短編 二匹の仲良し熊さん
- カテゴリ:自作小説
- 2010/07/24 01:15:29
二匹の仲良しの熊さんがいました。
二匹は春から夏、ゆたかな大地で獲物を分け合いながら生きていました。
北海道の豊かな春から秋はあっという間にすぎていきます
そして。
豊かな大地は厳しい冬に豊かな恵みを与えてくれません。
初めての冬眠を経験した二匹の熊は、空腹に耐えかねて
早めに冬眠から目覚め、餌を探しにむっくり起き出しました。
おなかが空いて、空いて我慢の限界で二匹は朦朧としながら
小さなねずみの死骸を見つけました。同時にです。二匹の熊は
お互いを見つめて、そして死骸のねずみを見つめました、
一匹の熊さえ空腹を満たすことができない小さな獲物でした。
二匹は、おたがいを威嚇しました。命がかかっているのです。
楽しかった思い出が走馬灯でかけめぐりながら、それでも互いに
威嚇するのを二匹はやめることができませんでした。
自然の掟は、容赦しなかったのです。どちらか一匹はそのわずかな
餌でも生き長得ることはできたかもしれない。しかし二匹はお互いを威嚇
しながら一歩もひかずにそこで息絶えました。
まん中にあった小さなねずみにも、家族が待っていたのに、ねずみの暖か
い巣に帰りつくことはできませんでした。ねずみにも無念があったのかもしれません。
しかしねずみは最初に虫の餌食になり、この世の自然に還っていきました。
そして二匹の熊の死骸がまるで見詰め合うように横たわっていました。
キミニ、イキテホシカッタ…
双子でもないの朽ち果てつつある二匹の目やには、
まるで泣いているように見えました。
(おわり)
のお話。
ただ、自然ってあまりにも大きくて無慈悲で、たまむれる動物たちは
自然の中で一匹で命を終えるのを考えると、人間の優しさや思いやり
が入り込む隙のない気がどうしてもしてしまうんです。
特に、自然遺産になった知床の問題がローカルニュースや番組で
取り上げられると、自然に人間の論理が通用する限界を感じて
しまいます。
一方で二匹のクマに今の人間の世界を重ね合わせる部分も
あって、なんとも切ない気持ちにもなります
いろんな 意味が こめられてるね
5人を助けるためなら1人を犠牲にして良いのか?とかいっぱいそういうジレンマが出てきます
倫理観を持った人間にとっては永遠の難問です。。。
戦うことではなく
手を取り合って 分け与えながら生きることかもしれませんね
熊のお話はある意味自然循環の知床のお話を少し意識
しました。知床は人間と熊の共存に試行錯誤している地域
なのですが、自然循環のと人間の関わりが問題のお話ですので
honikoさんのお話、壮絶で、私がもうひとつ、意識した
チャット部屋で感じたアメリカの派遣兵とイラクの人の関係のお話
に近いと思いました;;
貧しい家族に
生きながら穴に捨てられた子供達の
壮絶な話を思い出しました(´;ω・`)