Nicotto Town


おうむたんの毒舌日記とぼうぼうのぼやき


父へ捧ぐ

今年も抜けるような青い空を
見上げることができた。
企業戦士だった父と
高校卒業まで、がっつり話し合った
ことはなかった気がする。
私は物分りのいい優等生を演じ続けた
進学で家を出た私は、長期間
実家ですごすことはなくなった。

父と真正面から向き合ったのは
あの夏、私の嫁ぎ先の近くに入院したとき
だった。
看護婦さんに盗み食いを見つかって
二度と間食しなくなった父。
数時間かかる実家に帰ったばかりの
母を呼び戻せと食って掛かった父。
そんな子供みたいな父との時間は初めて
でそして最期だった。
たった3ヶ月、病室から見えた夏の抜ける
ような青い空は今年もあの時間に私を
運んでいく。

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2010/07/18 21:22
1月に義母を見送りました。
病状にもかかわらず、ぎりぎりまで元気で、
自宅で過ごすと言い張って去年の夏に退院し、と同時に同居してからは、毎日のように、お昼やおやつを食べに出掛けました。
今年の蝉の声は、少し寂しく聞こえます。
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2010/07/18 10:11
この歳(どの歳?)になると、同級生の親の訃報を聞くことも結構あります。
私は幸い両親がまだ健在でありがたいです。
親を冷静に見送れるかどうか・・・自信がありません。

おかしいかもしれないけど、
アホな長女としては・・・・・
親より先に行きたいと思うことがあります。
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2010/07/17 15:22
1月に他界した父のことを思い出しました。

ぼうぼうさんは、もう何度もこの夏の日を迎えているのですね。
子として親の最期を看取ることができた、
それは何よりも親孝行だったんだと、親しい人からそう言われました。
その時はあまり実感できなかったのですが
今は徐々にその意味が分かるような気がします。

今年は初めてのお盆です。
時の経つのは早いものです・・・
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2010/07/17 06:02
悲しくもあり、それでいて温かくもある夏の回想・・・私には、お父さんと初めて正面から向き合った時間が残せて良かったなと思いました。
・・・入院先が近くの病院だったのは、きっと何らかの力が働いたのではと思えてなりません。
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2010/07/17 00:01
親を見送るのは子の役目だとは思う。
正直、私はもういい年の大人なので、しっかり父を見送る立場だし
そうなれたことはよかったと思うです。

ただ、私はあまりにも父との関わりが薄かった。
最期の入院が私の近くだったことは、運命だったとみんなにいわれます^^。
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2010/07/16 22:44
ふぅ~悲しいけど、どこか清涼感もある。。。
 ぼうぼうさんが(失礼だけど)まだまだ子供のうちに逝っちゃったお父様が悪い、いや、淋しいのか。ぼうぼうさんはまだ生きてるから、お父様を記憶で再生できる、それは淋しくないもんね。

なんだか、受験のときのお話も思い出して、ホロリとしてしまいました。
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2010/07/16 22:24
すごく悲しい思いが伝わってきます

私もそうなるのかな…
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2010/07/16 20:26
月ちゃん、ありがとうね;;
まだ、この時期は想いが交錯します。。。
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2010/07/16 20:17
たしか19日でしたね
また夏が来ます。



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