Nicotto Town


COME HOME


「ある朝の風景」

体が異物の侵入を認めてからの反応は素早かった。
意識を覚醒し、ベッドの上で伸びていた体を起こし、
喉に入り込んだ冷たい無機物を体外へ押し出すべくせき込む。
口元を押さえながらむせ返れば、ちょっとした酸素不足のせいでの涙でぼやける景色の中、脇に立つ男の姿を確認した。

 「グッモーニングマイスウィートハニー。お目覚めは?」
「……最悪」

 にっこり。
モーニングコーヒー片手に男は笑いかけた。
マグカップを持つのとは反対の手に、何やら細い糸らしきモノが握られている。
まだ呼吸困難の為、視界は定まらない。
テグスのような細い線の先には、小さな銀色の物体がぶら下がっていた。
それがほんの少し持ち主が動く度、右に左とゆらゆら空中を漂う。ああ、催眠術みたい。
こいつ、おちょくってんの? 

「上出来。次期最高の朝になるよ」
「私の安眠を妨害して何様のつもり? しっかり代償は払ってもらうから」

 健康的な朝食を作り上げ身支度を整え、
呑気にコーヒーをすすり優雅な朝を送る不快人物をキッと睨みつける。
畜生、澄ました顔しやがって。
糸の端を掴みながらそれを振り回し人差指に巻きつけ遊んでいるお前のせいでこっちは朝からとんでもない目に遭った。悪気なん感じていないと表明している態度にはらわたが煮えくり返る。
こいつはなかなかの曲者で、油断をすれば何をしでかすか分からないいけ好かない奴だ。今朝も食事を用意してくれたことには感謝するけれど、大事な大事な睡眠を妨害されては堪らない。
蹴りの一発でもくらわせてやろうと、自分の上に広がるシーツをはぎ取りベッドの淵に座りつつ相手の方に向き合えば。 

「これ、なーんだ」

いたずらっ子の顔で自分が手にするものを掲げる。
何か自分の自慢の宝でも披露するようだ。見ろということなのだろう。
だいぶ焦点が合うようになったので、ひとまずそれに目を向ける。
素直に従うのも悔しいので、こいつを睨むようにしながら。
制裁の準備をしていた片足は、仕方がないので優しい私は床へ戻してやった。

「……指輪?」 
「ビンゴ」

 短い節の歌を口ずさむように言うと同時に、こちらに向かって糸の巻かれた指輪を投げて寄こした。指先で摘まむとそれは少し濡れていて、何かと思ったら自分の唾液だった。
この馬鹿はこれを口に突っ込みやがったのか。ご丁寧に飲み込まないよう糸で繋げるなんて思いやりを添えて。忘れていた殺意が沸く。
もう許さない。皆殺しとは言わないけど半殺しにしてやる。ぬめる輪っかをベッドの上に放り投げ、立ち上がりファインティングポーズ。
私の戦意に気付いた標的はコーヒーを飲み干し空になったマグカップを自分の足元に置いた。
そうして、形だけのお手上げのポーズをとる。
怖がる表情も演技だって見え見えなんだよ、馬鹿。 

「殴るのは愛しのハニーの愛情表現だって解ってるから黙って受け入れる。ただ、フルボッコされてモノが言えなくなる前に一つ言わせておくれ。もっとちゃんと、指輪見て?」 

ぐ。
問答無用で殴りかかってその麗しのお顔を見るも無残なモノにししてやろうと決めていたのに、上目使いでおねだりに近いセリフを言われれば、私の母性本能は擽られる。
逡巡した揚句、口をへの字にして背後の布の海に放置された金属にちらり、と顔を向けた。

 「もっと。ちゃんと」

急かす言葉に大袈裟に溜息をついて、体を半回転させ糸を手繰り寄せる。
何だかんだ言って、私ってこの男に甘い。惚れた弱味ってやつかこのやろう。
眼の前に引き寄せた指輪を改めて今度は指示通りしっかりと観察する。
そこで知った。この指輪、ダイヤが付いている。
ハッと気づいた私の、揺れた肩を見逃さなかったのだろう。

「結婚しようか。マイスウィートハニー」

タイミング良く、いつもと同じ気持ち悪くて吐き気のする呼び名、歌うような調子、クラゲのようにヘラヘラとした芯の無い態度、大好きな声色でプロポーズの言葉を送ってきた。
それを耳にしてすぐ、私は指輪をあるべき場所に嵌める。
なんてこったい。奴が予言した通り、最高の朝になってしまった。




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