫婦だった。

子どもに恵まれず、一番下の妹のひとり息子を養子にした。
離婚し生活に困窮していた妹が、子どもを預けていて、そうなったらしい。
迎えに来た母(妹)に、「この家の子がいい」とその子は言った。
幼かったゆえのことだと思う。

「あの子がわたし達を親として選んでくれたのだから、
親としてちゃんとしてあげなければなりません」
が、叔母の口癖となり、溺愛した。

父を置いて家を出たわたし達は、叔母とも音信不通になった。

二十年以上の歳月を経て、叔母と再び会う。
父の通夜の席だった。

幼い頃、女の子も欲しかったのよと、わたしのことを可愛がってくれた。
わたしの性格は、父よりも叔母に似ているのではないか。
常々そう思っていたので、会うのは嬉しかった。

歳月とは残酷だ。
叔母も老いてしまった。

阪神大震災で、被災し、家と店と、大切な夫を失っていた。
夫というクッションを失って、叔母は気の強さだけが際立つ人になっていた。

葬儀の席で初めて叔母の息子に会った。わたしには従兄になる。
お互いに「あっ」と言った。
悪い「あっ」ではなかった。
苦労したんだね、というねぎらいの優しさ瞳に浮かんでいた。
この人と語り合いたい思わせた。

叔母がすぐにきて、背広に埃がついてるとかネクタイが曲がっている、
など幼い子でもあるかのように、直そうと手を伸ばす。
煩わしげに手を払いのけ、従兄は早々に退散した。

いい歳をした男だもん。たまらないなだろうなぁ。
わたしも俯くしかない。

叔母は従兄の結婚相手も自分で見つけてきた。
この子ならと思ったそうだ。

自分以上に息子に尽くせる相手はこの世に存在しないのが当たり前。
叔母はすぐに嫁の態度が気に入らなくなったらしい。

危うい関係は、震災という困難を乗り越えることができなかった。

負けず嫌いの叔母は、夫の死にも負けまいと、家の再建を目指した。
一段落が過ぎた頃、幼児を抱えた嫁は、疲れたので実家で休みたいと
申し出た。叔母は激怒し、それを許さなかった。

「帰るなら二度と敷居をまたがせない」
「ではそうさせていただきます」
嫁は帰ってこなかった。

従兄は家庭を取るか、母を取るか、辛い決断を迫られたと。
今、自分が去れば、母が何もかも失ってしまう。
彼は残った。


離婚が成立した。
孫の親権を争うつもりでいた叔母は
「子どもは母親の傍がいいんです」と従兄が諭した。

叔母は従兄の資金提供もあり、店舗を兼ねた家を再建し、一人で住んでいる。
従兄は家族と暮らしていた一軒家にネコと共に住んでいる。
灯りの消えた家に戻ってくるのが、可哀想と言いつつ、
叔母はご飯を作りに行く。

叔母はわたしの知らない父の姿を知っている人だ。
一度、お宅にお邪魔して写真を見せて戴いた。

邸宅前の家族写真があった。
たくさんの兄弟に囲まれて、中央にいる若い父の、なんと頼りなさ気な姿よ。
こんな家が市内に二軒あったのだという。

父の話は少しだけで、すぐに叔母の愚痴になった。
これは辛い。

「あなたも表情が暗い。辛いことがあるのでしょう」
「えっ!」
「いえ、正直に言っても良いのですよ。わたしにはわかる」
叔母はわたしを可哀想な兄の子どものままにしたかった。

現在の生活を叔母に語ることはやめた。

思春期の別れた父の死の直後、明るい表情になれるはずがない。

「あなたの去って行く後姿を見てね、なんて寂しい子だろうと
思ったのよ」
と言われ、内心激怒した。

「息子さんを大事に思うなら、何故、自分を抑えて我慢しなかったですか」
決して言ってはいけないことが、喉元まで上がってきた。

自分の幸せを犠牲にして、母の許に残った従兄。
息子を不幸せにしても手放そうとしない母。
哀しくてたまらない。

大きな幸せを守るためには、小さな不幸を我慢しなければ成り立たない
あとのことは覚悟して呑み込もう。
すべてが上手くいくことは、まずない。わたしはそう思う。

才気に溢れ、輝いていた叔母は哀しい人になっていた。
いや、わたしが叔母に頼りたいという想いがあったのかもしれない。

もう会う事はないなぁ。相変わらず血縁者とは縁が薄い。
深いため息で叔母の家を去った。

駅に向かう上り坂を歩いた。
夕日が地平線に消えようとしていた。

後姿を見られている。背筋を伸ばしたつもりでも
叔母には、やっぱり寂しい子として映っているだろうなぁ
それも当たっているのかなぁ、と思いつつ。。








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2010/07/28 00:27
刹那さん★コメントありがとうございます。

人って物語だものね。
刹那さんは自分の物語を大切にしてね。

愛することって、難しい面もあるけれど
お互いに助け合うこともできるものですから。
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2010/07/27 23:21
ドラマのような・・・
それでも、現実的な・・・

人間関係は、本当に難しいですね。
それでも、関わりを持って、大切に、大切に。

愛する者も、愛する人が愛する者も
大切に出来たら良いですね。

そうなりたいですね。
とても、とても難しいけれど・・・


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2010/07/27 22:55
ゆみさん★コメントありがとうございます。

そうですね。伯父さまのお家を整理される時は
本当に大変だったと思います。
幼い頃に繋がりがないと、難しいと思います。
血縁ってね、下手に血だけどこかで繋がっているから
心理的に複雑な想いだけが残りますね。。

そうだと思うんです。弱音を吐けない。
弱音を吐き過ぎも困るんですが(うちの母がそう)
緩やかに諦める、それも大事かもしれない、と思ったり。。
たぶん、それが叔母の生き方であるんでしょうね。。
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2010/07/27 15:37
まるで小説のような出来事が実際にこのようにあるんですね。
私も母方の親戚とは母が生きていた頃は名前だけは知っていましたが、
母が亡くなり、伯父も亡くなってしまったので全然行き来がなく分からないです。
なので伯父が亡くなった時は何もかも手続きが大変でした。
伯父とは血縁上では直系で繋がっていたけれど、
こんなことを思ってはいけないと思うのですが、
心の中までは繋がっていませんでした。
良い思い出もなかったので・・・

叔母様は本当は心の何処かではきっと寂しい思いをしていたのかもしれないと思いました。
苦労して懸命に生きてきたので、弱音を吐けないなかったのかと・・・
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2010/07/26 23:58
西の魔女さん★コメントありがとうございます。

若い頃の叔母は、しっかり者の商売上手でした。
自分の才覚でも儲けて、それを自分の為だけではなく
親戚を助ける為にも遣っておられた、人徳もある女性でした。
多少独善的であったけれど、幼いわたしには開かれた女性に思えたんですね。

阪神大震災は、凄かったんです。
叔母の住んでいた地区は、燃えることこそなかったものの、相当な死者が出ました。
気の弱い男性は、再起を諦めて自殺した人も、沢山いたんです。
表向きは被災の怪我となっているんですが。。

店舗兼店も再建されたんです。老いる直前の叔母なのに
バリアフリーとか皆無^^;老いなど視野に入っていない設計。この段差危険やなぁ。。と内心思うばかり。
歳だから店は辞め楽に生きればいいと、周囲が言うらしいのですが
負けるものか!わたしはできる!と、意地で頑張っておられます。

それはそれで、本人の意思、素晴らしい面もあるのですが。。
合理的ではない。すべてがそんな調子です。

こうでなければ!と決めたなら、絶対に押し通す^^;
自分の事だけなら良いのですが、そうならないところが痛い。

わたしの事を「寂しい子」と決めてかかる。子どもがいないから^^;
言われ続けるはずです。
そうなるとわたしも必ず「自由にしてやれ」と叫ぶに決まってます^^;
もう、それがコワイ。老いた叔母の人生そのものを否定する暴言を吐いてしまいそう。
従兄が離婚を承諾してまでも、ある意味守ろうとしたものを
わたしはあっさりと壊してしまいそうだと、強く思ったのです。

お互いに余裕を奪い合う関係になってしまうんですね。
だから、会わない方が良いだろうなぁ、と思ってしまいます。

老いの恐さは心の柔軟性を失うことかもしれません。
本人の気質もあるけれど。
叔母に似ていると思うわたし、かなり考えました^^;

ああ、そうかもしれませんね。愛情があるからね。自分も痛いし。
わたしの母も同じようなものです^^;
自分の親となると、わたしも容赦ないですが^^;;
何度も同じことを指摘し、「うるさいわ!」と捨て台詞を浴びせかけられてますwww
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2010/07/26 23:16
アキさん★コメントありがとうございます。

ああ、そうかもね。不幸になるような選択をとらない!
幸せだって、それぞれだもんね。
とりあえず最悪を避けるww

きっと旦那様のオバサマ。とられたと思ったのね^^;
そこで争わずに、なんとなく好きになるのがアキさんぽいのね^^
うん。自分の力で生きてきた人は、魅力があるもんね。

子どもの頃は、普通が一番いいもんね。
普通の子はそれが嫌だったりして^^;まぁ口だけでしょうが。
児童福祉法だって、つい最近のものだしね。半世紀遡ると子どもも働いてましたね。

まぁなんとかなった^^;ならばよし、ですね。


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2010/07/26 15:53
「哀しい人」この感想を抱いて良いのは、血縁である黒猫さんだけですね。

幸せの尺度をね、自分の内側にしか持てない人は
本人が幸せを追求すれば、周りを不幸にします。
母にも同じような傾向があります。
まだまだ閉塞感のある空間にしか生きられなかった女性の
ある種の共通項でしょうか?

「お前に良かれと思って・・・」
本心からそう思うのであれば、まず自由を与えることが一番だと
一生気づけないのです。
言っても通じないことは言えません。
よく飲み込みました。そこも、よくわかる。

母に対して「哀しい人」と思って良いのは、兄と私だけです。
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2010/07/26 09:07
金持ちではないけど、ウチの兄がお父様に近いw 現在ニート(就職経験無し)ですww
おかげで貧乏でもないのに、中学あたりから学費を自力で稼ぐハメにww

さらにウチのダンナの父親が、手毬さんのお父様そのまんまですww
叔母様に似たカンジのおば様(生涯独身でしたが)も居たのですが
先日亡くなってしまいました・・・。

ダンナのお母様が精神を患っていて、一時期ダンナがそのおば様に育てられてたせいか
どうも私はそのおば様に嫌われてたっぽい(そもそも関わってくれないw)のですが
私はああいう人は、わりと好きでしたね~。ある意味オスカル的なw

世代的に?そういう家庭ってまだチラホラありましたよね~。
微妙に今風(家庭には全員に対して愛情があって当たり前)みたいな家も多くなった頃だったので
幼少期は何か納得がいかなかったものですが、今となっては結果オーライな感がありますw

・・・とすっかり自分の話になってスイマセン、しかも長々と><
幸せになることは、幸せになることではなく、なるべく不幸にならないことですよね。
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2010/07/26 03:39
ハレルヤさん★コメントありがとうございます。

実際のところ、血縁であっても、何かの助けや支えになるってことは
少ないことが多いですからね。
頼る者がないから、自分で何でもする。
おかげで問題処理能力アップ向上になった?^^;とでも思いましょうか。

人を愛することの難しさを思いますね。
親子でも別の人間
執着と紙一重ばらば、なかなか大変ですものね。
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2010/07/26 01:33
叔母様を自分の母に、投影して読んでしまいました。

うん、お察しください。
私も血縁者との縁は薄いです。
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2010/07/26 01:27
ルルさん★コメントありがとうございます。

ルルちゃんの、その前向きな姿勢、大好きなの( ̄ε ̄@)ぶっちゅ

辛い状況に置いて、卑屈にならない、これは簡単なことではないよね。
人間だもの、何で自分だけとか、妬んだりしてしまう。
それに陥らないように、常日頃から訓練を積んでおかないと
イザって時に、なかなかそう思えないよね。

卑屈にならない、人を妬まない、人のせいにしない
楽ではないけれど、最終的には自分の心を守る手段だと思います。

自分の心が変に曲がらなければ、どこかで運も好転していく
そんな甘くはないかもしれないけれど、少なくとも自分を好きでいれるものね。
これはとっても大事。

うふふ。。実はとっても似ていると思っているの。
だからこそ哀しく、だからこそ、もう会えないだろうなぁと思うの。
近くにいるとね、必ず、「どうして!」と言ってしまうと思うから。
傷つける気がしてね。

でもね、叔母さんも、一人の時はきっと後悔しているのかなぁ
そう思えてね。
前向きで負けず嫌いであるがゆえに、頑張り過ぎて、自分を追い詰めている
自分と同じだけを相手に求めてしまう。
傍から見たら、そんなの無理でしょうって思うんだけど
本人はできたから、知らず知らずそうなっていくんでしょうね。

どこかで、行きすぎ、頑張り過ぎた時は、立ち止まって、考え直さないといけないね。
緩く生きることも、時には相手にも、自分も楽にすることもある。
すべてケースバイケースだけれど。

全部わたしにも言えることなら、きっとルルちゃんもそうだと思う^^;

長所は欠点に、欠点は長所に、危ういところを行くのが人だもんね。

この話は随分前で、今頃どうしているかなぁ。って思うの。
さすがに、叔母さんまでは抱えられないのが、本音なのね。
母だけで手いっぱいだからね。。
落ち込むのよね。会うと、触ってはイケナイ事のように思えて。
父の話をもっと訊きたい気持ちはあるんだけどね。
叔母さんの愚痴を延々聴く羽目になる。。これが辛いんだなぁ。
また、縁があれば、だなぁ。。
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2010/07/26 01:10
招き猫さん★コメントありがとうございます。

いえいえ^^;
招きさんも精神的にお辛い時期だったのに
申し訳ありません。

ユミさんの気持ちがすべて、と、いう訳ではないのですが
ある程度は理解できると思っています。

わたしは、どちらかといえば、ユミさんのお母さんのタイプだと
思うんですヨww
ユミさんも、何となくそんな気がするとおっしゃるので、そうでしょうww

人の心は、まして傷の部分となると
その人以外にしか分からないとわたしは思っています。
いえ、本人も気付かないことがある。

順序だって自分を辿り、自分を見つけていくしか
傷は乗り越えにくいものかもしれない
わたし自身の経験から思う事なんです。

ただ、それだけで、なんていうか、経験のないことは
お互いに分かりづらいということでしょうか。

わたしはたまたま、両方、経験が少しあって、
たまたま沢山考えた経緯があった^^;ということに過ぎません。

だから、あんなに偉そうに言って
こちらこそ、ごめんなさいです^^;

わたしの母は養母です。
実母と思っていますが、やはり、違う部分もあります。
それでよかったこともあり、ある種の違和感もあります。

実母の記憶らしい記憶が無いので
招きさんの抱える、空白の痛みも少しばかり理解できるんです。

親子の愛って、やはり普遍的な悩みを持っていますね。
最近、つくづく思うのです。
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2010/07/25 22:24
なんかね、切なくなった。。。
叔母様の養子になったことで、叔母様の理想のレールにのることになった従兄。
震災で突然人生のパートナーを奪われた叔母様。
傍から見ると、あぁすればいいのにと思うことも、当事者になると
割り切って判断できないのも分かるし、うまくいかないのが現実だね。

ただ、どんな状況が与えられても、その状況を憂いて卑屈にならず
受け入れて自分なりに上手に息をぬいて、楽しみも見つけられたら
同じ境遇でも大きく変わる。幸せ、不幸せは自分がつくるものだと思うので
叔母様も、息子さんも少しでも良い方向に考え、歩んでくれるといいね。

手毬ちゃん、その叔母様に性格似ている?^^ 
私自身もその叔母様に性格が似ている気がして叔母様目線で考えてしまった^^;
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2010/07/25 08:52
私と黒猫さんの、少し前のやり取り。
なんか、凄く納得いたしました。
黒猫手毬さんはユミさんの事を、自分の事のように思えたのですね。

今更ながら何ですが。
感謝・・・です。
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2010/07/25 00:29
キヨさん★コメントありがとうございます。

愛情って難しいもんですよね。
よかれてと信じているんですもの。

わたしが思うのは、叔母には不幸が連続して重なった。
それゆえに、遺された息子にすべてのエネルギーが向かっていったのでしょう。

阪神大震災がなければ、叔父さんが生きていれば
言いだしたらキリがありませんね。
時に生きるのは過酷です。

自分が正しいと思っても
真の愛情からしたことであっても
方向を間違えると、それぞれが不幸になることもある。

わたしはね、常に、自分を客観的に見つめる視線を忘れてはならない
辛い時こそ、自分はそれでいいのか、どうして激しい感情を抑えられないのか
問いかけることにしています。
それを忘れちゃうと、暴走してしまう可能性があります。
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2010/07/25 00:22
招き猫さん★コメントありがとうございます。

招きさんはいつも優しいですね。
女ってもっと図太い生き物ですヨ^^;ww

わたしは叔母に対して、怒りも何も抱いていないんです。あの時点では怒っていたけれどね^^;
その時だけですヨ。哀しみはあるけれど。

阪神大震災で夫と店と家を失いました。何よりも仲の良い夫を亡くされたことが
一番大きな悲しみであったでしょう。
叔母自身も人のことを深く思うほど余裕のない状態でした。
被災地としても、多くの犠牲者を出した場所で、口では言えない大変な思いをされたと。

わたし自身も父の死で叔母をねぎらう余裕もありませんでした。

叔母は、親を大切にし、家を守るということに重きを置く昔の人間なのです。
だから、基本的にどうしようもない父であっても、捨てて自分たちだけ幸せになるなんて、
そんな感情をどこかに持っておられると感じました。

具体的に書くと、わたしに子どもがいないことが、可哀想で寂しいということなんです。
ほっといてくれ、となるでしょう^^;やっぱり。

何よりも哀しかったのは、自分が少し我慢して、嫁と折り合いをつければ
息子も離婚までしなかったということです。

わたしも兄がいるのですが、母が兄嫁と揉める。兄を取られと思いこんでいるので大嫌い。
一時は離婚の危機にも瀕した経験があるのです。
かなり母を叱ったのですが、逆切れしてききません^^;今もですが。。

そんな経緯から、本当の愛情ならば追い詰めず、手放してやれ!
ちょっとは我慢せえ。というところでしょうか。
それが出来ない為に愛する者を追い詰めて、結果的には不幸にしてしまうんです。

愛情は良く分かるんです。
でも執着と紙一重。
自分を抑えることができなかった。

幼い頃眩しく見上げた叔母。あんなに輝いて利発であったのに。それに気付かないのだろうか。

いえ、深い所では理解しているはずです。
従兄も分かっているのです。
どうしようもないところまできてしまった。自分を変えようもない。

近づき過ぎるとわたしは必ず、釘をさすようなことを言う。
叔母を傷つけたくないんです。
フォロする気力も当時なかったし。

本当はわたしが何かの手助けをしてあげなくっちゃなんです。



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2010/07/24 23:48
yukinkoさん★コメントありがとうございます。

叔母さんは基本的にはとてもいい人です。
性格もわたしにかなり似ているのではないかと踏んでいます。

一番重い問題は、夫を亡くされたことなんです。
お二人は本当に仲の良いご夫婦でした。
気の優し過ぎる夫にしっかり者の妻。妻が先走り過ぎるとたしなめる夫。
才覚のある妻の切り盛りで繁盛する店。

華やかで活気と自信に満ちた日々がありました。

自分の親であれば、多少変わったかもしれませんが
う~ん、実母もちょくちょく家に来るそうです。叔母の妹なので。
妹の中でも一番気が強いそうな話です^^;
実は会ったことがないので、なんとも言えないけれど。。

そうなると、住環境、教育など、十分に与えられず
もっと早くにいろんな問題に直面していた可能性が高いんです。

本当の親よりは、叔母の方が親としては適性があったかもしれないんです。
どっちに転んでも従兄は大変のようです。。

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2010/07/24 23:39
catさん★コメントありがとうございます。

これは数年前の話ですが、その時、一番恐れたのは
catさんと全く同じ。
いつか言ってしまうのではないか、という怖れでした。

付き合いを続ければ必ず言うであろう、という確信がありました。
だからこそ、会わない方が良いだろうと思ったのです。

「幸せ」は人それぞれです。これは何とも言えません。

わたし思うのは、catさん、「哀しみ」の方ではないかと。
去った時、抱える哀しみの重さです。
それが幸せを超える場合、沈んでしまう可能性があるのです。
一概には言えませんが。

結局はその人自身が決めるしかありません。
わたしたちは傍観者となるしかない場合もあります。

分かっていてもどうしようもない。
それゆえに潰れていく人々を見るのは
辛いことでもありますね。

たぶん、catさんの切なさは、本人がすべてを分かっているのに
なぜ、という気持ちから起こるのでしょうね。

catさんのケースは内容が分からないので何とも申し上げられないのですが
長くお付き合いをされている方ならば、一度は誠意を込めて
申し上げてもよいかもしれません。

できる限り感情的にならずに。

わたしは叔母の生活にいない者であったから、たやすく言えない
キツイをことを言い逃げするみたいになりますでしょう。
あの時はわたしも精神的に大変だったので、叔母のことまで余裕がありませんでした。
余裕が無いもの同士だったんですね。
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2010/07/24 23:35
南の島のヒロさん★コメントありがとうございます。

この話に悪者は登場しないんです^^;
それぞれが、すでにいっぱいいっぱいの状態なんですね。

ヒロさんわたしにお気遣い戴きありがとうございます^^

わたしが哀しかったのは、叔母がわたしが幸せになっている事を
そう喜んでくれなかったことにありました。

それも仕方がありません。
本当に仲の良かった夫を亡くし、家も全壊、息子も離婚。叔母はどん底の状態であったのです。
わたしも父の死を抱えて、お互いを思いやる余裕をなくしていたとも言えます。

叔母も従兄も、どこかで、どうしようもなかったことに気付いているのではないか。
それを、わざわざ、わたしが言うべきことではない。
でも、こんな付き合いをしていたら、いつかはキツイ言葉を吐くだろうというのは
感じていました。だからこそ会うまいと思ったのです。

わたしは人に頼らない構造にできているので、
ああ、ダメだった、わたしが甘かった程度で、忘れてしまうタチなんです。

ここには書けなかったのですが、ここにわたしの母も参戦。
母も兄の嫁が嫌いで、叔母と母で、嫁の悪口で盛り上がり、
兄嫁に聞こえるように言うところも実に気分が悪かった。

自分のことは棚に上げ、揉めると大事な息子がどれだけ困るかも考えへんのか。
といういきさつのおまけがあります。

わたしのことはさておき、
叔母は若い時、とても素敵な女性でした。

それが相次いだ不幸の為に、息子さんにしがみついてしまった。
どこかで分かっておられるんだと思います。

孤独になる勇気を持ち得ること、
それで状況は大きく変わったかもしれません。

一番は、やはり震災でしょうか。。

あれからまた時が流れています。
どうされているのかな。

わたしも精神的に叔母を助ける余裕がありませんでした。
それも残念。でも、長々と人の悪口を聴くのも、やはり辛いものがあります。





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2010/07/24 23:04
深いですね。。。
伯母さんの事は、親の愛情が何かを知らない僕にとって
もどかしくもあり、息子さんへの愛情が深すぎるゆえの
事なんでしょうね。。。

前に僕のブログで会社の男性で親が独り暮らしを許さないで
独り暮らしをするなら仕事を辞めろという事を書いて
黒猫手毬さんもコメント下さってましたが、僕が思うに
親の愛情って深すぎても、浅すぎても子供にとって
不幸なんでしょうね。。。
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2010/07/24 22:14
アッシュさん★コメントありがとうございます。

本当に血縁関係って何でしょうね。
大人になればなるほど、ややこしくなっていきます。
慶事から弔事へのお付き合いへと経過していきますもんね^^;

それぞれの生活があるから、やっぱりなかなか行き来はできなくなる現実があります。
お互いに元気であれば、それが一番ですね。
お父さま、入院されているんですね。
お大事になさってくださいね。
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2010/07/24 21:32
叔母様・・・もしかするとですが
これは全くの推測で、書いてしまうのは申し訳ないのですが
叔母様は黒猫手毬さんに、寂しい想いをさせてしまっているという
責任を感じているのではないでしょうか。
自分だけではなく、自分の兄弟(黒猫手毬さんのお父様も含めて)の責任全てを・・・です。
ご子息やお嫁さんへの仕打ちも、何となくそんな自分への落胆から出てしまっている
そんな行為のようにも想えるんですよね・・・。
強く生きていらっしゃる黒猫手毬さんの背中に、寂しさを感じてしまうのも
きっと「責任」という負の感情から、そう思わざるを得ないとしたらいかがでしょう。
全てをお許しになる事は、出来ないものでしょうかね?
推測だけで、非常に生意気な事を申し上げました。
お許しを。
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2010/07/24 15:26
悲しくなります・・・。血縁であっても、実の母であったなら、従兄さんの気持ちの持ち方も、変わっていたかもしれないかと思いました。実の母でもないのに育ててくれたという心が、とても悲しいです。
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2010/07/24 15:23
大きな幸せの為に小さな不幸せを受け入れる・・・
そうですね。人生の決断の時、得るものの影には
時に手放さざるをえませんものも存在致しますね。

しかし『幸せ』って『不幸せ』って
本当のところやはりその当人でないと分かりませんように思います。


私も一人、辛い気持ちを抱えながら それでも何故ある方のお傍にご一緒におられますのか
とても疑問に思う方がいらっしゃいます。

もしかしたら御本人様にはその中に 私には見えぬ幸せを秘めておられますのでしょうか?

黒猫手毬さんとは違い 喉元まで上がって参りました想いを
私はいつかぶつけてしまうかもしれません。
まだまだ自分は子供だと しみじみ感じます。
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2010/07/24 13:37
こんにちわ。

 深いなぁ~。 黒猫手毬さんも、苦難の道を歩いて来られたんやね。 これからは、心の中に静かに収めて、明るく前向きに進まれますように。 たった一度の人生ですから、いつも過去に邪魔されても面白く無いもんね。
アバター
2010/07/24 13:37
家族とは、血縁者とは、いったい何ですかね。
自分の思う大切なヒトってのは、そういうものとはまた異なった次元にあると思います。
俺のところは親戚も少なく、会うってのは誰かが具合悪いとか、亡くなったとかの時だけですね。
ああ、若いころはめでたい席もあったですけどねw
弟が一人いますが(俺と違って優秀で、一部上場企業のチーフエンジニアをしてますw)、オヤジの見舞いでしか顔を合わせることもないっすね。
仲は悪くないですよ。
むしろ良いかも。
でもまあ、オトナってのはそういうもんですね。




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