Nicotto Town


およよ・れおポン


時代はかわっている

「耳をすませば」を片手間で見ている。

何度か真剣に視たし、今日は、集中して観る気にはならない。

どうも、「耳をすませば」は、今の時代には滑稽に見えるから。

公開当時は、多少、時代錯誤な感じでも、それをあえてその時に作ってみせたことに意味があった。
しかし、今は違う気がする。

今は、大人がいない時代だ。

たぶん、今日「耳をすませば」をテレビで見た「大人」は、自分が大人であることを考えるよりも、「子供だった頃の自分」に浸っている人が多いだろう。

けっして、この映画を通して、大人としてどう在りたいかを考える人は、多くはないと思う。

あるいは、大人になって汚れたなぁ、、、などと、自分を茶化すくらいか。


大人になって持つ責任の一つが、子供たちに何を伝えるか、何を見せて、何を渡して、何を渡さずにおくか。

「耳をすませば」は、すてきな大人がでてきて、「こうした人がいたらよいね」と描かれているのだが、あえて、「良い人」という面しか描かれていない。

公開当時の、十年から二十年前と言う時代は、アニメでは、良い見本を描いてみせるべきではないかという考えが在った。

残念ながら、今の時代は、それではダメなような気がする。

今の子供から見える社会は、もっと違うはずだ。
現実の大人は、軽薄でチャラチャラしている。

そうした大人を見慣れた子供が、「耳をすませば」に登場する大人を見たとき、ニンゲンはとても軽い物だと勘違いしないだろうか。

いわゆる「平和ボケ」が連鎖してゆくだけのような気がする。

今の時代は、子供たちへ向けて、正直に、「バカな大人もいるし、悩んでる大人もいる」ということを見せるべきではないだろうか。

今の子供は、漠然とした不審感の中で生きている。

「ダメな大人」も見せてしまった方が、正直で良いと思う。
「良い大人」を見せるだけでは、片手落ちの時代だろう。

#日記広場:映画





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