Nicotto Town


としさんの日記


「生きるということ」1


重たいテーマである。
別ブログでは、「人はなぜ存在するのか」というタイトルで書いている。

人類が登場して、約500万年。気の遠くなる年月である。
だが、ビックバンありて、銀河が誕生して、太陽系が生まれ地球が誕生したのは、それこそ遥か昔。
ホーキング博士の提唱したビックバン説が、今の定説である。
今現在の我々が存在しているという事の意味。
原始の人類は、なぜ自分たちが存在しているのか、そんな考え方さえ持ち合わせていなかったであろう。
最初の人類たちは、まあ、中学や高校の教科書で説明されているように、類人猿から分岐していった、と書かれているが、それこそ図入りでこと細かく説明している。

確かに、現代の科学の進歩のめざましさにより、人ゲノムが解析され、羊のドリーも誕生したように、人間自身によって人間のコピーを作り出せるまでになった。
いや、人間によって新種の生命体や、不慮の事故により失われた体の欠損部分まで再生させることが出来るという所まで来ている。

いいこと、わるいこと、そのような人間の行為がどこまで許されるのか?
宗教的、倫理的観点からは、まさに賛否両論である。

原始宗教から、体系だった宗教の登場。
『神』というものの存在。
そして『仏』というものの存在。
まず、東洋、西洋を問わず、絶対的な『神』という存在を人は崇めはじめる。
そこに、天文学(初期は学ではなく、呪詛、祈祷師などが人の行動の規範としての預言者としての登場)が重要な役割を持ちはじめる。
天体の観察。そして頭のいい一部の人が、天体の規則的な運動に気づき、それらから人間の規律というものと結びつけていった、と考えられる。

人と天体の関わり。原始の宗教の始まりは、地球に生きる人と他のあらゆる生物との絶対的な違い、つまり共食いの抑制にあったと考えられる。
この説は誰も唱えていない。
人が人を食う。近代人や現代人は、そのような行為を、とてもおぞましく思うであろう。

まわりくどい事は言わない。
日本でも、人を飢饉の時に、食糧と考えていた時期がある。
決定的な証拠は、現在の東京、大森貝塚から人の埋葬や食した貝以外に、貝と共にあきらかに人を食して、残った人骨を粉みじんにして捨てられていた事実がすでに明らかになっている。
疑問に思う方は、パソコンで「大森貝塚」を検索されてみたらいいと思う。

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2010/07/17 03:45
hanaさん今晩み。というかもう朝じゃーーー。
とうとう、こちらにもお邪魔して。
分らないことだらけ。
お友達でいてね。
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2010/07/14 22:36
としさん こんばんは~!
ブログ見てから来たよ。
こっちにも出没していたんだね。
今日は疲れてるんで難しい文章はスルーさせてね。

じゃぁまたね!



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