福嶋 康博氏(つづき)
- カテゴリ:日記
- 2009/02/16 21:56:07
・当時のゲームソフトは「買い取り方式」で、
クリエイター側には数万~十万円の収益しか
入らないことが一般的だった。
しかしエニックスは、クリエイターの報酬に印税方式を採用した。
売れれば売れるほどクリエイターの収益が増えるようにしたのだ。
これでクリエイターの開発意欲が高まり、ゲームソフトの質も向上した。
・86年になって間もない頃、堀井雄二さんが
「日本発のロールプレイングゲームを作りたいんです」
と言った。作るのなら最高の作品を世に出したいと私も思った。
・88年2月のⅢ発売日、平日だったこともあり、
子供たちが学校を休んで店頭に並んでしまったり、
買ったソフトを強奪される事件が全国で相次いだ。
この社会現象は本当に悲しかった。
購入したソフトを奪い取られた子供のうち、
連絡先のわかる子供にはソフトを無償で贈った。
このときの反省に立ち、Ⅳ以降は必ず休日に発売するようにした。
・・・まだつづく。
カツアゲされた子供にプレゼントしてたのは知りませんでした。
うちは母に買いに行ってもらいました。なつかしいなあ。
同じクラスの友人は結局買えず、ちょっと気の毒でした。
>エアリスさん
世相を思い出しますね。
発売日のトラブルは「お約束」「風物詩」などと茶化されるようになりましたが・・・
ニュースで報道されていたのを、
かすかに覚えています。
取られてしまった子にプレゼントしてたんですね。
よかった。
もう予約済みです。
あのころは世の中バブル真っ盛り…w (遠い目…)
いい話書きやがって。