山月記 虎になってしまった男
- カテゴリ:人生
- 2010/07/06 17:40:56
山月記 虎になってしまった男
中島敦の『山月記』は、高校の教科書に載っていました。
今日は、虎になってしまった男の話です。(で虎の着ぐるみを着てみました。)
人生は、不思議なものです…… あなたの姿(心)は、虎になってはいませんか?
博學才穎(さいえい)とよばれた李徴(りちょう)は、一度は官を退き詩人で名をなそうとするものの、
貧窮にたえず、妻子の衣食のために、
再び東へ赴き、一地方官吏になるというところから物語は始まります。
同輩は既に遙か高位に進み、彼が昔、鈍物として齒牙にもかけなかつた其の連中の下命を拜さねばならぬことが、往年の秀才李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。
というところが、切ないですねぇ~
やがて、李徴は発狂し、虎になってしまうのです……
「山月記」(さんげつき)は、中島敦の短編小説。1942年、『文学界』に「古譚」の名で「文字禍」と共に発表された。唐の時代に書かれた「人虎」として知られる中国の変身譚(清朝の説話集『唐人説薈』中の「人虎伝」などに収められている)を元にしている。
あらすじ
唐の時代、隴西の李徴はかつての郷里の秀才だった。しかし、片意地で自負心が強く、役人の身分に満足しきれなかった。彼は官職を辞し詩人として名を成そうとするも、うまく行かず、ついに挫折。小役人となって屈辱的な生活を強いられたが、その後、地方へ出張した際に発狂し、そのまま山へ消え、行方知れずとなった。
翌年、彼の数少ない旧友で高位の役人であった袁傪(えんさん)は、先を急ぐとて、人食い虎の危険をもかえりみず月が明るく残る未明に旅に立つが、その途中で虎となった李徴と再会する。李徴は茂みに姿を隠したままいきさつを語る。「昨年、何者かの声に引かれ、わけがわからぬまま山中に走りこみ、気がついたら虎になっていた。人間の意識に戻る時もあるが、次第に本当の虎として人や獣を襲い、食らう時間の方が長くなっている。そこで君に頼みがある。まだ自分が記憶している数十の詩編を書き記して残してくれないか」。
袁傪は素直に受け入れ、明るい月光の下、李徴の朗ずる詩を部下に書き取らせた。それらは見事な出来ばえであったが、(おそらく李徴の性格に由来する)非常に微妙な点において劣る所があるのではないかと袁傪は思う。李徴は更に語る。なぜ虎になったのか。自分は他人との交流を避けた。皆はそれを傲慢だと言ったが、実は臆病な自尊心と、尊大な羞恥心の為せる業だったのだ。本当は詩才がないかも知れないのを自ら認めるのを恐れ、そうかと言って、苦労して才を磨くのも嫌がった。それが心中の虎であり、ついに本当に虎になったのだ。
夜は明けかけていた。別れを惜しむ袁傪に李徴は、残された自分の妻子の援助を袁傪に依頼し、自分はもうすぐ虎に戻る、早くここを離れ、しばらく行ったら振り返るようにと言う。己の醜悪な姿を見せ、二度と再びここに来て会おうとの気を起こさせないために。袁傪の一行が言われた通りにすると、朝明けの空ですっかり光を失った月の下に1頭の猛虎が姿を現わし、咆哮すると共に姿を消し、再びその姿を見せる事はなかった。
ウィキペディアより
『山月記』 全文
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/623_18353.html
追記 小・中学生にちょっと難しいので、探してみました。
『山月記』 訳 いちおう小学生にも読めるそうだ……
http://www.bb.banban.jp/s_3leaf-clover81/sangetsuki.html
問題
李徴は、なぜ虎になってしまったのでしょうか。
問題や解説
http://orange.zero.jp/teru.oak/gakusyu/sangetuki/index.html
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わたしも虎なときがあるかも知れませんっ。
授業で取り扱ったときは、切なかったですねぇ…
トラのきぐるみから連想するとは^^
うらやましい限りです!
勉強になりますw
人の心は多面的で、少なからず こんな面も持っているんだろうなぁ。。。
そこに気付けるか否かが分かれ目かな
意地っ張りなのは、心当たりが。。。^_^;
でも、たくさんの人に触れて、いろんな話を聞いて・・・
年を重ねるにつれて緩和されてきたように思います^^
虎にならずに、済むかな??
わかりやすい、解説。
ありがとうございます。
怠惰。。。。ああ、
自分も
反省また、しかり。。です。
あたしの高校のときは確か『山椒魚』とか習ってました( ^ω^)
文学は良いですよね♪
知識は増えて、心も豊かになれるように思います。
余談ですが、あたしは虎年です (ノ´∀`*)
難しいお話です(>_<)
「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」は誰もが持っているものですね。
「猛獣を飼い太らせた理由」ちょっとグサリときました。
目指す物があるなら努力しなきゃですね。
「人生やり直せるなら」なんて言ってちゃだめですね。
難しいお話でしたが切ないお話でした><
また、お話しましょうね❤
きっと誰の心の中にもトラはいつんでしょうね。
以下は、下記サイトの解説です。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nobu-nisi/kokugo/san.htm
「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」
・自分の才能に対して半ば自信があり、詩によって名を成そうとする=自尊心。
・しかし、半ば自信がなく、もしかしたら才能がないかもしれないと思う=臆病。
・他人に自分の才能のなさが暴露するのが恥ずかしい=羞恥心。
・しかし、それを隠そうとして、わざと偉そうに振る舞う=尊大。
・すると、また自信が沸いてくる=自尊心。
虎になった理由
・「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」が猛獣(虎)であった。
・その猛獣(虎)を飼い太らせた。
・そして、外形も内心にふさわしいもの(虎)に変わってしまった。
「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」は誰でも持っているもので、これが直接虎になった原因でなく、「飼い太らせた」ことが原因
どうすれば虎にならなかったのか。
・自尊心があるなら、師に就いたり、詩友と交わって切磋琢磨に努力すればよかった。
・羞恥心があるなら、謙虚に努力して才能を伸ばせばよかった。
猛獣を飼い太らせた理由
1)自尊心や羞恥心、尊大や臆病が中途半端であった。
・「半ば」に注意する。
・詩業をあきらめた時と同じである。
2)その根底には、努力を厭う怠惰があった。
・つまり李徴は怠け者であった。
かっこいい>З<
いいな~~~~~♪♪♪♪
自信の内面に反映した姿がトラなら孤独ですね
だけど、必ずしもそれが成功するとは限らない。
私も夢を追ったことはありますが、自分の生活は維持したままの挑戦でした。
力尽きましたが~ww
李徴は詩人に定年は無いのだから、まだまだ挑戦すればいいのに!などと
突っ込んだら物語になりませんね~w
世の中、せつない事も、多いですね!(リアルで!)
東京方面が、豪雨のため、水浸しに成って居るとか!
置いといて!
そのために、トラの格好だったのですね!
ごめんなさいー
こんばんは。
私の友だちにこの本を愛してやまぬ人がいます。このお話知っていました。
臆病な自尊心と、尊大な羞恥心。
これを忘れたら
人間では居られなくなってしまうと言うことでしょうか。。。。
すんませんm(__)m
ステプと水やりどうぞ(o`・ω・)ゞデシ!!
訪問ありがとうです~
またよろです~
&ステプです♪
どうぞ^^
サン=テグジュペリの夜間飛行読んだよ~
欲を持ってはいけないということを伝えたいんですかね~…^^
AQUAは欲深いから気をつけないと…ww