イチゴの境
- カテゴリ:日記
- 2010/05/08 16:00:38
国と国の間に国境があり、県と県の間に県境(ケンザカイ)があるように、家と家の間には所有区分線があります。けれどもそれは縮尺の大きな地図か土地権利書に付帯する図面くらいにしか書かれていません。
地面には線を書けないので人は塀を立てたり、垣根を作ったりします。たいていは石や木の標柱が頭を少しだけ出して、土中深く埋められています。
昨日書いた白梅の木とは家に対して逆の方角に、そんな隣家との境があります。小さくて意味を成さないコンクリート製の下水溝が一応の目印になっています。
3年前の春、隣家の奥様がそのあたりの(当然)隣家側にイチゴの苗を4~5本植えました。家業のこともあって、やっと園芸関係に手を出せる年代と言うか、ゆとりが出てきたのです。他にもいろいろ木や株を別の所に植えていきました。植えた本人だけではなく、私の家のほうでもそれらの成長を秘かに喜んでいました。
イチゴの白い花は可憐でした。
その秋に、隣家の奥様は倒れました。
いろいろな事がありました。今その方は未だに病院にいます。60代後半ですが、脳の血管に関する普通の病気です。隣家にはその子供さんが住み始めました。
庭は少しづつ荒れてきました、それでもイチゴは強い植物です。ストロンを伸ばし、新たな着地点でさらに根を張り、数本から始まったイチゴエリアが我が家の方に次第に来てくれました。
イチゴを自分で植えるのはちょっとバカらしい(ほとんど実は大きくなりません)けれど、白い花や小さな赤い実には軽い羨望のようなものがありました。
今年、雪が溶けて地表が現れてくると、我が家のそのあたりはいつのまにかイチゴの葉だらけになっています。今の隣家の方はそこにイチゴがあるのを気にも留めていないようです。
植えられた本人は病院の中。それとは関係なくイチゴは茂っていきます。動物が植物にかなわない、そんなひとつの例だと思います。
回復の見込みはないそうです。
心にしみるコメントありがとうございます。
(自分なりの)風景が浮かび、
いろんなことを考えました。
ひとっつも力になりませんが
北からの願いも届きますように。
数年前に義母が入院した時は、義母が丹精込めて育てた花々の前で私は立ち尽くしていました。。。
現在は、義母も退院し、不自由ながら忙しい毎日を送っていますが、
今後また私が義母の花畑の前に立ち尽くす日が来ないことを、今は願うばかりです。。。